小諸(こもろ)なる古城のほとり

雲白く遊子(いうし)悲しむ

緑なす蘩蔞(はこべ)は萌(も)えず

若草も藉(し)くによしなし

しろがねの衾(ふすま)の岡辺

日に溶けて淡雪流る

 

あたゝかき光はあれど

野に満つる香(かおり)も知らず

浅くのみ春は霞みて

麦の色はつかに青し

旅人の群はいくつか

畠中の道を急ぎぬ

 

暮れ行けば浅間も見えず

歌哀(かな)し佐久(さく)の草笛

千曲川いざよふ波の

岸近き宿にのぼりつ

濁り酒濁れる飲みて

草枕しばし慰む

            『落梅集』より

 

 

  詩の意味と考察

1連

小諸にある古城のほとり、憂愁の心にたたずむ若い旅人。

はこべ草も他の草々もまだ萌え出さない浅い春。

まるで布団をかぶせたような丸い形の岡辺に積もった雪が早春の光の中で淡雪のように流れ落ちていく。

 

「雲白く遊子悲しむ」、の<遊子>は旅人のことで、漢語的表現。

  旅人、つまり藤村自身のことで、人生の旅人の意味も込められている。

「緑なすはこべは萌えず」、の<はこべ>は春の七草の一つで、日本中に生える草。

「藉くによしなし」は、敷き詰めるほどじゃない。

  緑色のはこべも、野の草草もまだとてもとても敷くほどには至ってない、芽吹いたばかり。

「しろがねの衾の岡辺」の、<しろがね>はぎん、金銀の銀、の雅語的表現。

<ふすま>は布団のことで、「衾の岡辺」は雪が積もって、まるで白い掛け布団をふんわりとかけたように見える形の丘のこと。

 

丘と岡の違いは、どちらも小高く盛り上がった場所のことでほぼ同じイメージだけど、丘が普通名詞であるのにたいして、岡は固有名詞。

 

ブルー音符ブルー音符ブルー音符

「しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流がる」と歌われていますが、ふすまがなく、<しろがねの岡辺>でもいいですよね。でもこの詩は<しろがねのの岡辺>と<衾>が入っています。

丘というと、ふつうはなだらかに少しずつ盛り上がって小さい山ができた形を想像します。

そのあたりの地形を見ないとイメージできないかもしれませんが、私が信州に旅した時、電車から丘の形を見て、思わず「あっ、あの詩の通りだ…」と車窓から見入ってしまいました。

見たのは、なだらかに盛り上がっている丘ではなくて、コロンとした形だったのです。

ここに雪が積もったなら本当にふんわりとお布団かけたように見えるだろう、と藤村の表現に感動したものでした。

2連

春のあたたかい光はあっても、野に満ちる草の香りはまだなく、目を慰めるのはほんのわずかに、あるかなしかに青い麦の色。浅い浅い春の風景です。

春を<光の季節>とも言いますが、光だけは春を感じさせる明るさなのです。

そして、畠中の道を急ぐ旅人たち。

 

「はつか」は、古語で、わずか。あるかなしかわからないさまのこと。

辞書を引くと、<はつか>は<わずか>とあるのですが、<わづか>は、数が少ないこと。

<はつか>はあるかないかわからないという状態のことで、微妙に違うのです。

 

ただし、『藤村詩抄』は初出の時の「はつかに」から「わずかに」と変えられていますし、弘田龍太郎の作曲した譜面の中も、「わずかに」と歌われます。

『藤村詩抄』とは、『若菜集』・『一葉舟』・『夏草』・『落梅集』などから藤村自身が詩を選んで作られたもので、その中では、「小諸なる古城のほとり」と「千曲川旅情の歌」を合わせて、「千曲川旅情の歌一、二」として載せられています。

その詩の中で、藤村自身が「わずかに」と変えているのです。

ですから、「わずかに」と歌っていいのでしょうけど、私は微妙な<あるかなしか>という状態の麦の色を感じたいのと、藤村の<初出>を大事にしたいので、<はつかに>と歌っています。

3連

暮れていく中で、耳を慰めるのは、誰かが吹く草笛…、物悲しく耳に響き、若い旅人の胸には、ほろ苦い感傷が湧き上がります。

千曲川のほとりの宿にのぼり、たゆとうような波に自分の心を重ね、来し方、行く末を考え、濁り酒を飲み干し、草枕、旅の疲れをしばし慰めているのです。

 

「草枕」  旅情を表している。

 

  「濁り酒濁れる飲みて」の考察

この<濁り酒>が問題で、普通に地酒の濁り酒を飲んだと解釈してもいいのですが、藤村にとって、この詩を書いたときは人生の岐路、分かれ道でした。

この詩を明治33年に発表して、次の年に、この詩を載せた有名な詩集『落梅集』を出版し、その後、詩の世界とは完全に決別しているのです。

 (次回の「詩人島崎藤村の年譜」を参照)

つまり、<詩人藤村>は、この落梅集で終り、次の年に、<小説家藤村>が誕生しています。 

ですから、藤村の心の中の葛藤、詩と決別して新たな人生の道に入ろうとするほろ苦いものを交えた憂愁が 「濁り酒」 という言葉に反映されているかとも思われます。

 

 

  詩の誕生

明治34年(1901)、『落梅集』所収。藤村29才の時の作品。

 

近代日本の最初の浪漫詩人 島崎藤村の代表的な詩で、<抒情詩の絶唱>、と言われています。

 

 

ブルー音符ブルー音符ブルー音符

日本で最初の抒情詩を書いた人なので、次回、年譜を少し載せることにします。

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。