この道はいつかきた道。

ああ、そうだよ、

あかしやの花が咲いてる。

   

あの丘はいつか見た丘、

ああ、そうだよ、

ほら、白い時計台だよ。

      

この道はいつかきた道、

ああ、そうだよ、

お母さまと馬車で行ったよ。

      

あの雲はいつか見た雲、

ああ、そうだよ、

山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる。

 

 

 

   詩の意味と考察

意味はいらないですね。

1連

「あかしや」は別名ハリエンジュ、の<ニセアカシア>のこと。

マメ科の樹木で、5.6月ころ房のような白い花を咲かせ、あたり一面いい匂いを放ちます。

               アカシヤの花 

2連

「時計台」は、北海道札幌にある北海道大学の時計台のこと。

3連

「お母さま」ですが、私はもうこの世にいないお母さまを想像したいのです。

そうすると、お母さまと過ごした日々のことが、しみじみとあたたかい思い出になると思うので。

4連

「さんざし」は4月ころ梅に似た白い花を咲かせ、枝分れして、多くが垂れ下がるので、この詩にも「枝も垂れてる」とあります。

イギリスではこの花をメイフラワーと呼びます。         

           さんざしの花

 

 

   詩の誕生と考察

白秋が樺太観光団に加わり旅をした帰り、一行と別れ北海道を旅した時に書いた詩で、時計台のある札幌の北一条通りがモデルと言われています。

 

九州の詩人にとって北海道は見るもの聞くもの全てが珍しく、旅の土産に、何か新しい試みをしようと思い、五七調の間に 《ああそうだよ》 を入れて、「新定律」を作りだそうと考えたようです。

 

大正15年の『赤い鳥』8月号に入れられ、昭和4年に出版した童謡集『月と胡桃』にこの詩を所収。

 

 

  歌の誕生

山田耕筰は汽車の中で『赤い鳥』を読んでいて、この詩を見つけ作曲しました。

昭和2年、耕筰が出版した『童謡百曲集・第三集』に収載され、広く愛唱されました。

詩にあった美しい表現をするために、3拍子と2拍子を巧みに組み合わせている点がこの曲の特徴。

                            

 

  札幌のアカシヤの並木道

アカシヤは明治10年頃輸入された落葉樹で、特に札幌には北海道開拓の中心地として都市計画がなされ、アカシヤの並木道ができたそうです。

 

白秋は、アカシヤが大変に好きで、短歌にも詩にも書いています。 

有名な詩を一つ。 

「片恋」

       あかしやの金と赤とがちるぞえな。

       かはたれの秋の光にちるぞえな。

       片恋の薄着のねるのわがうれい。

       「曳舟」の水のほとりをゆくころを

       やはらかな君が吐息のちるぞえな。

       あかしやの金と赤とがちるぞえな。

 

この「片恋」の詩は、團伊玖磨によってメロディーがつけられ、「舟歌」と題して美しい歌曲になっています。

 石川啄木にも札幌大通りのアカシヤについてこんな文章があります。

 

停車場通りの両側のアカシヤの街路樹の下を往来する人は男も女もしめやかに恋を抱いて居る様に見える

 

 

  次回、白秋年譜を

日本の近代詩の歴史は、島崎藤村で夜が明け、白秋の出現で真昼の賑わいを見せたと言われています。

稀に見る才能で、これまでの日本伝統の詩形、すなわち短歌、童歌、民謡、長唄、常磐津、俗曲、学校唱歌の類にまで手を広げ、新しい詩の精神から新しい装いの歌を作りました。

 

 

詩人の中で一番多くメロディーのつけられた詩人として、歌曲の世界ではなくてはならない白秋ですので、年譜を書きますが、とても長くなるので、別仕立てで。

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。