幾年ふるさと 来てみれば

咲く花 鳴く鳥 そよぐ風

門辺の小川の ささやきも

なれにし昔に 変わらねど

荒れたる 我が家に

住む人 絶えてなく

 

昔を語るか そよぐ風

昔をうつすか 澄める水

朝夕かたみに 手をとりて

遊びし友人 いまいずこ

さびしき 故郷や

さびしき 我が家や

 

 

  詩の意味と考察

説明は要らないと思いますが、

2連目の「朝夕かたみに手を取りて」の「かたみ」、とは、互いに、という意味の古語です。

手を取り合って遊んだ友だち、ということです。

 

さびしく荒れてしまった故郷への思いが歌われています。

 

 

  歌の誕生

原曲はイギリスの 『My Dear Old Sunny Home』

犬童球渓の詩で、明治40年の『中等教育唱歌集』に所収

 

 

  犬童球渓

犬童(いんどう)とは珍しい名前ですが、本名です。

でも、球渓 (きゅうけい) というのは、ペンネームで、九州熊本県の人吉に流れている球磨川に因んで、球渓と名付けたようです。

人吉には犬童球渓が昭和の初めから昭和18年(1933)に亡くなるまで住んでいた家があり、1996年に私が歌を調べる旅で伺ったときは、そこに次女のトシさんが住んでいらっしゃいました。

 

犬童球渓は、東京音楽学校を卒業した時は音楽と国語の二つの免状を持っていたようで、「音楽は曲だけでなく詩も大切だ」と口癖のように言っていたと書いてありました。

私なら <詩大切> じゃなくて <詩大切> と言い直したいところですが。(^^;)

 

この詩を書いたときは、新潟高等女学校で教鞭を振るっていた時でした。

故郷を懐かしんで歌ったのですが、他の多くの望郷の歌と違う点は、<住む人絶えてなく> とか <あれたる我家> とか <さびしき故郷や> のように素直な表現で歌われているところが共感を呼ぶのだと思います。

故郷はさびしく荒れてしまうことの方が多いかもしれません。

 

 

人吉城跡公園の中に犬童球渓の【故郷の廃家】の歌碑があり、

 

 「本名は犬童信蔵。明治12年3月20日人吉市に出生、昭和18年10月19日同所に

  逝去。人吉市が生んだ偉大な音楽家で、作詩(ママ)、作曲は、250作品にのぼる。

  特に有名な作品として「故郷の廃家」、「旅愁」の作詩がある。生涯の大半は、

  教職にあり、この2曲の詩は新潟高等女学校在任中に、人吉を偲んで書かれた

  ものと思われる。教職勇退後は旧球磨郡藍田村の村会議員等をつとめている。」

 

とありました。

 

「旅愁」もこの人の詩ですが、同じように故郷を歌ったもので、よほど故郷の熊本県人吉を懐かしく思っていたのでしょう。

詩を参考までに。

ピンク音符ピンク音符ピンク音符

更け行く秋の夜 旅の空の

わびしき思ひに ひとりなやむ

恋しやふるさと なつかし父母

夢にもたどるは 故郷の家路

更け行く秋の夜 旅の空の

わびしき思ひに ひとりなやむ

 

窓うつ嵐に 夢もやぶれ

遥けき彼方に こころ迷ふ

恋しやふるさと なつかし父母

思ひに浮かぶは 杜のこずゑ

窓うつ嵐に 夢もやぶれ

遥けき彼方に こころ迷ふ

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。