詩
荒れていた庭 片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた
くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ
「ごらん くちなしの実を ごらん 熟しても 口をひらかぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば
父の祈り
くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
詩の意味と考察
さしてご説明は要らないかと思いますが、昔父が庭にクチナシの木を植えて大事に育てていたのに、父が亡くなってからは手入れもせず、庭は荒れ放題。
なのに、気が付くとくちなしはちゃんと大きくなって、花がたくさん咲いて、実も増えているのです。
今年は19個もの実がついて、とてもうれしいのです。数えたのですね。
でもクチナシの木にクチナシの花が咲いて実がつく、これは当たり前のこと。
それなのに、震えるほど感動したのです。
私は忘れてしまっていたのに、クチナシがちゃんと一人で生きていたことに感動、命あるものへの慈しむ心です。
そして、父の想いがそこにしっかり根付いていたことへの感動です。
「クチナシの実のように、ひたすらこがれる思いを心に秘めて、心の中に大きな夢、思いを持ちつづけてまっすぐに生きよ」とかつて言っていた父の言葉、顔、姿をまざまざと思い出し、心が震えたのです。
何かふとした拍子に、大事な人の言葉やしぐさを思い出すと言うのは、うれしいような切ないような、胸詰まる思いがあります。
その感動を歌った歌です。
曲の誕生
「ひとりの対話」という組曲(6曲)の最終曲。
Ⅰ いのち
Ⅱ 縄
Ⅲ 鏡
Ⅳ 蝋燭
Ⅴ 遠くの空で
Ⅵ くちなし
昭和41年に初演しているので、制作年もその辺りだと思われます。
父の思い出
私の父は月の内半分以上が東京での仕事で、大阪にいてもほとんど毎日夜遅くに帰宅するような忙しさでしたから、子供の頃は母と姉と3人の母子家庭のようでした。
父と一緒に、家族4人で晩ご飯を食べた、という記憶がほとんどありません。
私が大学で東京に行ってから、東京でいつも会うようになって初めて父のこと、父の偉さを知っていったのです。
寡黙な父で、みんなから仕事の虫、と言われるほどひたすらまじめに仕事に情熱を注ぎこんだ人でしたが、そんな父が私は大好きで、人として、男性としても、とても尊敬していました。
父が東京にいる間は私の借りてもらっていたマンションに帰ってきたのですが、晩ご飯を食べながら、ミカンを一緒に食べながら、寝るまでの時間、少しだけ話ができました。
中でも戦争の時の話は衝撃的でした。
父は母と姉を守るために(私はまだ生まれていない)、手を挙げて特攻隊に志願したそうです。夜、匍匐前進(ほふくぜんしん)して敵地の視察に行ったこと、すんでのところで戦争が終わって日本に帰ってこれたことなど、初めての話をその時聞きました。
もっと父のことを知りたかった、いろんな話をしたかった、もっともっと、父との思い出がほしかった、と今でも泣けてしまいます。
60歳という若さで逝ってしまいました。
この歌はそんな父を思い出して胸がつまる歌です。
やっぱり歌曲ってすてき
の。