詩(短歌)

沖はるかに荒れて浪たち水平線日の出近くして海鳥飛べり

沖つ浪みるにはるけし思ふこと五百重(いおえ)へだててわがなりがたし

わだつみの太平洋にまむかひて砂濱白し九十九里なり

 

 

  詩の意味と考察

1首目

沖はるか遠く、怒涛逆巻いて波立つ海、日の出近くの暁の頃の水平線、海鳥が飛んでいる。

と勇壮な風景を歌っています。

 

2首目

沖の方に見える波ははるか遠く、自分の思うこともはるか遠くで、まだまだ人としてできていない自分である。

 

「沖つ波」の、<つ>は、何々からの、とか、どこどこにある、という意味ですので、沖にある波、のこと。

「いおえへだてて」、は、幾重にも重なって隔たっていること。

自分の願いと、今の自分とがまだまだ隔たっていて、「わがなりがたし」なのです。

つまり、なかなか一人の人間として成り立っていない、と歌っています。

でも、海は凪いでいて、波は遠くはるか、自分はまだまだだなぁ、と思いながらも憧れに満ちて、海の前に立っている様子を抒情的に歌い上げています。

3首目

大海原の太平洋に真正面に向かって立っている。

どこまでも白い砂浜が続いている九十九里である。

 

「わたつみの」、の<わた>は海、<つ>は<の>の意味の古い格助詞で、<み>は神の意味の雅語です。

ですから海の神(綿津見)のことで、海の神がいる所の意味から転じて、海そのもの、海原のことをさしたりします。

神がおわします太平洋の大海原を前に、どこまでも白い砂浜、雄大な海、を見て凛と立っている姿が想像できる壮大なスケールの歌です。

 

<わだつみ>と濁るようになるのはその後変化していったようです。

そしてこの言葉を聞くと、若い学徒兵たちの遺稿となった遺書を集めた本、『聞けわたつみの声』を思い出します。

「わだつみの太平洋に・・・」 という言葉から、戦争で多くの青年が海に死んでいったことを連想させます。

 

  詩(短歌)の誕生

初出は、季刊『短歌民族』第一号 (昭和7年11月10日発行) の中の、「九十九里濱」、という題の8首の内に、この歌の3首が入っています。

ただ、後に歌集 『花のかげ』 (昭和25年発行)に収められた短歌などに初出の歌とは、漢字とひらかなの違い等、少しの相違点が見られますが、北見本人が後に書き換えたものですから、わざわざ初出の短歌との違いを書くとややこしくなるかと思い、平井康三郎の歌曲集に載せられている短歌をこの歌の詩として取り上げています。

 

 

  曲の解説

『平井康三郎名歌曲集 1』のあとがきに解説があり、

 

力強い前奏は怒濤のありさま。

荘重な序奏は太平洋の大きさを表す。

やがて中間部に甘く美しい抒情があらわれ、再び前奏の音型が出ると急速なイ長調の終結節に入り華々しく曲を結ぶ。

 

とあります。

 

 

  曲の誕生

昭和10年(1935年)、組曲として作曲。

『平井康三郎名歌曲集 1』のあとがきに書かれているものによると、北見本人から依頼され、短歌雑誌『草の実』の中から作曲者が自由に歌を選んで、3部作として作曲したようです。 

「平城山」「甲斐の峡」「九十九里浜」の3曲で、中でも「磐之媛皇后御陵」に入れられている歌の中から2首をとって、1番・2番として作曲した「平城山」は、当時大ヒットしました。

 

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。