詩
わたしの頬はぬれやすい
わたしの頬がさむいとき
あの日あなたがかいたのは
なんの文字だかしらないが
そこはいまでもいたむまま
そこはいまでもいたむまま
霧でぬれたちいさい頬
そこはすこしつめたいが
ふたりはいつも霧のなか
霧と一緒に恋をした
霧と一緒に恋をした
みえないあなたにだかれてた
だけどそれらがかわいたとき
あなたはあなたなんかじゃない
わたしはやっぱり泣きました
詩の意味と考察
詩は、目の前に見えたもの<視覚>で感じて読まれたものが多いですが、この詩は視覚にプラスして<触覚>、頬に感じた<あの人の手>を感じないと、意味がちゃんと理解できない詩です。
昔高原の林の中で、あの人と一緒にいたとき、あの人が私の頬に何か文字を書いたのです。 多分<すき>って書いてくれたのかな…
それは、霧の中でのことでした…。
その恋人を失った今もまだ、頬が、あの人の指の感触を覚えているのです。
あの人の手の冷たさと共に、あの人のことや霧の中でのことをずっと覚えているのです… 頬の一点がシーンと痛いほどに。
ただ並んで、木にもたれて、黙って過ごしていたと想像した方が頬に集中する神経の鋭さが感じられていいと思います。
動きがあったり、しゃべったりすると頬の一点への集中感がなくなりますから。
ただただ静かな霧の中で寄り添っていただけ。とてもとても感覚的。
ぼんやりとした記憶の中の やさしいあなたは、霧が晴れたとき、「あなたなんかじゃない」、というのですが、その遠いできごとが、霧の中のようにぼやけていて、頬にだけはくっきりと感触が残っている、その感触が霧が晴れて、空気が乾くと、もう<私のあなた>じゃなくて涙があふれるのです。
とても幻想的な詩ですが、これは繊細な心をもっている人でないと、わかりにくいかもしれませんね…
頬の一点に神経が全部集まっている・・・って感覚、繊細で敏感な感覚がわかるかどうかでこの詩を理解できるかどうかが決まります。
私は手
<繊細で敏感な感覚がわかるかどうかでこの詩を理解できるかどうかが決まります>と書きましたが、たとえば、初めてのデートで手が触れ合った時、全神経が手に集中したって経験はありますか?
何も考えられなくて、<私は手>、なんて感じた感覚…。
彼が隣に座って、息がつまりそうになった時、彼の側の神経だけが研ぎ澄まされて、自分の体の全部の神経が彼の側に集まってる…なんて経験は?
もしかして、恋をしたことがない、とか…?
そういう人はこの詩を理解するのはちょっと無理かも。
諦めて、これは失恋の歌なのね、でいいです(^^;)
高揚していくところが素敵
この詩の特徴は、1連目の最後の言葉と2連目の最初の言葉が同じです。
2連目の最後と3連目も同じです。
最後の言葉を繰り返して次の連を読み始めることで気持ちが少しずつ高揚していって、「あなたはあなたなんかじゃない、私はやっぱり泣きました」に行くのですが、たたみかけるように繰り返して次の連に行く表現がとても素晴らしいと思います。
気持ちが盛り上がっていきます。
そして、この歌の素敵な所は、頬に感覚が集まっていること、ぼんやりした霧の中のできごとなこと、何と書いたのかわからない文字、など…、どれもがしっとりした感覚とぼんやりした曖昧な感じを、ピアノも歌も、とてもピッタリと表現できていて、すばらしい1曲だと思います。
さすがの中田喜直
白いもやがかかったような霧の中を想像させるメロディーの前奏で始まり、歌が始まると、心押し込めて頬にしか神経がいってない・・・って感じの静かな語りのような歌のメロディー、身動きが取れないほどの緊張感を感じます。
ほんとに中田は詩の心を読み取ることの素晴らしい作曲家で、さすが中田喜直の名曲になっています。
やっぱり歌曲ってすてき
の。