菜の花畠に、入日薄れ、

見わたす山の端、霞ふかし。

春風そよふく、空を見れば、

夕月かかりて、にほひ淡し。

 

里わの火影(ほかげ)も、森の色も、

田中の小路(こみち)をたどる人も、

(かはず)のなくねも、かねの音も、

さながら霞(かす)める朧月夜。

 

 

 

  詩の意味と考察

1連

ぼんやりかすんで、匂うような春の田園風景、菜の花畑に夕日が淡く薄くなっていって、山の輪郭が春かすみでうっすらとしてきた頃、月が空にかかり、ぼんやり美しい風景です。

 

「夕月かかりてにほひ淡し」の「匂い」という言葉は、今は鼻で感じる、香り、匂いをさしますが、古語、古い言葉では、視覚に関する言葉で、きわだった美しさと、いう意味に使われます。 ですから、夕月が淡くぼんやりと見えて、とっても美しいと、歌っています。

でも、菜の花が一面に咲いているのですから、その花の甘い匂いもこの詩から感じていいと私は思っています。

高野辰之が書いたのは大正時代ですから、もしかしたら古語としての<におい>で、夕月がとても美しい、という意味だけで使われたかもしれませんが、ここは、目で見た<におい>の美しい、と、鼻で感じた<におい>の甘い花の香り、の両方を詩から感じたいと思います。 

2連

暮色があたりを包み、里のあたりの「火影」も、暗い森の色も、田んぼのあぜ道を家路についているシルエットだけの人の姿も、蛙の鳴き声も、夕刻を告げるお寺の鐘の音も、すべてを包み込むようにぼんやり春の朧月の光が淡く見えています。

なんとも美しい日本の田園風景です。

 

「火影」という言葉からまだ電燈は通っていなかったことが分かります。

一面の菜の花から絞り取ったなたね油でランプの灯をつけての生活です。

そのゆらゆら揺れる明かりが窓越しに写っているのです。

「藤原のり子の日本歌曲の会」が発行している<ゆめの絵楽譜>(ピース:一曲ずつの楽譜)の表紙絵です。

日本画家の畠中光享画伯に描いてもらったものです。

 

 

  歌の誕生

大正3年6月 『尋常小学唱歌 第六学年用』 に掲載されました。

尋常小学唱歌の中で1、2を争う傑作と言われています。

昭和17年、国民学校の芸能科音楽 『初等科音楽 四』 に掲載された時、曲名が平仮名の<おぼろ月夜>になりました。
 

 

  歌の故郷

詩を書いた高野辰之は長野県豊田村(今の中野市永江)替佐(かえさ)というところで生まれ育ちました。

その辺りは菜種油の特産地で、辺り一面菜の花畑、その辺りに電燈が入ったのは大正9年で、それまでは菜種をもんで菜種油を取っていたようです。

 

 

 

  余談

菜の花のお勉強をいたします。(^^)/

菜の花は <菜の花> という一つの花ではなくて、<あれもこれも菜の花>なんです。

この詩に歌われているのは長野県豊田村の菜の花畑の菜の花。

現在も一面の菜の花畑が広がっているようですが、当時(大正時代)は菜種油をとるための菜の花畑。

今は、野沢菜のお漬物にするための菜の花畑なのです。

つまり、菜種油を取るための花も、野沢菜にするための花も <菜の花>なんです。 

要するに、菜っ葉に咲く花が <菜> の花です。

ですから、ハクサイも、カブ、チンゲンサイ、カラシナ、みーんな黄色いあの菜の花を咲かせます。 葉っぱの形が違うだけで花は同じです。

ちなみに、ダイコンは白い菜の花を咲かせるそうです。

というわけで、菜の花のお勉強でした。(*^ ^*)/

おしたしにしようと買ってきた菜の花、器に入れていたら咲いちゃって、

くぴのおやつとなりました(^^;)

 

ちなみに、下の写真は今日買ってきたもの。

葉っぱの形が違うのがわかりますか?

この葉っぱは○○ですね、こちらの葉っぱは○○、ってご説明できるといいのですけど、葉っぱの形で植物の名前は私はわからなくて…すみません。

 

花が咲いてないときは花芽をかじってます。

どっちにしても、くぴのおやつです (^^;)

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。