詩(短歌)

大き聖 (ひじり) (い)ましし山ゆ流れくる水ゆたかにて心たのしも

 

 

  詩の意味と考察

偉大な聖なる方がいらっしゃる、聖なる山から、流れてくる水は豊かで、心ゆたかである

 

「山ゆ」、の「ゆ」は古語で、~より、の意味ですから、山から、です。

「心たのしも」、の「たのし」は今の、楽しい、という意味とは違って、古語で、豊かに富んでいる、という意味で、「も」は、意味や語気を強める言葉で、ほんとうに、という意味。

 

ブルー音符ブルー音符ブルー音符

<聖(ひじり)>とは、知徳が高くて、万人の師範と仰がれる人。

広義では天子、狭義では高僧。と『新明解』の辞書にはあります。

山で修業をしてる立派な高僧をイメージしてもいいでしょうけれど、広い意味で、神さまのような方、を想像してもいいかなと思います。

 

日本には山岳信仰もあり、山には偉大な神さまが住んでいらして、その山から水が豊かに流れてくる、その清らかな澄んだ水は私たちの生活をうるおしてくれる、何とまあ心豊かなことか、幸せなことか、誠に心が洗われる思いがするというのです。

 

「埴生の宿」にもこの<たのし>が出てきました

埴生の宿の歌詞は、

ピンク音符埴生の宿も、わが宿、玉のよそおい、

  うらやまじ。のどかなりや、春の空、

  花はあるじ、鳥は友。

  おーわが宿よ、たのしとも、たのもしや。

で、この最後の<たのしとも、たのもしや>、も同じく、心豊かだという意味です。

 

  不思議な解説に疑問

平井康三郎の曲集に解説がついていまして、それを読むと疑問が起こるのです。 

その解説には、

 

「この歌は、神通川のほとりに立って、偉大な聖僧 道元禅師を偲んだ歌」

 

とあります。

まず、神通川というのは、岐阜県の山から流れだして、飛騨高地の中を通り、富山県に流れる川です。

道元禅師は、鎌倉前期の宗教家で、永平寺を建立、開山した人で、日本曹洞宗の開祖です。 

岐阜県か富山県かを流れている神通川のほとりに、斎藤茂吉は立っている訳でしょうけれど、偉大な道元が建てた永平寺は、福井県にあるのですから、茂吉が立っているその川の上流に道元禅師がいらっしゃる訳はないのです。

岐阜県や富山県と福井県とはずいぶん離れています。

富山県の川にいて、福井県の道元をしのぶ、というのはどう考えても腑に落ちません。

 

道元禅師を偲んで歌を読むだけなら、川はどこの川でもいい訳で。 

わざわざ <神通川のほとりに立って>、なんて言うからややこしくなる訳です。

 

その解説には続きがありまして、「作家者に、つまり茂吉本人に、出来あがった曲を聞かせたら、とても喜んだ」、とありましたから、平井康三郎が斎藤茂吉に直接歌を聞かせたのは確かなのでしょう。

<神通川のほとりで、道元を偲んだ>という <まちがい?> はどこで起こったのでしょう・・・、

●茂吉が、平井に、川の名前を間違えて言ってしまった。

●もしくは平井が、川の名前を聞き間違えて、道元の名前だけが頭に残ってしまった。

どちらかですね。

 

解説に、

<神通川のほとりに立ってこの歌を読んだ>、と書くか、

<道元禅師をしのんでこの歌を読んだ>、

のどちらかにしてくれていたら、すんなり想像できましたものを、解せないことです。 

 

ブルー音符ブルー音符ブルー音符

以前、平井先生のご自宅に伺って、何度もレッスンを受け、教えを請うていたのですが、その頃はこの部分に疑問を持たず、お聞きしなかったのが残念です。

もうこの世にはいらっしゃいませんので、お聞きする訳にも行かず、ここは仕方ないので、川の名前がきっと間違えているのだろう、と解釈して、ひとまず偉大な僧、道元のイメージだけは残そうかと思います。だって、<偉大な聖がいる山から流れてくる水>、と歌っている訳ですから。  

 

解説を読まないで、ただ意味だけを想像した方がよかったですか、皆さまの頭の中をややこしくしちゃいましたかしら…。

 

 

 

  崇禅寺の東堂さんに教えていただきました びっくりマーク

道元禅師は曹洞宗の方なので、曹洞宗のお寺の方に聞けば何かわかるかしらと崇禅寺の東堂さんにお尋ねしました。

<東堂さん>とは、退職引退した住職さんのことで、<前住職>の方のことを曹洞宗ではこう呼ぶのだそうです。

 

東堂さんに頂いたお手紙をそのまま載せてみます。

長いですがお読みくださるとよく理解できますので。

「まずは地図を見てください。

白山は、白山五岳とも呼ばれ、最高2702mを筆頭とする5つの山の総称で、従ってすそ野も広大で、石川県・福井県・岐阜県にまたがっています。

そして石川県の手取川、福井県の九頭竜川、岐阜県の長良川、さらには富山県の庄川の水源となり、それぞれの地域に豊かな水をもたらし人々の暮らしを支えています。

従って、人々が白山を霊山としてあがめ、そこには水をつかさどる龍神として白山妙理大権現がおられるとする信仰が広まったのは自然のことと思われます。

ちなみに、権現とは、権(かり)に神として現れるという意味で、本来は十一面観音様が人々を救済するために権(かり)に龍神としての白山妙理大権現の姿をとって現れられたものとされています。

さて、問題となっている神通川ですが、地図からもわかるように白山の東側を流れていますが、その水源は白山ではありません。

ここからは小生の想像ですが、同じ岐阜県の長良川と神通川の水源はそれほど離れているようには見えません。今のような厳密な地図がなかった時代には、人々は神通川の水源を白山であると考えたのではないでしょうか。

いずれも白山信仰圏のうちに十分入るのではと思います。

道元禅師が開かれた永平寺も白山のふもとと言えば言えないわけではありません。

また禅師が中国へ留学の際、白山妙理大権現に「入宋祈願文」を祈ったともいわれ、また帰国の時、大部の禅籍の書写をこの権現が手伝ったともされています。

このことから禅師の生涯に大きな影響を及ぼしたのは白山と白山信仰であったと言えるでしょう。

斎藤茂吉が神通川のほとりで道元禅師を讃えて「大き聖」を読んだというのは、白山の峰を眺め、そのふもとで厳しい修業に耐えた禅師を偲んだのではないかとも思われます。 後略 」

 

と教えていただきました。

 

茂吉が神通川のほとりに立って、白山を遠くに眺め、東堂さんのおっしゃるように神通川の水源を白山であると思って、白山のふもとで厳しい修行に耐えた道元禅師を偲び、この水の豊かなことよ、と感激して読んだとすれば納得できます。

 

 

 余談

道元禅師が永平寺で詠んだ歌というのを東堂さんにお聞きしました。

 

 ピンク音符みねの色 谷のひびき みなながら 我がしゃかむにの 声と姿とピンク音符

 

峯の深い緑の色も谷川の音も、すべてわがお釈迦さまのお姿であり、お声であることよ。

って意味でしょうか。

見える世界のすべてのものが偉大な方のお姿でありお声であると詠まれたのはとても感動的です。

私はまだ永平寺に行ったことがないのですが、想像するだけで深い緑に囲まれた静寂の中にあるお寺の姿が見えるようです。

長年行きたいと思いながら行けないでいたのですが、この歌を教えてもらってますます行きたくなりました。ぜひ近いうちに!!

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。