今は 二月 たつたそれだけ

あたりには もう春がきこえてゐる

だけれども たつたそれだけ

昔むかしの 約束はもうのこらない

 

今は 二月 たつた一度だけ

夢のなかに ささやいて ひとはゐない

だけれども たつた一度だけ

その人は 私のために ほほゑんだ

 

さう! 花は またひらくであらう

さうして鳥は かはらずに啼いて

人びとは春のなかに 笑みかはすであらう

 

今は 二月 雪の面(おも)につづいた

私の みだれた足跡・・・・・それだけ

たつたそれだけ----- 私には・・・・・・

 

  詩の意味

1連目

今は2月・・・

あたりは春の気配が感じられる・・・

でも、それだけのこと、昔の約束なんてもう残ってはいないのだ・・・

 

2連目

今は2月・・・

夢の中でささやいてくれた人はもういない・・・

でも、たった一度だけ、そう一度だけ、私のためにほほえんでくれた・・・

 

3連目

そう、花はまた咲くだろう。

そして鳥は変らずに啼き、春を歌いだしたら、人々はその春の中で楽しそうに笑みを交わし合うだろう・・・

 

4連目

今は2月・・・

雪の面、雪の上に乱れた足跡が続いている・・・

私の乱れた足跡・・・

私にはそれだけ。

たったそれだけのこと・・・・。

 

 

  1連を考察

あたりには春の気配、でもそれだけのこと。

と、華やいだ春を自分と関係のない世界のことのように離れてみているのです。

 

 

  2連を考察

ささやかな明るさ、あたたかさを感じます・・・。

「夢のなかに  ささやいて ひとはいない」の空白の部分は、ささやいて「くれた」人はいない、です。

その空白のところで立原はささやいてくれた人の顔や姿を思い出しているのです。

「夢のなか」はほんとに夢の中なのか、もう昔のことなので夢のようになってしまったはかない思い出、という意味なのか、どちらでしょう・・・

その人はもういないのですけど、一度だけ、そうたった一度だけど私のためにささやき、ほほえんでくれたのです。

 

 

  3連を考察

花は咲き、鳥は鳴き、人々が春の中で笑みかわしていたとしても、僕にはそんな春はもうないんだ…、という心が隠されています。

 

詩は大事なこと、本当の心は、空白の部分にあります。

詩の心を読み取るのは、言葉や行の間を感じることです。

3連と4連の間に詩人の心を感じてください。

 

 

  4連を考察

雪の上を歩いてきて、ふと振り返ったら、自分の足跡が乱れています・・・。

まっすぐにしっかりとした足取りではなく、悩み沈んだ心を抱えてふらふらと歩いて来たので乱れているのです。

詩人はそれを見て、この足跡がすべてを物語っている、たったそれだけのことだと感じるのです。自分の人生などこんなものだと。

 

青春の喪失感を美しく描いた抒情詩ですが、感情的にならず、押さえられた言葉がとても美しく、透明感を感じさせる心にしみいる美しい詩です。

 

この詩の中に、「たったそれだけ」、という言葉がいくつ出てくるでしょう。

人生を諦めたような、周りの景色は自分とは関係ないできごとだと悟っているような、切ない心が感じられます。

 

 

  詩の誕生

昭和12年(1937) 『四季』3月号に発表。

 

 

  夭折した立原道造

立原は大正3年に、東京に生まれますが、たった24歳という短い一生を駆け抜けた人でした。

第一高校から東京帝国大学の工学部建築科にはいります。

在学中に設計したものが辰野賞という賞を3年連続受賞するほどでした。

でも、高校時代に短歌を発表したりしていた後、三好達治の詩集に影響を受けて、詩に転向します。18歳くらいの時です。

堀辰雄を訪問し、大変に影響を受け、堀辰雄や三好達治の作っていた『四季』のメンバーになります。

昭和12年(1937)に『四季』に「浅き春によせて」を発表した後、10月上旬に、発熱。

肋膜で安静に、と言われ静養に追分に行きます。

10月19日、泊っていた追分油屋で火事がおこり旅館は全焼。

逃げ遅れた彼は、2階の窓から土地のとび職人に助けられるのですが、九死に一生を得た彼は、親しい友人に「あの時は本当に生きたかったよ」と語ったそうで、それ以後 <死> と言う言葉を使わなくなったそうです。

昭和14(1939)、24歳で死去。

 

 

 

やっぱり歌曲ってすてきビックリマーク

の。