◆24年◆ | デュアルライフ アナウンサー/武藤乃子オフィシャルブログ「Colorful Life」 Powered by Ameba
群馬県上野村の【御巣鷹の尾根】に日航ジャンボ機が墜落してから、24年。

昨日は、墜落現場のふもとを流れる【神流川】で、慰霊の灯ろう流しが行われました。



私がテレビ局に入社した年は、ちょうど、墜落事故から丸20年に当たる年でした。
その年には、12日に先立って、改めて事故を振り返り風化を防ごうと、数日間に渡って、ニュース特集を組みました。


そして私は、事故当時、警察医として現場の第一線で活動された、歯科医の先生にお話を伺うことができました。
(歯形などから遺体の身元などを確認された先生です)



実は、本当に不思議な偶然なのですが、私は入社する前の年の夏、アナウンサーになるなんて思いもしなかった頃に、日航ジャンボ機の墜落事故に関する本を何冊も読みあさっていました。
だから、事故に関しては、ある程度の認識はありました。
もっとも、事故の年には生まれていたのですが…
幼かったため、全く覚えていなかったのです。



でも、本で知識を詰め込んであったとは言っても、実際にお話を伺い、記録で残っている写真などを拝見すると、事故の大きさ・重大さが身に染みました。
同時に、お話とともに、貴重な記録を目の当たりにし「地元で起こった事故について、もっとしっかり考えなくては…」と改めて思ったのです。


その後、慰霊登山で現場を訪れた際、私は胸を打たれ、涙が出ました。
やはり、現場でしか感じ取れない何かってあるんです。
(記者としては、感情をコントロールできないことはいけないことかもしれませんが…)

さらにグッときた出来事が…
【昇魂の碑】の辺りには、遺族の方のメッセージが掲げられていたのですが、その中の1通に
「高齢のため、慰霊登山に来るのは今年が最後です。ごめんなさい。」と書かれているものがあったのです。


元気に家を出て行った家族が、突然、帰らぬ人となってしまうなんて、私には考えられません。
遺族の方たちは、どうにもできない悔しさや苦しみを抱えながら、長い年月を耐えているのですよね…。

遺族の高齢化が叫ばれる中、当時私は、マスコミと言う伝い手の立場であるのだから、事故のことはもちろん、安全を願う遺族の方たちの思いもしっかりと継承しなければいけないと思いました。


私の記者生活の中で、この日航機の墜落事故を取材できたことは、忘れられない出来事の1つです。