ニュースでは、仮装をして街に繰り出して集まった若者達が、しまいには羽目を外して警察沙汰…という様子が報道がされていました。
最近、日本の良さが世界で見直されているさなか、これが日本人と思われるのはちょっと恥ずかしいな。。
羽目の外し方を見ていると、道頓堀川に飛び込んだり、大改造した車で人の集まる場所で大音量の音楽をかけたり、どうも「目立ちたい、常識やルールに縛られたくない」という気持ちがあるように思えます。
警察に注意されて、「今日は何でもありでしょ!」と答える若者もいました。
えっ、いつからそんなイベントに意味が変わったの⁈
本来、アメリカなどキリスト教圏では収穫を祈るお祭ですが、そのへんの意味合いはもはや関係ないという感じでした。 もっと言うと、これがハロウィンでもクリスマスでも、羽目を外す為のイベントであれば何でもいいのかもしれません。
ストレスのはけ口を探してるんだなぁ。。
アメリカ人がどうだったかと思い出してみると、本場だけにこんな風に羽目を外す若者は見たことなくて、きちんと仮装して(笑)ほとんどの若者はルールを守ってイベントを楽しんでいました。
日本では、ハロウィンのお祭の意味さえよくわからないけど、「とにかく仮装して騒げるイベント=いつもと違う自分になれる=この日ぐらい羽目を外させてくれよ」という捉えられ方になっていて『思い思いの自由な格好をしてもいい』というルールが逆に羽目を外せる大義名分みたいになっているのかもしれません。
そして、「自己主張をしたい」「ルールを破りたい」という欲求が日頃のストレスのはけ口としてこのイベントで爆発してしまうということは、逆に考えると日本の価値観、習慣の中で、「役割に縛られる、こうあるべきという考え方が強い」や「ルールを守ることが大切、はみ出してはダメ」という部分について若者がストレスを感じているのではないかとも思うのです。
アメリカでは、個性を重んじられるし、自分で責任さえ取れば「みんながこうしているから同じようにしなければならない」ということが日本と比べてずっと少ないです。
この部分のストレスはアメリカ人と日本人とで、随分違うなぁ。。
…と考えたりしてみる今日この頃です。