花巻から大槌町へ向かう途中、物資の集積倉庫に立ち寄った。
私の荷物は、前日届き、ここに一時保管されている。
中を覗くと、大きな倉庫一杯に、さまざまな生活物資が仕分けされていた。
立ち会っていただいた市議の方に状況を聞くと、
「どこの避難所ももう物は一杯で、持って行っても引き取ってもらえないんだ」と。
寝るスペースを確保するのが精一杯の狭い避難所では、生活物資を置く場所がない。
私たちは、荷台が空いているので、倉庫に山と積まれたカップ麺を、600食ほど積み込んだ。
「救援物資 松下政経塾」と、張り紙があった。
トラックに荷物を積んだまま、私たちは里館さんの案内で、安渡小から、本部のある中央公民館へ向かった。
町長への面会をお願いしていた。
震災で町長が亡くなられたことで、大槌町の名を知る人は多い。
役場の多くの方々が、波に呑まれたという。
先日、東梅副町長が町長になった。
通された部屋には、窓際に布団がたたんであった。
町長はここに寝泊りしているという。
挨拶の後、手短に活動企画を話した。
栄養・運動、心の支援を、人を介して、継続的に。
とても穏やかな物腰で頷きながら、「どうぞお願いします」と応えてくれた。
医師団や、心理カウンセラーなどは、ボランティアでいろいろなところから
すでに応援が来ているという。
ただ、運動やサプリメントの支援については、まだないという。
安渡小に戻り、体育館の中へ案内された。
挨拶すると、「私は80歳だよ、こっちは84歳だわ」と、自己紹介される。
いつも冗談を言って、笑い飛ばしている。こんなときだから、そうでもしないとね~、と言う。
どっから来たの? どこに泊まるの?と聞かれて、
東京から、今夜、夜行バスで帰りますと応えると、
体に気をつけて!元気でねえ!頑張ってぇ!と、励まされた。
逆じゃないですか!と言って、また大笑い。
今度来たときは、一緒に体操しましょうね、と言って別れた。
一生懸命に元気でいようとしている。
でも、もうそろそろひと月が過ぎる。
限界になる前に、少しでも、役に立ちたい、と心から願った。
バスの時間までだいぶある。
里館さんが、わが家で少し休んで行けと誘ってくれる。
かろうじて、津波を免れたのだ。
家まで歩いて行くその道は、両側に延々と続く瓦礫の道。
自衛隊が、航空写真を頼りに、道を空けてくれたという。
瓦礫の中に、道だけが通っている。
そして、道を歩けば、粉塵と、異臭がする。
「マスクをしなさい」と言われた。
少し坂を上った家に着くと、二家族、8人が迎えてくれた。
「さあ、さあ、炬燵に入んなさい」とおばあちゃんが言う。
豆炭コタツだ。電気の代わりにろうそくを灯した。
配給のおにぎりや肉炒めを、味噌汁や漬け物までそえて、
「食べて行きなさい」という。
夜行バスで帰る私を気遣って、精一杯のもてなしをしてくれるそのご家族に
なんと応えてよいのか、戸惑った。
が、私はご好意をそのまま受けることにした。
それに応えられるだけのたくさんの感謝を、きっとここで返そうと思った。
そして、少し離れたバスの発着所まで、ご自分の車で送ってくださるという
佐藤本部長。小一時間かかる道のりを、里館ご夫妻も同乗して、送り届けてくださった。
つい先日まで、ガソリンがなく、やっと20リットルの給油を受けられたばかりだ、
ということを、持ち帰った地域のチラシで知った。
思ってもみなかったこの温情に触れて、私の願いはさらに深くなった。
外に出ると、晴れ渡った真っ黒な空に、振り落ちてきそうなほどの星々。
「なんと今日はきれいだねぇ」と里館さんが空を仰いだ。
ため息が出るほどの美しさは、何となく悲しくもあった。
「また来るかね?」と聞かれて、もちろんだと応えた。
握手した手のぬくもりは、一生、忘れられないかもしれない。
私の荷物は、前日届き、ここに一時保管されている。
中を覗くと、大きな倉庫一杯に、さまざまな生活物資が仕分けされていた。
立ち会っていただいた市議の方に状況を聞くと、
「どこの避難所ももう物は一杯で、持って行っても引き取ってもらえないんだ」と。
寝るスペースを確保するのが精一杯の狭い避難所では、生活物資を置く場所がない。
私たちは、荷台が空いているので、倉庫に山と積まれたカップ麺を、600食ほど積み込んだ。
「救援物資 松下政経塾」と、張り紙があった。
トラックに荷物を積んだまま、私たちは里館さんの案内で、安渡小から、本部のある中央公民館へ向かった。
町長への面会をお願いしていた。
震災で町長が亡くなられたことで、大槌町の名を知る人は多い。
役場の多くの方々が、波に呑まれたという。
先日、東梅副町長が町長になった。
通された部屋には、窓際に布団がたたんであった。
町長はここに寝泊りしているという。
挨拶の後、手短に活動企画を話した。
栄養・運動、心の支援を、人を介して、継続的に。
とても穏やかな物腰で頷きながら、「どうぞお願いします」と応えてくれた。
医師団や、心理カウンセラーなどは、ボランティアでいろいろなところから
すでに応援が来ているという。
ただ、運動やサプリメントの支援については、まだないという。
安渡小に戻り、体育館の中へ案内された。
挨拶すると、「私は80歳だよ、こっちは84歳だわ」と、自己紹介される。
いつも冗談を言って、笑い飛ばしている。こんなときだから、そうでもしないとね~、と言う。
どっから来たの? どこに泊まるの?と聞かれて、
東京から、今夜、夜行バスで帰りますと応えると、
体に気をつけて!元気でねえ!頑張ってぇ!と、励まされた。
逆じゃないですか!と言って、また大笑い。
今度来たときは、一緒に体操しましょうね、と言って別れた。
一生懸命に元気でいようとしている。
でも、もうそろそろひと月が過ぎる。
限界になる前に、少しでも、役に立ちたい、と心から願った。
バスの時間までだいぶある。
里館さんが、わが家で少し休んで行けと誘ってくれる。
かろうじて、津波を免れたのだ。
家まで歩いて行くその道は、両側に延々と続く瓦礫の道。
自衛隊が、航空写真を頼りに、道を空けてくれたという。
瓦礫の中に、道だけが通っている。
そして、道を歩けば、粉塵と、異臭がする。
「マスクをしなさい」と言われた。
少し坂を上った家に着くと、二家族、8人が迎えてくれた。
「さあ、さあ、炬燵に入んなさい」とおばあちゃんが言う。
豆炭コタツだ。電気の代わりにろうそくを灯した。
配給のおにぎりや肉炒めを、味噌汁や漬け物までそえて、
「食べて行きなさい」という。
夜行バスで帰る私を気遣って、精一杯のもてなしをしてくれるそのご家族に
なんと応えてよいのか、戸惑った。
が、私はご好意をそのまま受けることにした。
それに応えられるだけのたくさんの感謝を、きっとここで返そうと思った。
そして、少し離れたバスの発着所まで、ご自分の車で送ってくださるという
佐藤本部長。小一時間かかる道のりを、里館ご夫妻も同乗して、送り届けてくださった。
つい先日まで、ガソリンがなく、やっと20リットルの給油を受けられたばかりだ、
ということを、持ち帰った地域のチラシで知った。
思ってもみなかったこの温情に触れて、私の願いはさらに深くなった。
外に出ると、晴れ渡った真っ黒な空に、振り落ちてきそうなほどの星々。
「なんと今日はきれいだねぇ」と里館さんが空を仰いだ。
ため息が出るほどの美しさは、何となく悲しくもあった。
「また来るかね?」と聞かれて、もちろんだと応えた。
握手した手のぬくもりは、一生、忘れられないかもしれない。