今年1番がんばったことは?

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1年前からの繰り返しになるが、私の子供からの夢は仙台で生活することだった。
 
仙台で生活を継続していくためには、仕事をすることは必要不可欠である。
 
そもそも仙台に叔父(母親の兄)以外の知り合いがいなかったため、ハローワークと相談して職業訓練に申し込み、年明けに面接をするところから1年が始まった。
 
そして、Word・Excelといった履歴書に書けるパソコン資格を取り、無事に3ヶ月を終えることができました。
もともと私は事務職を希望して仙台での生活を始めた。しかし、40の事務職未経験は希望の仕事に就ける可能性が低いと言われ、過去の経験から宅配ピザの仕事に就いた。
土地勘が全く無い地域で音を上げたが、ある程度土地勘がある旭ヶ丘地域に異動したことで、前より仕事が楽しくなっていった。店長もいい人だったし。
 
上司のアドバイスを聞いて精神障害者手帳を申請し、障害者枠での就職活動を始めることにした。
本当だったら、働きながら空き時間に就職活動するつもりでいた。ところが、9月になって旭ヶ丘の店舗を閉店することを知り、無職になってから本気になって就職活動を始めた。
 
ハローワークが主催する障害者雇用の面接会に行きました。求人情報誌が取材する企業説明会にも行きました。本気になって就職活動したのは初めてだった。
 
生命保険の解約金50万円が尽きるまでに何とか仕事に就きたかった。けど、やれどもやれども企業からいい返事が頂けず、ハローワークや障害者就労支援団体に相談したことが何度もあった。
 
その障害者就労支援団体から、「私的取扱説明書」的なプロフィール作成のアドバイスを受けた。後日、コピーしていた医師の意見書をもとにネットカフェで作成し、ハローワークにて清掃業の求人を見て翌日に面接。履歴書・精神障害者手帳のコピーと一緒にプロフィールも提出した。
 
翌日になって「もう一度会えませんか?」と連絡が来て翌日再面接。エリアマネージャーを交えての面接だった。そこで仙台市内にある病院でゴミ回収の仕事を勧められた。早朝の仕事で、始発の地下鉄に乗らないと間に合わないわけだが、背に腹は変えられない。
 
そして1週間後に内定の電話をいただき、2日後のオリエンテーションから再び勤め人生活となった。
 
そして4日間の研修を終え、3連休後に早朝4時30分起きの始発通勤による生活が始まったのでした。
病院に配属されてから1ヶ月半になりました。覚えなければいけない仕事はまだまだあります。けど、現場責任者から真面目な仕事ぶりを評価されていて、それが自信となって仕事を続けられています。
 
本日が外来診療の年内最終日ですが、私はあと2日勤めて仕事納めです。2日休んで1月2日から再び仕事が始まります。
 
休みが2日しかないので、今までのように「連休に向けて仕事を頑張ってきた」といった感じが無いのが現実であります。
 
25日が給料日でした。入社してから初めての給料日。生命保険の解約金が尽きる前に仕事が決まり、今月は消費者金融の過払い金が入金されましたので、物価高の世の中ですが余裕のある生活がしばらく送れそうです。