人工知能を語るシリーズ第3弾。
人工知能は、桁外れの計算能力、無限に増設可能な記憶力、思い込みに囚われず同じ失敗を繰り返さない学習能力の高さに加えて、
人間にしかできないと思われていた、明らかに有効でないパターンの計算を捨てる引き算思考や、学習した結果を他の分野に応用する汎用性までも手にしようとしていると言います。
では、その非の打ち所がないように見える人工知能が人間に取って代わる日が来るのでしょうか?
ただ、人工知能にはいくつか問題があると言われています。
一つは、人工知能がどのように考えてその結論を導き出したのか、という過程の部分がブラックボックスになっていることです。
大量のデータを読み込ませて、桁外れの計算能力で結論を導き出すと言われても、なぜその結論に至ったかという説明が納得できるものでなければ、ちょっと信用できませんよね。
また、人工知能には恐怖心がないと言われます。
なぜなら、人間だったら経験上あり得ないような判断や、本能的に拒否するような判断を、何の恐れもなく選択するからです。
大量なデータから計算した結果によると、その判断が最も確率が高いと判断したからと言って、本能的に拒否するような選択肢を提示された場合、人は躊躇することでしょう。
人工知能がこのような問題を抱えているならば、かつて天才と言われた科学者の発明が理解されなかったのと同じように、社会に受け入れられるには長い時間が必要になるのではないでしょうか。
◯◯と天才はアレと言いますからね…
例えば、エンタメの世界のように何が正解か分からないような分野で、人工知能がヒットを生み出せるのかと言うと、ちょっと考えづらいですよね。
そして、ガンの治療法を昆虫研究から着想するといった、偶然のような発見を人工知能ができるのかも疑問です。
つまり、数学の方程式のように、正しい解法が決まっていて、正解への道筋が経験と計算で導き出せる分野については、人工知能にすべてを任せられるようになる可能性があるものの、
なぜその答えに至ったか人間が納得するような説明ができるか、人の心を動かして共感を与えるような物語を作れるか、といった人によって意見が分かれる分野を人工知能で解決するのは難しいように思われます。
仮に人間よりも正解に近い答えを出せる確率が高いとしても、その答えに人間が納得できない限り受け入れられることはないと思われるからです。
ただ、全てを任せることはできなくても、人工知能に任せた方が正確で早い分野が存在するのは確かで、遅かれ早かれその分野に関しては、人工知能に任せられて行くことでしょう。
そうなった時に、人は人工知能とどう役割分担して共存していくべきなのか、次週はその方向性について考えを巡らせてみたいと思います。
今回も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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