ウー!マンボウ!

朝日を浴びた 棕櫚の木々

まぶしい横顔 君を連れ

風に押されて街へ出た

一番街の人混みで

はぐれぬように君を追う

回転木馬の ような君と僕


マンボウ!



藤白坂を駆け上がり

見渡す景色 光る海

楠木そよぐ風が吹き

風鈴の音(ね)に 夢心地

強く生きてとお守り交わし

ココでサヨナラ、ジャスコで会おう

マンボウ!



漆器のように 艶やかな

くちびる恋し 黒牛の

お酒に火照る 白い肌

面影残す 黒髪の

雨の雫を そっと拭き

和傘が咲いた 下駄市の夜


マンボウ!


新幹線後ろ新幹線真ん中新幹線前
ご当地ソング
勝手に作詞しました〜

天彦に捧ぐ。


皆さまにも紹介します。

海南市は棕櫚から作るタワシ等の
家庭用品が地場産業です。
(食器スポンジを買う時に
製造元見てみてね)

棕櫚が育つ温暖な気候。
海沿いの土地で
太陽の光が白くて風がよく吹いてました。


海南港付近の港は
富士興産などのタンクや
火力発電所など、周辺に
花王や住友金属などの大きな工場もあります。

市内の港は昭和40年に国際拠点港湾として
指定されてます。

ちなみに
下津港は紀伊國屋文左衛門が江戸に
みかんを運んだ港です。


昭和40年後半生まれの私の知る海南は
活気がありました。 
ショッピングセンターココやジャスコ。
一番街商店街もあり、中高生は
回転木馬という服屋さんで
洋服を買ったものです。
今はもう無いのかな?あるのかな?
(いい加減なご当地ソング)


藤白坂の上に
熊野古道の入り口、藤白神社があります。
御朱印は過去に載せてます。

中大兄皇子が若い頃の時代 
有間皇子は謀反の疑いを持たれ
ここで最期を迎えました。

その時に
不幸は自分だけでよい。若者は己の
命を精一杯生きるよう望んだとこのと。

 
1946年、昭和南海地震で
大きな津波が起きました。


人々は藤白坂に登って
飲み込まれる街やお墓も流されるのを
見ていたそうです。
うちの親族も近くに住んでいたので
ここに登り助かりました。
まさに命を繋いだ神社です。

また藤白神社では
風鈴まつりも行われているようです。



徳川に献上していた紀州漆器や
和傘も伝統工芸品です。

日本酒の醸造メーカーも
いくつかあります。
今回は黒江坂の酒蔵から
名酒、黒牛を登場させました。


海南と言えば、自然博物館にいた
マンボウも人気がありましたので
海南マンボウ!

マンボウのリズムでお願いします。

そんな海南を舞台に

若いカップルが別れた後
それぞれの人生を生き
何年か後に大人になり
再会したストーリーとなっております。