こんにちは。

 

賢く強くしなやかに輝く女性のためのライフコーチ秋山のりこです。

 

私の歩んできた人生は家族や周りの人に恵まれ、平凡で安全、平和で豊かなものでした。

 

恵まれてるが故の多少「自分探し迷子」なところもありましたが、

 

もともと器用で勉強も普通程度に出来た私は、

 

学校でも受験でも仕事でもプライベートでもさほど大きな挫折をすることなく生きてきました。

 

そんな私の自信が徐々に崩れだしていきます。

 

自己紹介の続きをどうぞ。

 

 

 

熊本県で育った私は、国立大学法人熊本大学で大学職員として社会人生活をスタートさせました。

 

その4年後、とあることをきっかけに県の外核機関である一般社団法人へ転職をします。

 

そこで仕事を通じて夫と出会い、結婚し、彼の転勤により結婚3か月の時に静岡県に移り住むことになりました。

 

31歳で結婚したので、当時の女性の平均初婚年齢よりは少し遅かったのですが、

 

そのころの私はやりたいことはやれていたし、欲しいものは手に入れることができました。

 

自己肯定感も結構高かったと思います。

 

しかし、そこからそういう自信がだんだんと打ち砕かれていく経験をします。

 

結婚当初から夫は子どもを欲しがっていました。

 

私はもともと子供好きとは言えない性分でしたが、

まぁ結婚した以上は子どもは生むんだろうと思っていました。

 

月のモノも毎月きちんと来ていましたし、生理痛が重く婦人科にも行きましたが何の問題もないということで

すぐに妊娠するだろうと思っていました。

 

 

ところが、結婚して1年たっても2年たってもかすりもしない。

 

30歳をとっくに過ぎて高齢出産、卵子の老化というワードがちらつく中で、何度か病院を変えながら

 

期待して落ち込んで、期待して落ち込んでを毎月繰り返し、トイレで何度も涙をこぼしていました。

 

夫にも私にも何の問題もないといわれながら、なぜ妊娠できないのか…。

 

女性としての自信が日々砕け散っていくのを感じていました。

 

年齢が上がるにつれ、本能や受け継がれてきた遺伝子の叫びもあったと思いますが、

何よりも愛する夫の願いを叶えたい。

そして愛する人の子供が欲しい。

私は子どもを切望するようになっていました。

 

35歳を過ぎて夫と相談して遠くの有名病院へ転院を決め高度治療の末、36歳でやっと長男を授かりました。

 

 

やっと子供を産めた!

 

 

喜びも束の間、今度は母乳育児の壁にぶつかりました。

 

30分間まるでミシンで縫われているような刺すような痛みに耐え授乳をしても5gしか増えない体重。

 

助産師さんたちにモミに揉まれても、3か所からじわ~とにじむ程度にしか出ない母乳。

 

加えて、お乳を吸われるたびに、とてつもない絶望感と焦燥感に襲われる謎の現象(のちに不快性射乳反射と判明)。

 

私の胸には子供を育てるだけの力はなかったのです。

 

妊娠できなかっただけでなく、今度は子供を育てるための母乳すら与えられない。

 

ミルクでも十分子どもは育つ。

 

そんなことは判っていました。

 

それでも私の女性としてのプライドや自信はどんどん擦り減っていきました。