知床峠を目指して羅臼の道を走っていた

時のこと。Jの番屋という食堂に入って、

昼ご飯を食べていたら、女将さんが、

「今、食事をしている皆さん全員の食事

代はこちらの男性の方がお支払いされる

そうです。」と言って、そして、その男

の人は精算をして、店を出ていこうと

しているところでした。

私は慌てて、女将さんのところに行き、

「なぜですか?」と聞いたのですが、

女将さんは理由を聞かないでほしいと

男の人から言われているとのこと。

私は店の外に出て、その人に、まず

お礼を言い、でも、どうしてですかと

尋ねました。

男の人は「あることがあって、自分は

大金を得た。今度はそのお金をいろんな

人に還元したい。それ以上のことは

聞かないでほしい。」とのことでした。

せめてお名前だけでもと言ったのですが

その人は、黙って微笑み、車に乗って

走り去っていきました。

私は店内に戻って食事をしながら、

「どんな方法で得たお金か知らないが、

見ず知らずの人にこのようなお金の使い

方はできるものなのだろうか。」と考え

ながら、とある映画を思い出しました。

 

20年前以上前に上映された、Pay forward

というアメリカ映画。

中学の先生から「もし自分の手で世界を

変えたいと思ったら、何をする?」という

課題に、13歳の生徒は、「自分が受けた

善意や思いやりを、その相手に返すので

はなく、別の3人に渡す。」と答えます。

そして少年は善意を受けた人たちが、

それぞれまた別の3人に善意を施すこと

ができたら、「善意のバトンは次々と

広がり、世界は大きな善意の輪に包まれ

ることになるのではないか。」と夢想し

ます。

 

羅臼の食堂で食事代を支払った男の人も、

映画の主人公トレバーと同じように、

善意を受け取った人たちが、別の人に

バトンをつなぐことを夢想したのでは

ないか。

世の中を変えるほどの力はないかもしれ

ないが、善意の輪をつなぐことはできる

と考えたのではないか。

だから、私も、知床峠を越え、車を進め

る中で、小さいながらもそのバトンを

渡さなければならないと思い、旅を続け

たのでした。

 

知床から斜里へと向かう途中、天に続く道というところがあって、道の起点に立つとその先の道はゆっくりと下降し、そこからゆるやかに天へと向かって上がって行って、道を伝って行くと遠い知らない土地へ連れて行ってくれるような気持ちになります。そんな天に続く道の先の天国だと思われる場所はどんな所だろうと追いかけて行ったら、普通の小さな町だったことを発見し、天に続く道の先はごく普通の町だったことにため息をつきながら、でも、これで良かったと安心をしました。何の変哲の無い普通の町、そこが天に続く道の終点でした。北海道の片すみの小さな町の外れに天国に続くだろう場所があるかと、期待と小さな不安を持ちながらここに来て、この道の本当

の姿を見ることができて良かったと思いました。

台所から小さな歌声が聞こえてくる。何の曲かわからないほど

小さな声で、何かの歌を口ずさんでいる。


近藤紘一は、「目撃者」の中で清らかで美しい一文を書いた。


そっと台所をのぞくと、君は道具を洗いながら鼻歌を歌っていた。
君は、歌を聞くのが大好きで、学生時代もよく吉川や神谷に、

何か歌って、とねだった。だが、自分では音痴をはずかしがって、

けっして人前では歌わなかった。
その時、君は、誰もまわりにいないと思って、一人でそっと歌っていた。
歌声は小さく、何のメロディーか聞き取れないほど、遠慮がちだった。
ドアのうしろにかくれて、僕は音をたてずに君の歌声を聞いた。そして、
少しでも長く君が歌っていたらいい、と思った。


近藤紘一が願ったように、清らかで美しい歌が今のこの世にも、

そっと聞こえてくるといいと、私も思った。