知床から斜里へと向かう途中、天に続く道というところがあって、道の起点に立つとその先の道はゆっくりと下降し、そこからゆるやかに天へと向かって上がって行って、道を伝って行くと遠い知らない土地へ連れて行ってくれるような気持ちになります。そんな天に続く道の先の天国だと思われる場所はどんな所だろうと追いかけて行ったら、普通の小さな町だったことを発見し、天に続く道の先はごく普通の町だったことにため息をつきながら、でも、これで良かったと安心をしました。何の変哲の無い普通の町、そこが天に続く道の終点でした。北海道の片すみの小さな町の外れに天国に続くだろう場所があるかと、期待と小さな不安を持ちながらここに来て、この道の本当

の姿を見ることができて良かったと思いました。

台所から小さな歌声が聞こえてくる。何の曲かわからないほど

小さな声で、何かの歌を口ずさんでいる。


近藤紘一は、「目撃者」の中で清らかで美しい一文を書いた。


そっと台所をのぞくと、君は道具を洗いながら鼻歌を歌っていた。
君は、歌を聞くのが大好きで、学生時代もよく吉川や神谷に、

何か歌って、とねだった。だが、自分では音痴をはずかしがって、

けっして人前では歌わなかった。
その時、君は、誰もまわりにいないと思って、一人でそっと歌っていた。
歌声は小さく、何のメロディーか聞き取れないほど、遠慮がちだった。
ドアのうしろにかくれて、僕は音をたてずに君の歌声を聞いた。そして、
少しでも長く君が歌っていたらいい、と思った。


近藤紘一が願ったように、清らかで美しい歌が今のこの世にも、

そっと聞こえてくるといいと、私も思った。

毎年夏になると、ベランダの山椒の木に、蝶々がやって来る。

山椒の香りに引かれるのか、まわりの他の花や葉には目も

くれず、どこか良い場所を探しているかのように、山椒の葉の

周囲をゆっくりと飛び回っている。


夏が終わる頃、気が付くと山椒の葉には、1匹か2匹の青虫が

育っていて、毎日、せっせと山椒の葉を食べて行く。

そして、青虫が大きく育った頃、その成長を待っていたかのように、

小鳥が来て青虫を食べて行ってしまう。

我が家の山椒には、毎年、こうして青虫が育ち、鳥がそれを食べる

という小さな連環が繰りかえされて行く。

それは自然界にあって、どこでも行われるごく当たり前の営み

なのだろう。


昨年の夏の終わり、山椒の葉が少し色づき始めたある朝、

1匹の小さな青虫が山椒の葉の上にいた。

今年は蝶々は産卵しなかったのかと思っていた矢先のことだった。


青虫はひたすら葉を食べているのだが、季節はもう秋に向かって

いる。日に日に、葉は少しずつ枯れて落ちていき、青虫が成長し

さなぎになるまで、葉は残っているだろうか、そんな心配をしな

がら、毎朝、青虫の様子を伺っていた。


ある朝、山椒の木を見たら、ほとんど葉が無くなっていた。

前夜の強い風と雨で、どうやら葉がほとんど落ちてしまった

ようだった。

そして、青虫の姿も見えなかった。強い風で木から落ちたのでは

ないかと思い、周囲を探したが、見当たらなかった。

やはり今年も鳥に食べられてしまったのだろう。

まだ大きくなってはいなかったが、葉の無い木の上で、簡単に鳥に

見つかってしまったに違いない。

仕方がないことと思い、青虫のことは忘れることにした。


3日程経った少し肌寒い朝、木々に水をやろうとベランダに出て

みると、排水溝の近くに青虫がうずくまっていた。

やせ細ってはいるが、まだ生きていた。

慌てて、青虫を山椒の木に乗せた。

しかし、山椒の葉はほとんど残っていない。

何かの本で、青虫は香りの強い葉を好むと書いてあったのを

思い出して、市場に行って大葉を買ってきて、山椒の木に

くくりつけた。

しかし、青虫はその日も、翌日も、その次の日も、木にしがみついた

まま大葉を食べようとはしなかった。


青虫はさなぎになって、ひと冬を越えられるほど葉を食べていないし、

体力を持ってはいない。このままでは餓死するかと思われた。


ある朝、青虫の様子を見ると、口から少し糸を出して、木に

かけているようだった。しかし、体力があまり残っていないせい

だろうか、糸の量は少なく、強い風が吹くと、切れて飛ばされて

しまいそうな心細さだった。

青虫は、なんとかさなぎになって、翌年の春を目指そうとしている

ように見えた。


秋風が少し強くなった頃、青虫は濃い緑色から茶色になっていき

それからしばらくすると、やせ細ってミイラのようになった。


青虫はさなぎになることはなく、口からわずかな糸を出し、枝に

しがみついたまま息絶えていた。


私は、青虫を山椒の木の根元の土に埋めようとした。青虫を枝から

取り外そうとすると、糸は意外な強さがあって、簡単には引き離れ

なかった。糸の強さは、青虫が息絶えるまで、力を振り絞り続けた

証なのだろうと思われた。


今年も春が来て、山椒に新しい芽が出できた。

これから夏に向かって山椒は数多くの葉を付け、また蝶々が

飛んでくることになるだろう。


新芽を見て、それから木の根元を見た時、私の胸に小さな痛みが

走った。