自分の心が傷つくってどういうことだろうか

 

確かに数年前まで傷つく出来事はいっぱいあったはずですが

そのたびに傷つくってどういうことだろうかと分析する人間だった

 

 

ちょっと待って?

傷ついた~という言葉を使って感情の代弁者にしていたのかもしれない



 

自ら人の輪に入れない人生だったが

なんだかんだと人と関わっているから孤独ではない

 

学生時代に仲間づくりがへたっぴーでぽつんとしていた

仲間欲しいなぁ、いいなぁ~社交的な人はキョロキョロとは思ったが、孤独と感じなかった



 

特別な才能もコミュニケーション力もない自分

色気もないし、もてないし、取り柄がないと思っていた

無駄な抵抗して、何とコピペしながら人格を変えようとしたが、いつのまにかぐるぐるしながら元に戻ってしまうのだ


 

でも孤独ではないし、傷ついてもいない

 

 

 

答がわかった

 

 

 

ずっと昔から

自分と話していたからだと思うのです

1人じゃないのです


 


心がズキンと痛んだ時、悲しみ、怒りがあらわれた時、人は傷ついたんだと感じる


なぜ傷ついたのだろうか

何が嫌だったのかと考えたら出来事に反応しただけだ

私自身は傷ついた感覚だけで傷ついてはいないと結論づいたのです


 

キラキラキラキラキラキラ


暮れに友人の家に行ったとき

引きこもっている息子さんがいた(親が言うほどひきこもってはいない)

 

子供に注意したら

手のひらを親にむけて


「黙れ!」

といって部屋から出て来なくなったそうだ

息子の事は諦めていると言っていたショボーン

 

彼女は息子に黙れと言われて

親として無価値のような感覚になったのだ

いたく傷ついていた

悲しみ、怒りが自分の心を傷つけるのだ

 

 

 

私の話に戻るが



親子の悩み相談をされるたびに、公開処刑のように私の失敗談の娘の話をして笑わせています

 

私の娘はこんなことを言うのです



「お前が嫌なんだ!」という言葉を突き付けてくるのです

 



娘が小学2年生で初めていわれました

最後は27歳の昨年の春です

 

 



「部屋を掃除しなさい

ペットボトルを片付けなさい

お金のこと」を伝えた時です

家でやっていることは外でもやっているという私の持論があります

 



チっと舌打ちを打って「お前が嫌いなんだ」と言ってきました

 



当然感情としては

「親に向かってお前とは!」と悲しい気持ちになったのです


でもすぐに気持ちが変わった


私は心に思っても

親に言えなかった

親を傷つけてはいけない

我慢する


そんな自分の真逆なことをしてきたのだ


 

嫌だーーそれ、お前は嫌なんですけど…


距離が遠くないですか?なんか寂しいーー




暴言を吐いた娘がタオルケットを顔に覆ってました


 

タオルケットをかぶっている時点で私の勝利です

クスッと笑ってしまいました


私が出来なかったことを娘がしてきたのだ

心の隅に

“嬉しい”と感じた

 

 

出ていけと言われても

出ていかないと部屋に入っていきました

 


「お前が嫌いなんだといって自分の心を傷つけているのは○○だからね」

 


「自分の怒りを親にぶつけることはいいことだけど他人にぶつけちゃだめだよ」

 

 

私自身、間違いはありますよ

反省はするけど、後悔はないのです

 


あら、やってしまった

と思いながら何度も繰り返しています

 


とにかく自分を

「私はダメだ、失格だ、力がない人間だ」などと責め立てることはしていません

 

未知の経験を積んできた今が最高の時だと思っています

 


今日も同じ様な繰り返しのように見えて、新しい体験がやってきますからね

 



傷つく

相手の考えと自分の考えをごっちゃに入れこまないことです

私のワールドで楽しく生きていく一年にしていきます

 

 

娘ですが

たまに電話の声が聞こえてくることがあります

友だちならば楽しそうに笑い声が聞こえます

 

会社の人ならば

丁寧に対応しています

 

 

耳が悪い癖に

隙間から聞こえる声に安堵している私がいます

 



一喜一憂している私がいるんだなぁと感じてますよ

 



とにかく

毎日色々あるけど楽しむことです

 

望みを、欲求をフルに叶えていきたいと

姪や姉と話をしていました

 

 

皆さんの望みは何ですか?

 



今月来られる方に聞いていきますね

 

今月は

18日から29日です

お待ちしていますね

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