友だちとお茶をしてきました

 

 

一人行動だったので久しぶりに人間と喋ってきました

楽しかった

 

 

外は太陽がまぶしくて

少し薄着で出かけたら寒かった

駅ナカはパステルカラーのお洋服がたくさんショップに並んでいました

欲しいなぁ〜目移りしそうだった


 

欲しいと思ったけど

直ぐに春が終わって初夏だ!などと貧乏くさいことを考えていた

 

 

お友達たちは仕事を辞めていた

バタバタと慌ててバスに乗って職場に行く生活から解放されたのでした

自由になったぞ!と喜んでいたのに

今や退屈になったんですって

 

 

自由になるお金も時間もあるのに

なぜかどこも行きたくないらしい


以前はゆっくりと読書がしたい、映画がみたいといっていたのでした

読書も映画も…心が動かないらしい


スポーツも続かない


時間だけが過ぎていく

「もう4月になるよ」とざわめいていた

 

 

制限された時間から人間関係から解放されて幸せだぁと手足を伸ばすのもせいぜい3か月だ


使い方がわからない自分の生き方と向き合う時間が多くなるのだ


相変わらず時間を追いかけて焦っていたのでした


ぐちぐちと女子トークで盛り上がった

 


時間を忘れる時間が必要だ

 

 

私たちは自分のことを本当に知っているのだろうか

 

手にしていないものを欲しがっているのです

 


自由はお金でも時間でもない

心が求めていることに鈍感で、締め付けがあったら不自由である

 


別れた後

私はひとりでお寿司屋さんに入った


昼食時に入らなけばよかった

少し後悔した

カウンター席に座った

 

 

12月に娘が事故を起こした車が板金屋さんから戻ってきて、今はディーラーさんで

車検とタイヤ交換を行うことになった


娘にお金がないことは知っていたので

これが最後と大金をおろしてきた

(事故修理代金はポーン


財布があったかくてお札が笑っているように感じた

 


そうしたら

お寿司食べていくかぁと思いついたのだ

すし哲さんに入った

 


塩釜物語は穴子が入っていた

穴子は苦手なので

巻物が入っている松島物語にしました

意外と少食なので充分満足しました

 





あー美味しいーーょ

目を閉じて味わった

これぞ自由だお願いお願い

 



食べ終わってお茶をすすりながら考えた

 

“お愛想お願いします”と言うのだろうか

お愛想は本当は間違っているという話を聞いたことがある

 


では

“お会計おねがいします”と言ったほうがよいのか

 

目くばせがよいのか

 

手を挙げたらよいのか

 

ぜんぜんスマートじゃない自分がいた

手慣れていない

 


ドキドキしながら

手をあげたら

”はい!”とそばに寄ってきてくれた

 

15分くらいで暖簾をくぐって帰った

 

 

私にとって冒険だった

 

 

帰りに書店に寄ってきました

 



購入するつもりはなかったのに購入しました

『あやうく

一生懸命生きる

ところだった』だって!



地下鉄の電車の中で

笑いをこらえながら読んだ

早く家に戻って

コーヒー飲みながら読みたくなった


 

途中のスーパーの前に焼き芋を売っていました

「石焼き芋1個くださーーい」

 

店員さんが「ちょうど1個で終わりでした」と笑っていました

 

 



 

旨すぎです

 




この自由さ

有難くいただいている

天国です流れ星流れ星


気持ちはこんな感じ