夫婦の離婚問題とか

親の問題とか

 

 

こちらの言い分とあちらの言い分があります

 

 

どちらもリアリティーをもって話をするのです

自分側からの景色です

 

 

正当化する言い方をすればするほどこじれます

 

 

 

自己主張…私が…と主張すればするほど

自分が苦しみます

相手は反撃にでます



間違っていないと思う、思おうとすると

向こう岸には相手の言い分の正しさもみえてくる

 



ある方は



親にこんなことされた、あんなことされた

私は悪くない

正しさを強調して実母を非難してきたが、亡くなったら

自分が素直でなかった

謝りたい

今、色々な問題が起きてるのは私の生き方が悪かった

バチが当たった



こんな話はよくあります



バチは自分があてるのよ!と言います

間違えてない、頑張ったよと言うと落ち着きを取り戻します






私たちは

平和を祈れば祈るほど

苦しみ、不安も同時に抱えることになる

 

 

健康を祈れば

不健康になる恐れを抱いてしまう

 

 

昔、祈る時に

今手に入ったことを祈りましょう

と言われても眉間に皺が寄るほど嫌ーーな感じがしたものだ

そう思えていない現実があるからだ

 

 

今ならば理解できる

 

 



 

言葉には思いのパワーがある

 

 

 

 

 

 

 

現実の仕組みが

有難いなぁという思いが

すでに”ある”という有難さで

過去形の祈りになるからだ

 




将来○○になって欲しい

将来手に入れたい

ではなく

たった今、それが手に入ってる

すでにあると信頼するエネルギーパワーを感じて

受け取りましたという感じでしょうか

 



 

これが世の仕組みです



 

 

なぜ空が青いのか

海の水は塩っ辛いのか

なぜ私たちは地球から落ちないのか

幼いころに誰もが疑問に思ったにちがいない

今ではきちんと説明できる大人になっていることにしましょうかグラサン

 

 



子供の頃は

そういうものだ

そんな事を質問したら嫌がられた

そのうちに

空気を吸うように疑わなくなった



呼吸も疑わない

物は手を離せば落ちる

当たり前の仕組みだ

 

 



祈りさえ

 今を有り難く“ある“という祈りが今の幸せの仕組みだ




”ありがとうございました

今手元に受け取りました”

 

これが定着できたら幸せになるでしょうね

 

 

 

自己の主張から脱線しましたが滝汗

 



自己に偏りすぎると

罪悪感となって苦しみを抱えてきます





丸レッド丸レッド丸レッド丸レッド丸レッド


スーパーに行ったら

鮎がありました


小学生のころ

親戚の簗場に行って従姉妹たちと遊び、父が美味しそうに鮎酒を飲んだり、塩焼きを食べたりした情景が浮かんできました

幸せだったこともあったてへぺろ

その時着ていたワンピースまでも頭に浮かんでニヤニヤしてきました

家で甘露煮しよ!と決めました



鮎を見て

過去と現実と未来が一瞬に見えたのです

 

 

 

 


内臓苦いので取り出して


圧力鍋へ



 この段階では骨まで食べられるので

後は追い味醂で照り出し汁がなくなるまで目を離せません