2月3日の節分前にやることがあります
ますます自分と統合するか
分離するかにわかれます
それは自分を知ることです
そして信頼することです
と
ある方に言われました
私もそう思いました
それをなんとなく
皆さんに伝えていたりいなかったり
しかし言われるまでもなく個人でやっておられる人たちが
なんと多いことか
Nさんは
伝統を重んじ
親からのしつけを守り
神仏を一途に守っていた方です
これはこれで間違いはないのですが
問題があるたびに
私の何が悪いのか
神さまご先祖の怒りを買ったのだろうか
神は何を教えているのだろうか
修行だろうかと
とてもがんじがらめに生きておいででした
おじい様が
修験者のように
修行され、仏を彫り
家にたくさんありました
そんなこともあり
粗末にできないと大事にしてきたのです
我が家もこんな感じでしたから
この固定観念をばりばり砕くのに大変でした
なぜ我が家に問題がでるのか
私が何をしたというのか
次から次へといろいろな課題がでてくるのです
ブログでも書いていましたが
神様さわるな
仏ほっとけ
念をいれて祈らず感謝だけでいいのですが
問題を外側にもってしまうので
すがってしまうのです
自分の内側が変わらなければ現実が変わらないことに気づいたのでした
もう一人
Tさん
彼女の葛藤は生まれたときからでした
3年ほど毎月きてくれてます
4人の子供の一人が障害がありました
目を離せません
ストレートに感情をだします
親の心、他人の心を感じ取るのです
親がイライラしていると
腹の立つことをするのです
眠らせてくれない
仕事もできない
生活ができない
さてどうしたものか
八方ふさがりはないのだ
意識にも段階があり
すぐに変化する人
怒りが増す人
落ち込む人
色々あります
手をつなぎながら私も一緒に意識を上げていきました
今への意識へ引っ張っていきました
今が変われば
終わった過去が変わります
三年前まであった親への憎しみ、自分がいることへの悲しみは消えました
感謝がわからない!と言っていたTさんは
涙が出るようになりました
親への感謝がでてきました
最後の関門です
施設への入所ができたら
Tさんの願いはそこです
どうしたらよいか
彼女は言った
生活保護を受けながら
子供をみている人はたくさんいると
でも
私働きたいのです→Tさん
そして〇〇という施設が希望です
その施設には去年断られたのです
いい子にしていたのですが
やはり重度で歩き回るということらしいです
スタッフの手が足りないのが実情です
市にも相談、施設にも相談
すがっても頼んでもどこも受け入れてくれません
これを聞いた私は本当にがっかりしました
福祉の手が足りない現状を何とかならないだろうか
では
私ができることは
少しでも気持ちが楽になることです
では
瞑想しましょう!
瞑想は
何も考えないということではないのです
浮かび上がった考えをそのままにして
呼吸に意識をむけるだけです
あらがっていた自分が少し楽になることに気づくだけです
楽になったときに
どうする?と自分に聞くのです
ゆっくりですが
自分の意識が変化してきます
そして
100%無理と言われた
今まで扱った経験がないからと断られた
希望していた◯◯施設から
奇跡が起きました
天が動いた
意識が動かした
今日はこの二人の報告に
私もまけないぞ
よーーしという気分になりました
ジタバタした時は
呼吸ですね
二月も瞑想会しますよ