こんな感じの表現がありました

ダウンダウンダウンダウンダウン



罪悪感を持ってしまう人は良い人が多い


そんなことを思ってはいけない
きっと私の学びだ‼️
修行だ‼️


だから
罪悪感をもつために嫌な人を登場してもらう現実が必要だと言ってます





どうでしょうか



私の姪が夫婦関係で悩みをブログで吐き出していました
もちろん嫌な方はスルーしてねと付け加えてます
それがアメトピで紹介されて
小さな町の人口くらいの◯万アクセスです

本人も驚きです


コメント欄には共感している人達が滝汗
よくわかります
私の夫も!とか
早く離婚した方がとか



姪のブログは唯一彼女が吐き出し、ほっとできて、頑張っていく場所であるが
ネガティブな伝染となり、読んでいる人がほっとしている人もいれば、同じような立場の人が自分の夫と重ねて怒りを感じているようだ




それもあってか
だんだんあの明るい素直な姪から離れてきて
感情の22段階の罪悪感、失望、絶望、悲しみ、怒りなど
うわーっ
低〜って感じられる感情のバイブレーションになってきた

夫が何をしても悪くとってしまう
その感情のメガネからみているからだ

私は姪の話を聞いて
楽になってもらうだけだ
私があーだこーだと言っても
今は感情にしがみついて
現実バリバリ観測しているので無駄である




姪だけではありません
かつて私もそうでした

出来事に引きずられてしまいます
罪悪感や怒りがあると
自分を脅かされるものを排除しようとします



登場人物は

夫?
同僚?
妻?
友人?



自分を好きとか愛しているではなく
もともとソースとつながって誕生していますから
不快な自分を我慢しない


そう感じていい
自分存在許容すると
他人を許せてくる
生命力がでてきます
そうすると観察している見方が変わります



ですから
今の自分が気分がよいかだけ観測するだけなのよね



そして
自分のあるがままを受け入れる
許容するという
創り出している世界は自分であると気づくことです


苦手な人物がキャラクターとして側にいるならば



私、罪悪感ある?
私、過小評価してる?
私、怒ってる?
私、我慢してる?



少しだけ練習いるけど
少しだけ時間かかるけど
みている世界が優しくなるから




トライするのは
どんな自分でも
ありだよね!と過ごしてみる1日にしてみる


キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

自分のご機嫌がよくなれば
人に優しくできるから

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ