仏壇での祈り方

 
 
 
心がこもっていたらどんな方法でもよいと思ってます

 
 


こんなことがありました
あんなことがありました

日常を報告したり悩みを打ち明けたりして心の整理をするところだと思います
 
 

 
以前はお鈴を鳴らして観音経をあげながら
供養をしていたのです

 

愚痴や嘆きは言ってはいけない
それも祈りになるからとお経だけあげていれば供養になり救われると考えていました







言葉は前向きなのに心は嘆きながらですゲロー




先祖供養をしなければ幸せになれないような風潮の時代がありました



 
ある時、これに疑問をもってきました
 
 
 
 
一生懸命に先祖供養をしても苦しみが続きました




供養ってなんでしょう



今の自分が苦しいのは先祖が苦しんでいるからだと信じていました

 
 
逆もいえます




自分が苦しいから先祖が苦しいのです 



自分が笑って日々をすごしている事こそが先祖供養なんだと感じました



心が軽いと自分の人生の良し悪しを誰かのせいにしません



確か



仏ほっとけ神かまうな
なんて聞いたことがあります





素人がわかってるふりせず
ひたすら
日常に精を出し
今を大切に生きなさい
という事でしょうか




ですから


 

懐かしい人が目の前にいるように
日常の話をして笑ったり泣いたりしていいのだと思いました



 
そして

気づきがあったら私にわかる方法で教えてくださいねと言ってあげてください



お話が終わった時は
気分が楽になるとか
よし!といえる自分の切り替えをする場所です
気づかないことを気づかせてもらう場所でもあります




 
 
それは先祖だけでなく
守護霊様(ガイド)も聞いています

 

 
彼らも何も言わなければ手出しができません
あなたはそういう経験がしたいのねぐらいで見ています
 


 
霊性開花のプログラムに参加した時

 
 
魂は花びらのようですと言われました


 
たくさん経験をした魂の花びらのエネルギーが柄杓ですくい上げるように一つになって産まれてきます


だから同じ記憶のある方たちがたくさんいるのですと言われた



例えば
私は徳川家康だった時の記憶があるという人が多数いるということらしいです


 
なるほどねと思いました
 
 


まぁそれはそれとして



 
どうしても苦しいなぁという時は
先祖の中でも先頭に立って引っ張っている先達さまに
どうしたらよいですかね!と質問して委ねる方法もあります



そうすると日常の中で気づきがあります


この気づきが悟りということになるので先達さまにお礼をいいます→古くさいでしょうか





そばにいるような感じがする時が多々あります





昨日は娘と懐かしい夫の話をしみじみしました




車で移動最中に
ここね
お母さんがいない時にお父さんと来たラーメンやだよ


そうなんだ



お父さん、お母さんがいない時になるとお腹が痛いっていってたよ


知らなかった話を娘が話し出した




フワッと夫の匂いがしてきた



昨日は夫の月命日だったのです


こういう懐かしい話が供養になります