生活保護受給者が鰻を食べたい、旅行をしたいなどと訴えて支援者と共にデモを起こしたそうだ。
Xではこのデモ行為に猛批判が集まっている。

しかし私はこのデモを起こした人たちをとても叩こうとは思えない。

叩いている人たちは「普通の人も鰻も旅行も我慢している。なのに働いていない生活保護受給者がそれらを望むのは許されない」という。

だがそう言えてしまう人たちは生活保護での生活を想像したことがあるのだろうか。

私は批判している人に聞きたい。

貴方は生活保護で暮らしている人に会ったことはあるんですか?と。
生活保護の実態を肌で感じたことがありますか?と。

私は友人に生活保護の人がいるし、京子さんの息子さんの例も知っている。

その生活はおよそ人間らしいとは言い難いものだ。

私を昔から知っている人には分かると思うが、私はただ生存出来ていればその人生に満足すべきだ、という考えには反対している立場だ。
ただ食って糞をして寝るだけの人生に満足しろだと?
そもそもそんな人生を人生と呼べるのだろうか。
しかし私の知っている生活保護の人たちの人生はそのようなものである。

贅沢をしたいなら働け。
それは正論だが働けないから生活保護なのだ。
デモをやれるくらいなら働けるだろ、という意見もあるが、働けない理由は体が不自由だからとは限らない。
体が動いても知能が正常に機能しなければ労働などまず無理なのだ。

それに鰻も食えない旅行も出来ない「普通」の人とは一体なんなのか。

はっきり言うが、貴方がたのおっしゃる「普通」のルートで生きていたならそんなことにはまずならない。
実際私はそんなギリギリの生活を強いられている人など出会ったことかない。
鰻も旅行も勿論喩えだが、要は趣味や嗜好品にお金を全くかけられない人など出会ったためしがない。
唯一過去の自分を除いては。
そして過去の自分とは知的障害で上手く生きれず、ほとんど収入のなかった「異常」な世界線で生きていた自分のことである。

そんな異常な世界線で生きない限りは多少の贅沢は絶対出来るはずなのだ。
仮に本当に異常な低収入ならもっと待遇のいい職場へ転職すればいいではないか。
何故それをせずに生活保護受給者がたまに贅沢したいと言い出しただけでここまで叩くのか。
私にはそんな人たちの気が知れない。

繰り返しになるが、生活保護でのやりくりではただ生きることしか出来ない。
娯楽や趣味や嗜好品に触れることはとても難しい。
しかしそういった「美しい無駄」こそが人間を豊かにしてくれるのだ。
私はその美しい無駄なしに人間らしい生活は成り立たないと考えている。

いざ君が生活保護を一生受給しなければいけなくなった時、君は食って糞して寝てるだけで十分ですと言えるのか?

さあ、君はどう思う?