傷口から沁み出る黄色い体液に砂糖をまぶす。
その上に軟膏を塗り絆創膏を貼る。
めんどくさい工程ではあるが、これを何度もやったかいもあり、足の指はもう治療が完了になった。
最初、砂糖を塗りなさい、と言われた時はギョッとした。
傷口に砂糖?
でも先生は絶対だ。
先生の治療に間違いなんてないのだ。
だから素直に受け入れた。
ネットでも傷に砂糖を塗るのは効果的なのか調べたが、抗生物質に代わる治療薬として昔から使われているそうだ。
先生の言通り、砂糖は傷口から出る体液を固める効果がある、ときちんと記されている。
私は先生に砂糖の役割を求めたのだと思う。
境界知能をカミングアウトしたのは、その障害から絶え間なく漏れ続ける膿やリンパ液のようなものを固めてしまいたい、そんな思いもあってのことだ。
単純にずっと世話になった先生には報告すべき、と考えたのも事実だが、あわよくばそれで自分の精神負担が減れば、とどこかで思っていたに違いない。
違いないではなく、その思いはいつだって絶えずこの胸にあるのだ。
そして先生は上手く砂糖の役割を果たしてくれた。
相手を間違えば、それこそ傷口に塩を塗ることになりかねないが、先生は傷を労る砂糖だった。
カミングアウトしたことでほんの束の間、私は心の重荷を降ろせた気がした。
けれど砂糖を塗っても、あとからあとから体液はしみ出してくる。
この傷口は完全には塞がらない。
このブログはだから私にとって砂糖のようなものだ。
傷からじゅくじゅくが溢れ出すと、文章という砂糖でじゅくじゅくを固めて応急処置しているのだ。
誰だって心の中には人に言えない何かを抱えているもの。
人はそれをどう処理しているのだろう。
弱さや愚痴、後ろ暗い本音、そんなものをどう処理するのだろう。
その人なりの砂糖があるのだろうか。
それともそんな気持ちを見て見ぬふり出来ているのだろうか。
いずれにせよ、私は文章という砂糖で今日も傷を処置している。
今日の処置はこれでおしまい。
もうしばらくじゅくじゅくが湧いてこなければいいけれど。