一般クローズの辛い点は障害を理由に出来ない、これに尽きるだろう。

対して障害者雇用であれば障害を権利として就業している為、障害を堂々と理由に出来る。

 

当然障害者雇用であっても仕事上注意を受ける事はある。

しかし相手がそれを障害のせいだと知っているのと知らないのとでは注意される側の心の持ちようが全く異なってくる。

 

障害があると知らない人が私のミスを咎める時、その人は私を

「使えない、何でこんな事も出来ないんだ。」

「普通に考えれば解るだろ。」

「あいつは怠惰だ根性が足りない。努力が足りない。」

そんな事を思っているのだと思う。

 

しかし障害がある事を知ればある程度は「仕方ない」で割り切れるだろう。

またミスを指摘される回数も減ると思う。

 

事情を知らない人間から「あいつはバカで愚鈍な奴だ。」と思われ続ける事は矜恃や威信に関わってくる。

それらがどんどん削られて自分は駄目な人間だと思い込む様になってしまう。

 

駄目な人間なのは確かだがそれは障害のせいだ。

障害者雇用であればそう思う事が出来るだろう。

そしてそこまでの落ち込みは無くなると思う。

 

しかし一般クローズはそうはいかない。

 

ただひたすら自分は駄目な人間だという意識を強め神経を参らせる。

 

こういう時にやはり障害者雇用は楽だとは思う。

ただそうなれば一気に生活レベルは落ち精神的な余裕をなくすのも確かだ。

さらに私の抱える境界知能は軽度知的障害とほぼ同義で下手をすれば最低時給だって貰えなくなる可能性がある。

 

最近ずっと障害を打ち明けたいと思っている。

これを抱えて仕事をする事に限界を感じている。

自尊心がゆっくりでも確実にすり減っている事を感じる。

憂鬱な気持ちが消えてくれない。

 

当然打ち明けたりはしないけれど。

でも時々爆発しそうになる。

「私は知的障害なんです発達障害もおまけでついてるんです、普通の事が出来ないんです。」

と叫びたくなる。

 

ずっとそうやって正気と狂気の間を行き来している。

 

ありのままの自分で生きれない事は苦しい。