知的ボーダーが発覚した際、4人の人間にそれを伝えた。
4人とも割と親しい関係だったと思う。
一人は親友だった人だ。彼女は「お前がまた笑ってくれたら嬉しいよ。」と
いう内容の事をラインで言ってくれたが、それきり連絡は取っていない。
こちらから連絡すればリプライはあるかもしれない。
でもなんとなくできていない。
もう一人はメル友のような人で以前からメンタルの相談などをしあう仲だった。
彼女も自閉症スペクトラムを持っている人だった。
その人とはそれきり音信不通になった。
コンスタンスにやりとりしていたメールが突然来なくなった。
もう一人は職場の人間。別の部署の割と良く話す人。
この人の反応はすごく頭に来た。
始め「でもIQがすべてじゃないし、のんさん普通だし。」とすごく元気づけてくれた。
正直彼女の超ポジティブシンキングは普段から私には眩しすぎて
接していて苛立ちや理解不能さを感じていたが、悪気はないし気にしないようにしていた。
その日は「まあ見当違いなこと言われたけど彼女なりに励ましてくれた。」と思って嬉しかった。
だが次の日、彼女から会社からかなり離れた駅で話を聞きたいと言われた。
「悩んでるみたいだから今日の帰りに話そうよ。」と。すごく嬉しかった。
だがその待ち合わせ場所は会社からも自宅からも彼女の家からも遠く正直行くのは面倒だったが、会社付近で知り合いに聞かれるのもまずいのでそこでOKした。
始め熱心に私の今迄の辛さを聞いてくれた彼女がおもむろに鞄から何か取り出した。
一目で宗教関連の冊子だと解った。
「こういうの好きじゃなかったらあれだけど、私宗教やってるの。私ね〇さんを信じて毎日念仏(?)を唱えてたら病気治ったんだ!だからのんさんの病気もこれやれば治るから!」
と30分に渡り唾を飛ばしながら宗教について熱心に勧めて来た。
あり得ない。
人の弱い心に付けこんで宗教に勧誘するってどうゆう神経だ。
そもそも私のは「障害」であって「病気」ではない。
病気は治る(すべてがではないが)が「障害」は治らないんだよ。
金払ってお祈りして障害が「治る」なら障害者なんてこの世に居ねえよ。
二人にゆかりのない場所で落ち合わせたのも納得がいった
彼女自身が自分の信仰を知られたくなかったのだろう。
それ以来この人とは距離を置いている。
もう一人もやはり会社の人。別の部署の落ち着いた同年代の人。
この人はすごく冷静に事実を受け止めてくれた。
多くは語らなかったが「全然気づかなかった。でも何かのんさんにとって生きやすくなる方法があるといいね。」
と言ってくれた。
こういう普通の受け止め方が一番落ち着くなと思った。
知的障害の判定を受ける事もこの人にだけ話した。
結果も話した。
やはり静かに耳を傾けてくれた。
4人にカミングアウトした結果、知的ボーダーであることは人に話すべきではないと判断して他の人間には言っていない。(まあ言うほど親しい人間もいないけど)
あと先日ある雑談サイトのトピに「知的ボーダーの人話しませんか」みたいのがあった。
その人は知的ボーダーとは何か、どのような事で困っているかを具体的にあげて同じ状況の人と情報交換を望んでいた。
しかしそのトピに対する返信はさんざんなものだった。
そもそも知的ボーダーが何か解らない人が多い。
また困りごとに対し「それが解らないんだったら私も知的障害だわー」
「こんな普通の文章かけてる時点で問題ない」
「ネットできるなら知的障害じゃない」(だから知的障害とボーダー違うし!)
などなど、彼女は知的に問題がないとする返信があいつぎそれらに数百のいいね、が付けられた。
彼女の望む情報交換や同じ立場の人とのおしゃべりは叶っていなかった。
他にもまれに知的ボーダーの人がネットで発信していることがあるがやはり周りの対応は上記と同じようなものだ。
知的ボーダーがいかに理解されていないかがうかがえる出来事だった。
今、発達障害はかなり世間に認知されるようになった。
知的ボーダーも広く人々に知られるようになってほしいと切に願う。
4人とも割と親しい関係だったと思う。
一人は親友だった人だ。彼女は「お前がまた笑ってくれたら嬉しいよ。」と
いう内容の事をラインで言ってくれたが、それきり連絡は取っていない。
こちらから連絡すればリプライはあるかもしれない。
でもなんとなくできていない。
もう一人はメル友のような人で以前からメンタルの相談などをしあう仲だった。
彼女も自閉症スペクトラムを持っている人だった。
その人とはそれきり音信不通になった。
コンスタンスにやりとりしていたメールが突然来なくなった。
もう一人は職場の人間。別の部署の割と良く話す人。
この人の反応はすごく頭に来た。
始め「でもIQがすべてじゃないし、のんさん普通だし。」とすごく元気づけてくれた。
正直彼女の超ポジティブシンキングは普段から私には眩しすぎて
接していて苛立ちや理解不能さを感じていたが、悪気はないし気にしないようにしていた。
その日は「まあ見当違いなこと言われたけど彼女なりに励ましてくれた。」と思って嬉しかった。
だが次の日、彼女から会社からかなり離れた駅で話を聞きたいと言われた。
「悩んでるみたいだから今日の帰りに話そうよ。」と。すごく嬉しかった。
だがその待ち合わせ場所は会社からも自宅からも彼女の家からも遠く正直行くのは面倒だったが、会社付近で知り合いに聞かれるのもまずいのでそこでOKした。
始め熱心に私の今迄の辛さを聞いてくれた彼女がおもむろに鞄から何か取り出した。
一目で宗教関連の冊子だと解った。
「こういうの好きじゃなかったらあれだけど、私宗教やってるの。私ね〇さんを信じて毎日念仏(?)を唱えてたら病気治ったんだ!だからのんさんの病気もこれやれば治るから!」
と30分に渡り唾を飛ばしながら宗教について熱心に勧めて来た。
あり得ない。
人の弱い心に付けこんで宗教に勧誘するってどうゆう神経だ。
そもそも私のは「障害」であって「病気」ではない。
病気は治る(すべてがではないが)が「障害」は治らないんだよ。
金払ってお祈りして障害が「治る」なら障害者なんてこの世に居ねえよ。
二人にゆかりのない場所で落ち合わせたのも納得がいった
彼女自身が自分の信仰を知られたくなかったのだろう。
それ以来この人とは距離を置いている。
もう一人もやはり会社の人。別の部署の落ち着いた同年代の人。
この人はすごく冷静に事実を受け止めてくれた。
多くは語らなかったが「全然気づかなかった。でも何かのんさんにとって生きやすくなる方法があるといいね。」
と言ってくれた。
こういう普通の受け止め方が一番落ち着くなと思った。
知的障害の判定を受ける事もこの人にだけ話した。
結果も話した。
やはり静かに耳を傾けてくれた。
4人にカミングアウトした結果、知的ボーダーであることは人に話すべきではないと判断して他の人間には言っていない。(まあ言うほど親しい人間もいないけど)
あと先日ある雑談サイトのトピに「知的ボーダーの人話しませんか」みたいのがあった。
その人は知的ボーダーとは何か、どのような事で困っているかを具体的にあげて同じ状況の人と情報交換を望んでいた。
しかしそのトピに対する返信はさんざんなものだった。
そもそも知的ボーダーが何か解らない人が多い。
また困りごとに対し「それが解らないんだったら私も知的障害だわー」
「こんな普通の文章かけてる時点で問題ない」
「ネットできるなら知的障害じゃない」(だから知的障害とボーダー違うし!)
などなど、彼女は知的に問題がないとする返信があいつぎそれらに数百のいいね、が付けられた。
彼女の望む情報交換や同じ立場の人とのおしゃべりは叶っていなかった。
他にもまれに知的ボーダーの人がネットで発信していることがあるがやはり周りの対応は上記と同じようなものだ。
知的ボーダーがいかに理解されていないかがうかがえる出来事だった。
今、発達障害はかなり世間に認知されるようになった。
知的ボーダーも広く人々に知られるようになってほしいと切に願う。