第2話は、魔女狩り処刑人PL。
昔、魔女を探し出す方法とやらを本で読んだことがあります。
疑いをかけられた人間の手足を鎖で縛って水に沈めます。
溺れて死んだら、人間だから無罪。
助かったら、魔女だから処刑。
意味無くね?
最初はブラックジョークの類いかと思ったんですが。
僕の拙い知識では、実際の魔女裁判も似たり寄ったりの代物。
国をあげて馬鹿をやっていたと、後になって考えれば判るんです。
それが現実に行われたのが恐ろしい限り。
宗教という言い訳があると、時に人は自分の中にある歪んだ願望を正当化してしまえるんでしょうか?
魔女狩りの審問官の行いは、少なくとも僕のイメージする神のものではなく、悪魔に捧げられたものとしか思えません。
以前、何処かの中学校の部活でミスをした女生徒に、コーチが罰として服を脱ぐことを強要した事件がありました。
このコーチは、単なる変質者であり、女子中学生のパンツを脱がせたいのは個人的な趣味の問題です。
こいつがクソだということは、リアルタイムで判ることです。
極論ですが、魔女狩りの審問官の行為も、この変態コーチをスケールアップしたものでしかありません。
なのに、こちらは神の名の下に正当化されてしまいます。
舞台を見ていて、大好きなコミック『デビルマン』のある場面を思い出しました。
この作品では、デーモン一族の存在を知った人類が悪魔狩り特捜隊を組織して、人間に紛れ込んだ悪魔を見つけだして殺そうとします。
お世話になった牧村夫妻が彼等に捕らえられたと報告を受けた主人公の不動明は、仲間のデビルマン達と特捜隊本部を襲撃します。
最期に残った特捜隊の幹部らしき男達は、不動明に訴えます。
自分達は悪魔を殺してはいない。多勢捕まえてきて殺したけれど、結局皆んな人間だったんだ。お前の仲間を殺してないから、どうか助けて欲しいと。
彼等は激怒した不動明に焼き殺され、この後一連の事件で人間に絶望した彼は、自分も最初は人間でありながら、向こう側へと行ってしまいます。
まぁ、話しがそれた上に長くなりましたが。
この物語は、結局人間同士が殺し合い。
もしも、本当に魔女がいたとしたら、このような愚かな審問官には到底捕らえることすら出来なかったのではないでしょうか?
そして、人間を嘲笑うか、あるいは少しは憐れんでくれたでしょうか?
このシリーズが、正常と異常の境界線を描くものだとしたら、今作は神の名の下に境界を越えた人々の物語でしょう。
今度は実写版『デビルマン』から台詞を引用するなら、
「愚かな生き物よ。
神は居たか?」
第3話は、向こう側の世界。
短編集の中でも、特に短い物語。
ミサを行う者達と、第2話の審問官達の姿に違いは感じられないまま。
