「我をカタチにせよ」
音のない龍神の声だと、感じた。


クラクション 6

高校に入学した僕は、美術部に入る事に決めました。

中学の時の美術の成績は、1か5のどっちかだった。

「才能無し」か「才能有り」

「並」では無かったようだ。
当然、親も反対する訳で...。

しかし、決めた事。
決断に従い入部しました。

入部した僕は、専攻をやった事も無い、油彩を選びました。
ただ描いてみたかっただけ。

初めて描く油彩が、いきなり市の展覧会に応募する事とに。

30号のキャンパスに静物画を描きました。

結果は入選。

それからは、出展する公募は全て、賞をとるか、最低でも入選して行った。

そして3年生になり、高校最後の公募、岐阜県美術展に挑みました。

結果は、最優秀賞。

岐阜県中から集まった300点のなかから、岐阜県代表作品として、全国高等文化祭に出展されました。
野球で言えば、甲子園出場となる。

高校最後にして最高の舞台。
結果は文化功労賞。

親には、才能無いからと反対されてた世界で結果を出しました。

「才能有り」?

高松で開催された会場に、各都道府県の代表作品に混じり「岐阜県代表作品」として展示されている自分の作品を見て、なんだか自分が描いた物とは思えない感覚がしました。

これって僕が描いたの?

これで、僕の高校美術部生活は終わった。

卒業したら、芸大に進学しようと決めていた。

さすがに親は反対する事は無かった。
学校からの指示で、授業には出ず、登校して教室には行かず、部室に行き、ひたすら実技試験の練習をしました。

デッサン、木炭画、水彩、油彩。

僕は現実の厳しさを知る事となる。

いくつかの芸大を受験した僕は、撃沈された。
全て不合格。

なぜ?
「才能無し」?

第二次ベビーブーム、授業を受けなかった事による学科試験の結果?
全ては言い訳に過ぎない。
ただただ実力が無かっただけ。

学校や両親から、留年して来年頑張れと勧められたが、それはやめた。
1年間、モチベーションを保つ自信が無かったからだ。

それからは、描きたい時に描いて、描きたくない時には描かない。
楽しく描ければそれで良かった。

それから数年が過ぎ、僕は陶芸に出会う事となりました。

興味があった僕は近くの陶芸教室に通う事にしました。

通い始めて1年が経った頃、教室の先生の勧めで、小さなカフェで個展をやる事になりました。

個展?
僕が?

来場してくれた人達との出会い、楽しい会話と素敵な時間を過ごしました。

その個展で売れたお金(数万円)で電動ロクロと粘土をこねれるテーブルを買った。
購入して頂いた方には、感謝です。

自宅の裏で、屋根はあるが吹きさらしの場所でやっていた僕を見て、両親が小さな小屋を建ててくれた。
その小さな小屋が僕の城となる訳です。

向上心の高い僕は、ギャラリーでの個展を目標としました。

この世界は、有名な陶芸家に師事し、先生の紹介でギャラリーでの個展が出来るという暗黙の流れになっている。

誰にも師事していない僕の個展を簡単には開かせてくれるギャラリーは無い。
ギャラリーも仕事で、売り上げの40%が収入となるなで、慎重なのは当然です。

良い作品を創り、ひたすら売り込みに行くしかありませんでした。

その中から、1つのギャラリーが声を掛けてくれました。

やってみる?
はい!

こうして初のギャラリーでの個展が決まった。
場所は、奥さんの実家、静岡県三島市にあるギャラリー。

有名では無い僕は、食器を中心に出展する事にしました。焼き物では基本だからだ。

ギャラリーともなると、宣伝をしてくれたり、独自で持ってるお客さんを呼んでくれたりとしてくれるのです。

またまた、いろいろお客さんに来て頂き、ギャラリー初個展を終えました。

個展での売り上げを足しにして、窯を買う事となりました。

更なる上を目指し、次は日本でも5本に入るギャラリーを目標にしました。

その頃から、抹茶茶碗の製作に取り掛かりました。
抹茶茶碗は陶芸家の力量が如実にでるもので、ごまかしはきかない。
焼き上がっては作品を持っていき、まだまだだねと追い返され、約1年半が過ぎました。

そんな頃、岐阜県土岐市で開催されている、現代茶陶展に応募しました。
とても由緒ある公募で、審査員もそうそうたる方達です。
自分で釉薬の調合をし、独自の色を武器に、抹茶茶碗を出展しました。

結果、なんと、入選!
あり得ない話です。

その展覧会にはギャラリストの方達も見に来ている訳で、当然目標にしているギャラリーのオーナーも見に来ていました。

展覧会終了後、その作品を持ってギャラリーに行きました。

まずは、ギャラリーのブログで紹介しよう。
抹茶茶碗2点、ぐい呑み2点。

そのブログはコレクターからとても人気で、ブログに良い反応があれば、個展を開く流れになっている。

ブログの反応は、掲載された翌日の早朝から、僕の作品を求めて、開店前からお客さんが並び、4点ですが即完売という予想外の状況となりました。

流れ通り、そのギャラリーでの個展が決まりました。

個展には全国のコレクターの方達がたくさん来廊してくださり、来れない方達からは問い合わせがあり、購入して頂く事となりました。

個展は大成功。

その後、炎芸術と言う陶芸雑誌の特別号、日本の酒器100に選ばれ、掲載される事になる。

次は海外だな。

そんな事を考え始めた僕は、世界に作品を発信する為、自分でサイトを作りました。

すると、紹介ではあったが、オファーが来ました。

場所は、タイ国バンコク伊勢丹。

マジですか?

内容は、バンコクのお客さんの前で、ロクロ実演(ワークショップ)と個展。

結果的には大成功とまでは行きなかったけど、なにか満足感はあった。

陶芸教室から始まり、海外百貨店での個展までいったのだから。

散々奥さんに迷惑かけてきた。
やりたい事を応援してくれた奥さんに、感謝しかありません。

これ以上は迷惑はかけれない。
そして、僕はサラリーマンになり現在に至ります。

今までの僕のサクセスストーリーを書きましたが、順風満帆ではなく、もちろん悩み、苦労もしたし、家族には苦労を掛けました。それは全く書いてません。
これから書く本題をお伝えするには、必要な事だと思ったのです。
(すぐ終わります)

それは奥さんの一言から始まりました。

また、陶芸でもやったらいいじゃん。
そうだなぁ、何か創ってみようかなぁと思っていた。

そんな時、龍神と繋がっていると感じている僕に、音のない声が聞こえた感じがしました。
感じですよ。

「我をカタチにせよ」
「それ、なんじを満たす」

そうだ、焼き物で龍神様を形にしよう。
僕には形にする環境は全て揃ってる。
粘土も窯も全てだ。

僕の創造するエネルギー
土のエネルギー
水のエネルギー
火のエネルギー、
そして龍神様のエネルギー。

全てのエネルギーが宿った「カタチ」。

完璧だ。

僕は感じるのです。

創り出すエネルギー
創り出す素晴らしさ
動き出すバイタリティ

ここに繋がる為に今までがあり、経験であり、学びであったのではないだろうか。
そんな感じがしてやまないのです。

さっそく、始める事にしよう。

僕は
「才能無し」?
「才能有り」?

そんなん、どっちでもいい。


僕のクラクションが響きますように。

NORI

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読んで頂きありがとうございました。