隣でもと奥さんが泣いている。

 

娘の卒業式である。

 

息子の小学校の卒業式のときは、笑顔で息子に手を振っていた元奥さんが、

目を真っ赤にして泣いている。

わたしがハンカチを渡すかどうか迷っているうちに、

突然彼女が駆けだし、一人の先生のとこへ向かった。

何度も何度も頭を下げて、感謝を伝えている。

 

聞けば、むすめの昨年の担任だという。

「ミーが学校に行けなかった時の・・・」

そう、むすめは5年生の冬に学校に行けなくなった。

これだという原因がない、不登校らしい不登校だった。

というより登校拒否だった。

学校や教室というあの空間にいるのが耐えられない、というのが彼女の言い分だった。

幸いなのか何なのか、数ヶ月してむすめはまた学校に通うようにはなった。

 

わたしはもと奥さんの涙を見て、

思っていた以上にしんどかったんだなあと思った。

月に数回も会わなくなっていた私に比べて、

朝起きてから夜寝る時まで、一緒に不安と戦わなければならなかったもと奥さんにとって、

わたしなんかの想像をはるかに超えた辛い日々だったのだろう。

彼女の涙を見て、

私は何にもわかっちゃいなかったんだなーと今ごろ思い知らされた。

 

 

だが、しかしである。

 

もと奥さんが深く感謝しに言っていた先生に対し、

私自身は何も挨拶しに行かなかった。

 

その理由を確かめるべく、

後日、わたしはむすめに尋ねた。

 

「あのさ、5年のとき、確か、さんざん先生のこと文句言ってたよね」

「うん、大嫌いだった」

 

そう。不登校中も、その前後も、むすめは私に対してずーっと、

クラスの中がめちゃくちゃで、

何より担任が何も対応しない、全然人の気持ちを理解しようとしない、

自分の考えをおつしつけてくる、ホントあいつ大嫌い、

と文句を言い続けていたのである。

 

わたしが、お母さん、その先生に涙浮かべて感謝しに行ってたよ、と伝えたら

「え、何でアイツに?意味わかんない」

のひと言。

 

 

何と言うか、

相手の心を知っているつもりで、

全然わかってないんだなと思い知らされたひとコマ。