熱い沖縄では湯船がなかったりシャワーだけで済ませたりする家も多い。

しかし東北人のわたしにはどんなに暑い夏であろうと、

ゆったり風呂につからなくては1日が終わらない。

というか長湯は父の影響だと思う。

父は風呂で本を読む人で、30分以上かけて入っているのだ。

一緒に入っていた子供のときにわたしも入浴しながら読むようになり、今に至る。

一時期ブルートゥースでラジオも聴いていたのだが、

大好きなたまむすびが終了してしまい、結局また本に戻った。

 

今読んでいるのは、エリザベス・キューブラー・ロスの「人生は廻る輪のように」である。

『死ぬ瞬間』で著名な方の自伝。

そのなかのエピソードのひとつに父が余命いくばくもないと知ったとき、

彼女が父の願いを聞き入れて退院させ自宅に引き取る話がある。

医者は退院に反対だった。そんなことしたら危険だと。

しかし彼女は反対を押し切って家へ連れて帰る。

愛する人たちから遠ざけられ、冷たい病室で生き延びることよりも、

たとえ数日の命になろうとも本人の望みのままに死んでいくことの方が、

はるかに生きたことになるのではないかと。

実はこの話にはもうひとつ隠されていることがある。

彼女の父は、祖父、すなわち彼の父が入院して死を迎えようとしていたとき、

家へ帰りたいという願いを拒んでそのまま病院に入院させ続け、死なせたという過去があったのだ。

それは医学的には正しい判断だったが、

祖父が悲しみのまま逝く姿を見た彼女の父は深い後悔の念に囚わることになった―。

運命というか、人が課せられた宿題と言うものが感じられる話。

何より、自分の人生を自分が生きる、ということの難しさを感じるとともに、

でもわたしにとって、それこそが一番のテーマだとあらためて思い起こさせる。

 

先日もと奥さんと珍しく話をすることになった。

むすめとむすこの教育費のことで話した後、さらっと

「むすめ、制服はズボンにするって」

と言われた。

いや、さらっと言うことじゃないぞ。

以前にも書いたような気がするが、

むすめ、もっか絶賛ボーイッシュ。

自分のことを「僕」というほどのハマりっぷり。

その流れで、中学行ってもスカート履く気はないとのこと。

確かに中学では制服の自由化(ある意味へんなフレーズだ)で、

男女どっちでもいいらしい。

でも実際のところ、スカートを履く男子も、ズボンを履く女子もいない。

そんなとこにおまえ突っ込むのか、むすめよ。

わたしは制服はいらないと思っているし、

むすめの考え方も賛成ではあるけれど、

想像するだけで視線と空気の圧で重苦しい学校に息がつまりそうになる。

大丈夫か。

思えば、むすこも小6のころに中二病というツワモノで、

ロン毛に眼帯、黒マスク(まだコロナ前だったのに!)、真夏に黒いパーカーだった。

そんなことがあったから、むすめも今だけじゃないの、

制服ズボン予約するの待った方がいいんじゃないのと、もと奥さんに言った。

が、もと奥さんは本人の自由だし、と、わりとあっけらかんである。

まったく!と不安とイライラが募ってきたのだが。

よく考えてみた。

いったい誰の人生なのかと。

なんでいつもわたしたちは、他人からあれこれ言われなければならないのだろう。

その多くは、わたしたちのためという装いをしつつ、

その実、そのひとたちの「安心」のためにさせられているんじゃないだろうか。

そしてそのことにストレスを感じつつガマンすることで、

実は世の中の空気がますます重苦しくなっているのではないだろうか。

それで「そのひとたち」もふくめて、みんな不幸せになっているとしたら、

これほど馬鹿馬鹿しい話ってないんじゃないだろうか。

いいじゃん、ズボンだろうとスカートだろうと何だろうと。

ここでわたしが「よしとけよ」と言ったら、

むすめの人生をわたしがコントロールすることになるではないか。

それがむすめの望むことか。幸せになれるか。

それよりも、むすめがしんどくなったときに、

「俺は、君で、いいと思う」

と寄り添える方が、ずっとマシなんじゃないだろうか。

 

そしたらふと2週間前のことを思い出した。

繫華街を歩いていたら、目の前を3人の高校生くらいの男子が通り過ぎた。

そのうちのひとりが真っ黒なワンピースのロングスカートだったのだ。

一瞬女の子?と思ったが、どっちともいえる中性的な感じで、

でも男だとしても、見とれるほど素敵だったのだ。

思わず、君、いいねえ!と声をかけたくなるほどだった。

見た目も良かったのだが、

何よりあふれるほどの自信に満ちたたたずまいが、

わたしにそう思わせたのだと思う。

 

「わたしはわたし」

 

すでにわたしは答えにたどり着いていたようだ。