製品名、企業名や出演タレントを全面に押し出さないで、製品の特徴や企業の理念のみをCMに詰め込んだものでいいなぁと感銘を受けたものを集めてみました。動画を並べるため、負荷軽減を目的にデフォルトは小さく表示しています。大きくして見たい方はお手数ですが、動画をダブルクリックして見てください。なお番号は順位という訳ではなく、整理の為ですのでご了解ください。

①「Touch Wood」[NTT Docomo]
表面が木製の携帯電話のCM。バッハ「主よ人の望みの喜びよ」を森の中で木で出来た球と階段で奏でる音で表現。木の温かみが伝わってきて製品の質感の良さをPR。このCMは海外でも特集が組まれたほど注目されている様で、日本でも是非とも大々的に流して欲しかった。

[追記]
2011年6月にカンヌ国際広告祭フォルムクラフト金賞、サイバー部門金賞、フィルム部門銀賞受賞




②「the cog」[ホンダ]
車の部品を使って機械的な連続性を持たせているCM。製品自体のPRというよりは車の部品を多さを改めて気づかされ、機械の面白さが伝わってくる。まさに技術のホンダという代名詞が伝わってくる。




③「SHIRO Cheers System」[高橋酒造]
焼酎の材料を作る過程を基に機械的な連続性を持たせてストーリーで纏めたCM。焼酎というとどうしても年齢の高い層が飲むイメージがあるが、若い女性達を出演させることで気軽な飲み物としてPR。主演女優は、Googleや日産などのCM、音楽PVに出演多数で業界では有名なモデルの山口尚美さん。




④「祝!九州 九州新幹線全線開通」[JR九州]
九州新幹線全線開通PRのCM。本来2011年3月12日に九州新幹線が開通して大々的な宣伝がなされるはずであったが、前日11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で自粛ムードが広がり、素晴らしいCMなのにあまり放映がされなかった幻のCM。新幹線のCMであるが、敢えてそれ自体の美しさや驚きに注目するのではなく新幹線から見える日常生活や喜びにスポットを当てている。

[追記]
2011年6月にカンヌ国際広告祭アウトドア部門金賞、メディア部門銀賞受賞




⑤「二人の競争」[三菱自動車]
老人が若者と競歩するCM。若者と老人の囁かな争いが競争本能を擽られカーレースの楽しさと興奮を表現。構成は非常にシンプルで人々が意識したことがある事を入れ込む事で無意識的に惹きつけられる。老人のチートを見てると負けず嫌いが伝わってきて何とも微笑ましい。本題からはずれるが、最近は日本の自動車メーカーがレースで話題になる事が少なくなってきたので、是非とも頑張って欲しい。




他にもいいCMが世の中にはあふれていると思います。そこでこのCMはおすすめ、または感銘を受けたというCMがございましたら、コメント欄に書き込んで頂くか、info@spazions.comまでメールください。次回選考の参考にさせてもらいます。

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前記事に引き続いて京都大学や同志社大学における入学試験の問題がネット投稿された件に関して。山形県内の高校を卒業し、仙台市内の大手予備校に通う19歳の少年を保護、逮捕へという速報テロップが昼過ぎに全テレビ局で流れた。NHKでは番組を中断して報道スタジオからニュースを読むという徹底ぶり。その後、夕方から夜にかけてのニュースもこの話題で持ち切りである。なお出身高校名、通っていた予備校は既に明らかになっているが、保護された少年は未成年であるため敢えて名を出すのはここで避ける。実名や顔写真も一部では特定されているが不確定なので触れないが、今後ネットや週刊誌などを通して広がっていくのだろう。

さて逮捕される前は自分は敢えてこの問題から距離を置いていた。その理由は誤報を広げることを避けること。次に自分の出身校の関係者である可能性があるため不容易な発言は謹んだほうが良いと判断したこと。更に特定された人物が精神内科についての質問をしていたことから最悪の結果に繋がって欲しくはないと思ったことが挙げられる。まず一つ目であるがネット上での書き込みは匿名性がある程度存在することは周知の事実であるので、話題になれば真似をする人は出てくるのである。当初東京都内の高校に通う高校生がニュースで取り上げられたが結局模倣犯に過ぎなかった。マスコミは1次情報を得ずに直ぐに誤った情報に飛びついた。以前から指摘されていた事だが記者クラブメディアは情報の共有をしているために独立性は見せかけである結果である。二つ目の出身校についてであるが、山形県内の高校と特定される前に東北地方で仙台在住の受験生と報道された。自分は地元仙台の高校出身であり、実際今回の少年が受験した大学を受験する人がかなりいるので可能性として同窓生であることが否定できなかった。実際ネット上では詮索をされ候補として名前が挙げられていた。結果的に出身高校とは無縁であったが、自分が通っていた予備校の学生ということで自分とは切り離せない関係があった様だ。テレビで予備校前から中継され、担当者のインタビューを見ていると、見慣れた風景と人物であるが故に懐かしい気持ちと残念な気持ちが両方織り交ざる。何より驚きが大きい。最後に三つ目の精神内科についてだが、受験生特に浪人生の気持ちを自分は人一倍分かっているつもりだ。個人的には経済的余力がある限り浪人をおすすめするのだが本題と大幅にずれるのでここでは言及しないことにする。兎も角、結果的に本人が無事保護されたことは内心ほっとしている。

本来、自分がこのように記事にしている事自体が事を大きくすることに寄与しているのかもしれない。しかし、たかがカンニングごときで全国紙の新聞では数ページの特集を組んでみたり、テレビ局は朝から晩まで同じ話で持ち切り、そして保護や逮捕を速報テロップで出すという状況に怖さを感じずにはいられない。今回の事柄を事件とはし難く、事件に優劣をつけるのも不適であると前置きをするが、殺人事件や暴行事件などのニュースが殆ど取り上げられないで今回の少年が大々的にメディアから吊るし上げられるのは如何なものか。そもそもテレビ局は公共の電波を使用している以上、速報テロップや緊急のニュースは公共性が求められるのでもっと慎重になるべきではないのだろうか。知りたいと思う情報であれば、インターネットを通して各自取得する現代であるから尚更である。昼のワイドショーでは「なぜ犯人が特定できたか」と題して20分近くIPアドレスやMACアドレスの説明をしていた。まず犯人と名づけて犯罪者として扱っている事が腹立たしいのであるが、それは一先ず置いておいてなぜ特定できたかの説明は必要なのであろうか。自分はこの分野が専攻の一部であるが故多少なりとも詳しいと言えるが、ネットを利用する人は大体の人が聞いたことがある用語であり、知っている人が大半であると思われる。本題からずれるが正にテレビが今情報に疎い人、敬遠する人に解説をする媒体と化してしまったことが如実に現れている。そもそも携帯電話やネットを使用している以上携帯会社やプロバイダの照会があればユーザーの位置は容易であるし、間違った使い方をすれば位置の特定や生活パターンの監視は非常に簡単にできてしまうのである。高度な知識を持った人であれば、警察や彼らを通さなくても実行できる。それらを情報社会を生きる人々は肝に命じておく必要があり、本来こういうことを学校教育で教えるべきだと自分は思う。

さて大幅に話が脱線してしまったので話を戻すのだが、今回の事柄に対して前記事で書いたように京都大学の対応は非常に残念であった。日本では有数の自由な校風を持った大学だと思っていてずっと期待していたが、国の直属機関であったことを露呈してしまった。勿論国立大学であり国から予算を貰っている以上直属機関であるとも言えるが、「学問の自由」を唱い権力へ対抗する気持ちはどこへ言ったのか。更にカンニングへの対策として数校の大学の学長が集まり会議を開いた様だが、その学校で欲しいと思った学生はどんどん受け入れるべきで、足並みを揃えようとするのは如何なものか。腐敗しているメディアや企業と何も変わらない。独立大学法人と化しても、欧米の様な大学の独立は日本では実現されるまで遠い将来の事の様である。そもそも大学の成り立ちが違うので単純な比較はできないにせよ、腐敗した組織と同じ構造をしていては何も生まれない。

今回の容疑は「偽計業務妨害罪」である。簡単に言えば、仕事を増やさせて本来やるべき他の重要な仕事ができなくさせた罪ということだが、そもそも試験監督は十分であったのか。今回の出来事まで知らなかったのであるが、京都大学は監督が殆どなされていないという受験生の周知があった様だ。試験監督の本来の業務を遂行せずに、このような出来事が起きたのは自業自得としか言いようがない。恐らく京都大学を受験する学生は最低限のモラルは備わっているはずであり、カンニングなんて起こるはずが無いという偏見から生み出されたものであると推測されるが、それは右を向けと言われたら全員が右を向く集団システムで育った旧来型の人間の思考である。今の若者は思っている以上にもっと多様化していて色々な人間がいるのである。浅田真央や石川遼など過去の記録を打ち破る人達はその中で生まれてきたと言っても過言ではない。「◯◯だからこうであるはずである」というステレオタイプは最早崩壊しているのである。

次にカンニングの手口である。供述によると未だ不可解な点があるにせよガラパゴス携帯と言われる従来型の携帯電話で文字を打ち込んだとのこと。意外とローテクノロジーである。今回マスコミが騒ぐのは「カンニングにおいてネットを使っているため新たな手法である、ネットは敵である」という考えから来ているのだと思われるが、携帯で一々打ち込むなんてiモードが普及した1990年代後半からやることは可能である。彼らは脳が10年前から思考停止しているのではないか。カメラ付きメガネやカメラ付きペンなどでさえ古い技術であるが、これらの方が見つけるのは明らかに難しい。また京都大学受験での投稿においてネットが話題になったので今日の状況になった訳であるが、それまでは何も問題となっていなかった訳で投稿をしなかったら何もなく世の中は動いていたのであろう。そう考えるとこれは氷山の一角であると考えた方が自然である。

前記事でも述べたが、彼はカンニングが発覚した以上その大学は不合格になるべきと自分は思うが、判定は警察やメディアが決めるのではなく大学が独自で決めるべきである。今回と同様にホリエモンこと堀江貴文が逮捕された時も恐らく社会への見せしめ的な逮捕だったと思うが、官僚からの強制的な道徳など今時そこまで効果は無く、時代遅れである。そこに官僚の古い体質を垣間見る事ができる。また来年度の受験から各大学で必要以上にカンニング対策をすることが予想されるが、小手先だけの対策ではなく、受験制度そして大学の収益体制の根本を変えなければ日本の大学は完全に終わる。

最後に、この入試に関する問題でメディアは持ち切りであるが、来年度予算案の成立、閣僚の金の問題、アラブ情勢、ニュージーランドの地震情報など本来伝えるべきことは山ほどある。今政府中枢の政治家達が世論を作れるほど力を持っているとは思えないが、国民の目はたった一人の少年の過ちに目を向けるのではなく、自分達の生活と将来に関わってくる政治に目を向けるべきなのである。メディアに振り回されて思考が止まってはいけない。

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京都大学や同志社大学における入学試験の問題がネット投稿された件に関して。偽計業務妨害の疑いで警察が調査している様だが、定期試験のカンニングで全科目0点と決めるのは大学であり、警察や文部科学省が主体となって犯人探しをするのは間違いだと思う。独立大学法人とは完全に名ばかりである。大学の自治という言葉は形骸化されたのか。本来監視する立場の人達が時代について来れていないのだと思う。

例えば対策として携帯電話を机の上に置かせるという手段を取る大学もある様だが、2台以上持っている人を考えられていない。また携帯電話だけに特化して注意をしているが、カメラ付きのペンやメガネがある事は考えているのだろうか。抜け道なんて沢山ある。最早入試で全てが決まるという根本のシステムを改善すべきではないか。

日本の大学制度では入試が通れば、後の4年間は遊んでいても単位を取って無事卒業ができる。理系の場合はそれに該当しないという言葉も耳にするが、総じて見ればアメリカなどに比べて卒業は簡単なのである。入試が通っただけで4年間を保証している様なもので、就職の新卒採用に関して個性や才能を掴みきれていないのに実際に働く1年前以上に採用し1年間を無駄に保証するというおかしな制度と同じである。実際入った後に何をするのかという方が重要なはずなのに、「入ること」「そのステータスにあること」に重点が置かれるのは目的がずれている。

話を入試に戻すが、以上を解決するためには最低限の学力や知識は検査する必要はあるが、その人が「何をしたいのか」や「どの様にその目的にアプローチするのか」を検査する試験制度にするべきだと思う。アメリカの入試はこの形態に近いが、最低限の学力しか学生に要求していないため大学の講義に際して教員が色々考えて分かって学生に分かってもらおうと努力する。そして目的意識のある人間が集まるので授業が活発化する。ただ教員は教科書を音読して自己満足し、学生はとりあえず出席すればいいという今の日本の現状とは大きく違う。勿論今でも熱心な先生や非常に積極的な学生がいることは忘れてはならない。以上述べた事は良い面だけの様に思えるが、中退する割合が現状に比べて高くなると予想されるのでその人達を受け入れる社会の土壌がなければいけない。その人が選んだ道であれば中退も良いという多様性を受け入れた見方ができる社会であるべきである。

最近企業の採用形態は未だ表面上であるにせよ変わりつつある。入試とはこうあるべきだという凝り固まった思考ではなく、自分の大学はこうゆう人材を受けいれたい、そしてその準備はできているという大学が出てきてもいいのではないか。恐らくそれに名乗りを上げた大学によって全体の制度が変わっていき、社会の価値観をも変えてくれるだろう。

さて次に俗にいう犯人探しである。この言葉をマスコミは使用するが、自分はこの件に関してこの言葉は使うべきではないと考える。自分は今回の当事者が受験者の公平の観点から不合格になるべきと思うが、先に述べたようにあくまで合否を決めるのは警察や文部科学省ではなく大学側である。入試の会場の不備を露呈させたことは将来的に日本の入試制度を考えさせるきっかけとなれば当事者の行為は評価されるべきである。恐らく本人は其の様な高い志を持って行為に及んだとは考え難いが、大学がそう判断すれば入学させるべきである。欧米では悪質なハッカーに厳罰を科す変わりに警察やシステム会社が高額なオファーを出して、彼らのシステムを守る仕事に就かせているケースが珠にある。facebookの創始者マーク・ザッカーバーグもハーバードのシステムの不備を露呈して今やその件に関しても評価を得られている。やったことを一方面から悪だと決めず、違う方面から見ると実は社会のためになっていることもあるのだ。彼らは技術という武器があったため、今回の入試の当事者とは同じレベルで考えるべきではないが、「当事者=悪、大学=被害者」という浅い思考は避けるべきである。

以上新たな地で夢を追う身となった今、自分への戒めの気持ちを込めて述べた。

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