今日は3月11日。

あれから3年が経ちました。


私達、家族にとって忘れられない日です。

地震を体験した私でさえ記憶が薄れていく日々です。


ブログを初めて9か月。

記憶が薄れる前に残そうと思いました。

途中、被災した時の私の生まれ育った町の写真が出てきます。

見たくない方もいらっしゃると思いますので

その時はスルーして下さい。




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2011年3月11日(マグニチュード9.0 震度6強)


2日前に震度4の地震。

今日もまた地震。

またいつもと同じ・・・だと思った。

仕事中だった私はいつもの様に机の下に潜り込んだ。

下から突き上げるような地響き。いつもと違うと直感した。


机の下に隠れたがデスクトップのパソコンが凄いスピードで

足元に何台も落ちてきた。

本棚は倒れ、窓ガラスは飛び散った。

その後の長い長い6分間、意識が飛びそうになった。

ニュージーランド地震を思い出す。

私、死ぬのかな・・・と生まれて初めて感じた。


3階の階段は壊れ・・・上司の『 避難しろっ 』 の叫び声で

我に返り上履きのまま外階段から避難。

会社の建物が危ない為、自宅に戻る事になり渋滞した道を

娘がいる小学校までひたすら走り続けた。


小学校までの道中、鳴りやまないサイレン

小雪が舞っていて凄く寒かったのを今でも覚えている。

娘に会えた時は泣けた。


絶え間なく揺れる地震の恐怖で家族3人、2日間車中で寝る事に。

車のラジオを聞いていくうちに少しずつ状況が分かりそこから流れる

悲惨なニュースに愕然としてその日は寝れなかった。

次の日、連絡が取れない両親の元へリュックに少しのパンと飲み物を

持って自転車で30分かけて実家に向かう。




































変わり果てた風景に泣きながら自転車で進む。

その場所を無心で何枚か携帯で撮った。

家の周りは田んぼばかりで田舎くさいと思っていた街。

それでも時々帰ればなぜだかほっと落ち着いた。

あの頃の面影は全く無くて、それが悔しくて悲しかった。


港は7mの津波、そこから遠く遠く離れている内陸部の

実家にまで津波が押し寄せてきた。

1階は浸水。水が引くまで2階で過ごす。

水が引くと何も言わずヘドロを片付け続ける日々の両親。












次の日に製油所で火災発生。

LPGタンクが爆発する恐れがあったことから、半径2㎞以内の

地域に対し立入禁止の指示を発令。

その後、4日間燃え続けた。


自分の生まれ育った街の地震・津波・製油所の火災

この時は明日の未来さえどうなるかも分からず不安な毎日。




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私の住んでいる所はたまたま津波から難を逃れた。

会社は倒壊の恐れがある為、自宅待機。

小学校ももちろん、休校。


電気が止まっていたので19時過ぎには就寝。

朝、昼、夜、夜中、いつ来るか分からない余震の為

寝るときは洋服、靴は枕元に置くのが習慣になった。

寝てしまったらそのまま夜中に大地震が起きて目覚めないんじゃ

無いかと思い寝るのが怖くなった。

眠れないまま朝を迎えて近くの新聞販売店に朝刊を買いに行くのが

日課。車のラジオと新聞だけが情報源。


食事は傷みやすいものからカセットコンロで調理しながら食べた。

1日、1食~2食。

前日に食料品を買いだめしてたのが不幸中の幸い。


震災から2~3日経ってお寿司屋さんが炊き出しをしてくれた。

塩にぎりとみそ汁が凄く、凄くおいしかった。

温かい食べ物が心まで暖かくしてくれた。

本当に感謝、以外の言葉はない。ごちそうさまでした。


お風呂は何日入れなかっただろう。

10日近く・・・。身体は濡れたタオルで毎日拭いていたが

お風呂に入れないのは精神的に一番きつかった。

我慢できなくなってカセットコンロでお湯を沸かして髪を洗った。

震災から2週間近く経って日帰り温泉施設で無料でお風呂に

入れる事になった。3時間待ち、沢山の人、人、人。

だけど気持ち良かった~。

燃料が不足する中、開放してくれた施設の方に感謝。



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その後、ガスは震災から25日目に復旧。

全国の都市ガス事業から4000人が応援にきてくれていたそうで

本当に本当に有難かったです。


電気は震災から25日頃に復旧。

あわせて水道も25日頃に復旧。

(マンションなどは電気の力で上の階に水を運ぶ為、同日復旧)



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震災から学んだ事が沢山あった。

私より大変な思いをされている方はいっぱいいると思いますが

沢山の方の手助けがあってあの日々を乗り切れたと思う。


支援物資をしてくれた方、それを配送してくれた方。

炊き出しをしてくれた飲食店の方。

商品が少ない中、お店を開けてくれたスーパーの皆さん。

ライフライン復旧の為、全国各地の方が応援に来てくれた。

仮設住宅や修繕作業をされている建設業の方。

本当に感謝です。


心に残っている事。

長野や沖縄の友達が励ましのメールをし続けてくれた事。

学生時代の友達とメールでお互い励ましあいながら過ごした事。

安否確認の為にチャリで家まで来てくれたママ友。

震災から5日後の私の誕生日に娘がバースデーケーキの絵を

書いてくれた事。

その絵を見ながら家族みんなでお祝い出来た事。

あの日の誕生日は一生忘れられないし、一番嬉しかった。





 

 

 

 











あの日から考え方が少し変わった。

街並みも変わった。


変わらないもの。

家族への想い。大切な友達。

生まれ育った故郷への想い。

感謝の気持ち。


















『 つなみ こども80人の作文集 』 を買った。

幼稚園から高校生までのその時あった事、感じた事が書いてある。

いつか出会うであろう孫やひ孫と一緒に防災の日や震災の日に

少しずつ、一緒に読もうと思う。


今日ベランダに出たら小雪が舞っていた。

あの日を思い出す。

色々な事があったけれどこの震災を教訓にして

私自身、忘れずに日々を過ごしていこうと改めて思う。