地震から約50分後の午後3時35分、女川港の沖合に白い壁がやってきた。

高さ5.3メートルの湾口防波堤をはるかにしのぐ巨大津波は、最大津波高14.8mに及び、津波浸水高は20.3mに達した。




三陸海岸の南部に位置し、水産業が主力の町。東日本大震災の津波で827人が犠牲となり、市街地の8割が壊滅的被害に遭った。震災前に約1万人だった人口は、その後の町外転出者の続出もあり、2020年末時点で約6200人。

町長は「津波の恐怖が消えない人は多く、二度と被災しない安全な街にするというのが、復興に携わる者の共通認識だった」と強調する。


津波対策の主流は「堤防嵩上げ」と、「土地嵩上げの上に市街を再建」とがある。


だが堤防を今までの5mを10mにしても、10mを15m(5階建ての高さ)にしても、これで良いと言うことはない。海と共に生きてきた町に、海も見えない閉塞感が残る。

一方のせっかくの土地嵩上げも、中途半端な高台ではかえって危険だという。



混乱の中で被災者は生活の再建で頭がいっぱい。

コンサルタントや外部専門家、監督官庁主導で進められた復興事業の中で、女川町は敢えてそれに抗したという。

それぞれの地域特有の問題は異なるので画一的な答えはないが、その中で女川町は一つの方向を示したと言える。



『職住分離』『ひな壇構造』


女川町の復興まちづくりの大きな特徴の一つは、『まちと海の眺望を遮る巨大防潮堤を造らなかったこと』にあるという。湾口を囲む国道398号を海側の側面に防潮堤機能を持たせた、いわゆる「兼用堤」を整備し、東日本大震災の津波で浸水した区域は、一定の条件をクリアした建物でなければ居住できない「災害危険区域」に指定した。

また、ひな壇構造にすることにより、JR女川駅前商業エリアや新しい高台住宅地の眺望軸からは「海」を望むことができる。


2015年12月に開業したテナント型商店街「シーパルピア女川」

   須田善明町長

軒並み人口減少が続く被災地で、現在の女川町は微増だが回復傾向を見せているという。







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