『 拡大から収縮へ』

かっての中世ヨーロッパの城郭都市や日本の゙城下町などは、コンパクトシティだった。

その郊外に農地が展開していて単純な構図。


《拡大》

徳川幕府の初め頃の日本の人口は約1200万人と言われていたので現在の1/10。

明治初期で3000万人程になり、大戦直後で7000万人くらいだった。

戦後激増する人口は農地を侵食して新市街地を形成するようになった。


《収縮》

・2008年頃をピークに人口収縮の時代に転換したが、単純に元のようにはならない。

車社会になり新市街地に人は移り住み、中心部が寂れるドーナツ化が進む。


・一方で農村は衰退している。

「産業構造の変化」や「グローバル化による食の変化」によっての帰結。

離れた人は都市に集まるが「高い、狭い」の中心部でなく周辺エリアに住む。





《三層構造の現在》
・仮に旧市街を「A地区」、新市街を「B地区」、農村を「C地区」とする。
人の流れは「A→B←C」となっている。
車も停めにくい狭い中心部へは行きたくないとの流れだ。




『コンパクトシティ?』

・家庭で家族が減ると広い家は維持が困難になるのと同じこと。
行政は主に「生活インフラの維持」の必要から、中心部への誘導を試行錯誤している。
・しかし狹く高価格の中心部に移動する人はなかなかいない。

人が集まるのが「B地区」だとしたらこれを受け入れるのも自然の流れと思う。言うならば「ドーナツ型シティ」か。

【コンパクトシティは様々研究されているので、視点を変えて次回は「ドーナツ型シティ」について考えてみたい】



地域により事情が有り、そう単純な話しではないが、願わくばただ収縮させるのではなく、新たな価値を盛り込んだ計画でありたいし、拡大する災害から一定の安心を得られる街造りもその一つと考える。






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