旅に出てからそれなりに日本食を食べてきた。現地の家での家庭の 味にも触れてきた。けれどもやはりなにか物足りない。日本食はいつも高級 日本食になってしまうし、家庭の味はいつも現地の料理になってしまう。普段 僕が食べていたような「お袋の味」が懐かしい。ずっとそう思っていた。

 サファリホテルはその夢を簡単に叶えてくれた。ここでは自炊が一日のうちの 一大行事になっていて、日中観光に出かけていた人達も、一日中ベッドに横になって 本を読んでいた人も、自炊の時間になるとみんな目の輝きが変わってくる。 長期旅行者ばかりが集う宿だからなのだろう。みな手作りの日本食に飢えている。 「ここの自炊はお金を節約するための自炊じゃないんです。楽しみのための 自炊なんです」だれかが言ったこの一言が、それを如実に表している。

 昨日はカレーだった。もちろんここにククレカレーだの、バーモンドカレーだのがある訳ではない。 あるのはカレー粉のみ。ルーから自分達で作ってしまう。食べ物に対する 執念は皆恐ろしい。玉葱を微塵切りにし、大きな鍋に油とにんにくを入れ、にんにく に焦げ目が付いたところでこの微塵切りを入れる。それから30分以上もかけて 玉葱が飴色になるまでゆっくりと炒め、そこにトマトを入れ、形を崩すように して火を通す。十分トマトの水分が出たらそこに水と固形コンソメ、ジャガイモ、 人参を入れてコトコトと煮る。これが僕の役割だった。

 別の一人はルー作りに奮闘している。カレー粉とバター、それに小麦粉をベースに 塩や胡椒など可能な限りのあらゆるスパイスを投入してがんばっている。 カレーはルーがすべてなので、皆の横やりがすさまじい。やれ辛すぎるだの やれ甘みが足りないだのにぎやかだ。「練乳があるけど入れてみる?」「トマト ピューレがあるけど、それはどうだろう」一日で一番頭を使う瞬間だ。

 今日のカレーの主役はナスで、これは色が落ちないように油で炒めてから、 ルーやりんご、それに蜂蜜まで入れてトロリと仕上がったカレーに入れて、 もう一度温め、それでようやく完成だ。ここまでに実に4時間を要している。 いつのまにか卵サラダやらコンソメスープやら も出来上がっていた。炊きたてのご飯にじっくりと煮込んだナスカレー。本当に ここがエジプトなんだろうかと疑ってしまうほどに、抜群の味だった。ひょっと したら今迄食べたカレーの中で一番おいしかったかもしれない。

 

調子に乗った僕は、今日の昼食も一人で自炊をしてしまった。メニューはもちろん スパゲティー。普段はベーコンとアスパラを具に醤油と生姜で味付けするスパゲティ ーが得意なのだが、それはさすがに手に入らないので、今日はトマトベースの ツナスパゲティーにしてみる。作り方なんて全然わからない。もうすべてテキトウで きっとこうすればウマイんじゃないかという手探りで作ってみた。

 まず玉葱を食べやすい大きさに切り、ニンニクと油を炒めた中にこの玉葱をぶち込む。 程よくシナって来たら一口大に切ったトマトを入れて、それを潰すように煮込む。 ここまでは昨日のカレーと大差無い。ただし水は入れない。トマトの水分だけで 十分にソースになる。ここにトマトピューレをスプーン二杯入れ(本当は 一瓶全部入れようとしたのだが、それを見ていた宿のイサームに必死で止められた) バターを大さじ一杯。これに塩と胡椒を入れ、最後にツナ缶を油ごとぶち込んで 出来上がり。茹で上がったばかり(当然アルデンテ)のスパゲティーにバターを からめて、熱々のソースをかけると、今迄食べた中でもベストスリーに入るほど うまいスパゲティーが出来上がった。自分の腕にほれぼれしてしまう。 まあ、実は一年以上もこういう飯を食っていなかったので、それで何を食っても うまく感じてしまうのであるが、それを割り引いて考えてもなかなか良い出来 だった。

 今日の夕食はポテトコロッケとナスの味噌炒めだった。これにサラダやスープも 付く。浅漬けまで出て来た。パン粉など無い物だから、ラスクをおろしで擦ってそれを パン粉代わりに使っていた。味は勿論抜群で、なんだかこの宿を離れられなくなって来て しまった。どちらにしてもパスポート更新でカイロには長く滞在しないといけない ことはわかっている。ここは休息の場としては、出来過ぎの場所なのかもしれない。