昨日アンマン行きのバスの情報を調べると、朝7時の便しかないことが判明した。 6時半にはバスターミナルに着いていなくてはならず、そのバスターミナルまで 宿から歩いて30分かかる。つまり6時には宿を出なくてはならず、そうなると 5時半には起きなくてはならない。ちょっとそれは辛い。そう思い、乗合タクシー であるセルビスの親父に値段を聞くと9ドルだと教えてくれた。バスだと6ドルで それほど大きな違いは無い。そう思い今日はバスではなく、セルビスで行くことにした。 そのことを昨日「ちゃきちゃき2人組」に伝えると、それじゃあ一緒に行きましょうかという ことになった。

 ところが、セルビスターミナルに着いて、僕ら3人以外にアンマンに行く人 (セルビスは5人乗り)を探したのだが、一向にそんな人が現われない。40分 くらい待っただろうか、結局一人15ドルということで僕らは3人で行くことに なった。結果として快適で楽しく効率的なドライブになった。運転手のアフメッド はとても良い男で、パレスチナ人。シリアのパスポートを持っては いるが、裏書きにパレスチナ人である旨が記されていた。彼はいろいろな建物を 指差しては「あれが何、あれが何」と教えてくれた。

 走り出してからしばらくして、ヨルダンではどこに行くんだという話になった。 彼は次から次へと見所を挙げてくれる。「ペトラ、死海、ジェラシ...」そして ジェラシュに行くんだったら通り道だからそこに寄ってあげるよということを 申し出てくれた。ところが僕は当然のことながら、事前に下調べをばっちりして きているはずの「ちゃきちゃき2人組」も「ジェラシュって何かしら」と言っている始末だ。 だから最初はそこには行かなくても良いと思っていた。ところが、彼女たちが ガイドブックのジェラシュのページをめくると、なんとそのジェラシュはヨルダンで はペトラに次ぐ見所である旨が書かれているではないか。それは国境を越えて すぐのところにあるらしく、これは効率的だ。そう思い、予定を変更して 彼の申し出を受け入れる事にした。彼は追加料金はいらないと言ってくれたのだが、 そういう訳にも行かないでしょうと、一人5ドルを追加する事にした。

 国境では機転の効くドライバーのお陰でスムーズにことを済ませる事ができた。 シリア出国の税関がとても厳しく、時間がかかるので、僕らが国境に到着した 時にはセルビスがとても長い行列を作っていた。大人しくこの行列に並んでいたら 最低でも2時間はかかるのらしい。ドライバーは僕に「おまえは今日これから アンマンの空港に行って日本に帰るのだという風にあの警官に言ってくれ。そして 時間が無いから早く出来ないかとお願いしてくれ」と言った。なんだかわからないが、 僕が彼の指示に従うと、警官は僕らを一番前に割り込ませてくれた。ちょっと ずるいが、これも日本人三人だけでタクシーにしたお陰だろう。税関では 車のシートまではずしてかなり入念にチェックをしていた。入国審査でチェックが 厳しいのはなんとなく理由が分かるが、どうして出国検査でこんなに厳しいのか はちょっと理解に苦しんだ。

 ヨルダン入国審査も問題無くスムーズに進み、このドライバーのお陰で国境よりも より良いレートを提供する両替え屋に連れていってもらい、更にそこで昼食まで ご馳走になって、お昼過ぎに僕らはヨルダン第二の遺跡、ジェラシュに到着した。

ここはとにかく暑かったという印象しかない。

劇場や寺院、列柱道路などパルミラの スケールを少し小さくしたような遺跡だ。

公認ガイドというを雇って周ったのだが、 注目すべきは「揺れる柱」くらいのものだろうか。

15メートル以上はあろうかという 一本の柱が、風に吹かれて揺れている。良く目を凝らして見ないと分からないのだが、 実験してみると確かに揺れていた。


 この遺跡に1時間ほど滞在して、

それから更に1時間後、僕らはようやくヨルダンの 首都、アンマンに到着した。ダマスカスよりも小奇麗な感じがする。そして、シリア よりも確実にアメリカ資本が入り込んでいるのがわかる。コカコーラ、マクドナルド 、ケンタッキー...。この辺の浸透率はレバノン並みだ。「ちゃきちゃき2人組」は50ドルの それなりのホテルにチェックインし、僕はとにかくダウンタウンまで連れていってもらって、そこでタクシーを降ろしてもらった。街のメインストリートを歩いているといたるところにホテルの看板が目に付く。けれどもどれもあまりパットしないホテル ばかりだ。うろうろしていると、一人のヨルダン人が「ファラホテルがいいよ」と 教えてくれた。言われた通りにそのファラホテルという所にむかうと、白い背の高い ホテルで見るからに清潔そうな感じの良いホテルだ。値段を聞くとシングルで7JD(10ドル)。部屋を見せてもらった感じは悪くない。少し高いが、結局ここに泊まる事にした。

 夜、大事件があった。「ちゃきちゃき二人組」と夕食をとって帰ってきて、僕は部屋でのんびり とくつろいでいた。その時電話が鳴った。何だろうと思い受話器を取ると意外な 人物の声が流れてきたのだ。「おとぼけ君」だった。ちょうど去年の今ごろ、 チベットからネパールに抜けるツアーを一緒に組んだあの「おとぼけ君」だ。 実は彼がまた旅に出ている事は、彼からのEメールで知っていた。僕がイスタンブール を出る前の日にイスタンブールに入る事は知っていたのだが、どうしても連絡を とれず、だから会うのは無理だろうなあと思っていた。その「おとぼけ君」が 今ホテルのロビーにいるという。彼の声を聞いた瞬間僕は「えーっ」と大声を 張り上げていた。


 一年ぶりに会った「おとぼけ君」は以前とほとんど変わりがなかった。なんで僕が ここにいるのがわかったんだろうと思っていたが、彼によるとこのファラホテルは バックパッカーに人気の宿らしい。僕のいる5階は現地の人ばかりだったので、 そこがそういう宿だったとは全く気が付かなかった。そして「おとぼけ君」は 僕に、「15日にアンマンのクリフホテルというところに いるからそれまでにアンマンに来てくれ」といったメールを出してくれたのだそうだ。 シリア、レバノンとメールにすらアクセスできない状態が続いており、僕はその メールを全く見ていないが、「おとぼけ君」は僕がそのメールを見ているものだと 思って、今日一日ひたすら僕の到着を待っていてくれたという。そしてあまりにも 来ないので、ひょっとしたらこっちのホテルに泊っているかもしれないと思って 訪ねてきてくれたというのが事の顛末だった。  

 一年ぶりの話しに華が咲く。ここでまた意外な事実が判明した。「お祭り兄ちゃん」 に続いて実はこの「おとぼけ君」も去年僕らと同じ時期に肝炎を患い1ヶ月も入院 していた。彼は医学部の学生で、自分の大学の病院に入院する羽目に なったという。彼の症状を聞いていると僕の症状よりもずっと重く、気の毒に 思った。この7月まで体がだるかったのだそうだ。嘔吐や下痢も激しかったようで かなり衰弱してしまったらしい。僕はタイの豪華な病院で入院生活を エンジョイし、その後さっさとタイ国内を旅行したり、バングラ、インドと旅を 続けていたころ「おとぼけ君」はかなり参っていた訳だ。こういう話を聞くと、 僕の肝炎はかなり軽症で済んだのだなあと思った。

 その後、日本人旅行者もう一人を交えて僕らは久々にビールで盛り上がった。 こんな気持ちの良いビールは久しぶりだった。

 

*2024年追記:おとぼけ君はその後医師になり、ガーナに赴任して現地で医師をするなど、彼らしい人生を歩んでいます。おとぼけ君は現在結婚して一児の父ですが、その奥さんを紹介したのは、実は僕だったりします。縁っておもしろいですね。