なんだか本当に良い感じだ。久しぶりに街を好きになった。イラン同様シリア について、僕は乏しい知識しか無かったくせに偏見を持っていたようだ。旅はいつも 発見だ。今日もそんな発見の一日だった。興奮は昨日からずっと持続し続け ている。

 とはいっても、休息はやはり必要で、昨日の疲れが響いて今朝目が覚めると もう9時半を回っていた。かなり深い眠りだったと思う。そしてすぐに フル回転で行動を始めた。今日周ろうと思っているところは既に決めてある。 昨日このホテルの従業員シャバン(宇宙刑事みたいな名前なのですぐに覚えた) と話しをしていて、この街の見所は何ていったってスークと呼ばれる市場と アレッポ城にあるとのことを聞いていた。他にも余力があれば博物館や アルメニア人地区を見るのも良いよと教えてくれていた。

 


アレッポの街並み


 だからさっそくスークを目指した。入り口がかなりわかりにくい割に 中は巨大だった。石造りのアーチ状の屋根が通路を完璧に覆いその両脇に 小さなさまざまな商店がひしめき合っている。そんな通路がクネクネといくつも 伸びており、まさに迷路だ。貴金属から衣料、食品 にいたるまであらゆる物がそろっている。沢山の人に混じってたまにロバに乗った 人や馬に荷物を引かせている人が通り過ぎていった。アイスクリーム売りの 少年や、画板のような板にたばこや鉛筆などの商品を乗せて行商している人もいる。 人々の熱気や活気に混じってそんな行商人の声や、さまざまな食品やスパイスが発する 匂いが織り交ざり、場内は興奮がみなぎっていた。
 


スークの中


 入り口の店で早速声がかかった。この国ではイランやトルコ以上に簡単に英語が通 じる。フランスに支配されていた経験もあるので、どちらかというとフランス語圏 なのかなあと思っていたが、そうでも無いようだ。そこは「垢スリタオル屋さん」だった。 他に石鹸も売っている。丁度良い。僕がインドで仕入れた垢スリが使い物に ならなくなり、しょうがなくトルコでスポンジを購入していた。本当はヘチマを 使った本格的なモノが良かったのだが、トルコで血眼になってそれを探しても どこにも売っていなかった。唯一イスタンブールの観光客向けハマムで売っている のを確認したが、料金も観光客向け価格で15ドルもしたので買うのは諦めていた。

 けれどもこの「垢スリタオル屋さん」にはさまざまなタイプの垢スリタオルが 置いてある。しかも天然へちま製ばかりだ。なかから手ごろなものを選び出して 料金を聞くと50だという。ちょうど1ドルだ。それでも良かったのだが、ここは 市場だ。交渉するのが鉄則だろうと思い40なら買うよと言ってみた。おじいちゃんは しばらく唸っていたが、十秒ぐらいしてから「よっしゃあ」と40でそれを売ってくれた。

 さらに迷路をさまようと子供が話し掛けてきた。それも「コンニチハ」と声を かけてくる。そしてマシンガンの用に覚えているすべての日本語話しはじめた。 「糸まきまき、糸まきまき」などと日本の歌も歌い出す。こんなところで日本語 に巡り合うとは思わなかった。日本人というのはどこにでも出現するようだ。 そしてそんな日本人というのはどこででも商売人にとっておいしいお客さん なようだ。

 


「糸まきまき」の少年達


 そんな子供といろいろな話しをして、写真を撮ってあげたらとても喜んでいた。 もちろん映像をその場で見せてあげた。そうすると子供たちは狂喜乱舞していた。 その後も沢山の人から声をかけられた。日本語の時もあったが、英語の時のほうが多かった。 「ハロー」と声がかかって僕が「ハロー」と返す。たまにアラブ語で挨拶を すると彼らはとても喜んでくれる。そして彼らから何度もこんな言葉を かけてもらった。「Welcome to Syria !(シリアへようこそ!)」と。その度に 僕はとてもうれしい気持ちになった。自分がこの国に歓迎されているような気がして、 またこの国を好きになった。

 客引きも何人かやってくる。けれども彼らはいままでと違って全くしつこくない。 僕がいらないと言えばすぐに引き下がる。そんな一人の客引きに付いて両替も 済ませた。レートは1ドル50.5。昨日より0.5悪いがまあそんなものだろう。僕は 現金で交換したが、トラベラーズチェックでもこれより少しだけ悪いレートで 交換できるらしい。この辺はネパールと一緒だ。

 また沢山の人に声をかけられながら、市場を抜け、今度はアレッポ城に行ってみた。 入場料300シリアリアル。その高さに少々驚いてしまった。6ドル。シリアの 他の物価から考えると異常に高い。最初ボラれているのかと思ったが、複数の人に 聞いてその値段が返ってきたし、チケットにもしっかり300リアルと書いてあったので それは正当な値段なのだろう。たぶん外国人料金なのかもしれない。こうなったら 料金分をしっかり見てやると思い、結局そこには2時間以上も滞在した。

 


アレッポ城の入り口


 アレッポ城というのは街の真ん中にある丘の上に作られた城のようで、そこから の眺めは絶景だった。古いモスクや風呂場、倉庫や劇場などを見て一番奥まで 行くと町全体が見渡せる場所に出た。近くに売店があったので、そこでアイスピーチティー を買って飲もうと思った。近くには軍の制服を着た17~18の少年少女たちが拍手を しながら歌を歌っていた。そんな彼らと目があった。人懐っこい彼らが僕を 放っておく訳はない。すぐに僕は彼らの輪の中に引き寄せられ、拍手で迎えられた。 まず最初にやはりこう言われる。「Welcome to Syria!」と。
 


アレッポ城からの街の景色


 僕が日本から来た事などを簡単に説明するが、僕がなにか一言いう度にみんなが拍手を するのでちょっと調子が狂った。彼らはちょうど戻らなくてはいけなかった時間らしく、 すぐに出ていってしまったのが残念だった。最後に一人少年が残り、急いで僕に 話し掛けてくる。「あなたは日本人?僕は昔7年間日本に住んでいたんですよ」 とても綺麗な日本語だ。「日本のどこに住んでいたの?」と聞くと「名古屋」と 教えてくれた。「でももう二年前の話しで、日本語も大分忘れちゃったんだ」 本当はもう少しいろいろと話しをしたかったのだが、彼は急いでいたようなで、 すぐにその場を去ってしまった。残念だ。
 


高校生達(軍の制服に見えたが、実は普通の制服らしい)


 騒がしい集団が消えた後、ゆっくりと景色を見渡した。黄土色をした建物が 町中に広がっていて、緑がほとんど無い。太い通りには自動車が詰まっていて、 クラクションの音が絶え間無く続いていた。

 椅子に座ってのんびりとしていると、今度は2人組の男に声をかけられた。 24歳の服職人と40歳の植木屋さんだ。二人とも英語があまり得意ではないので、 今度はすべてジェスチャーでの会話となる。それでも何故か盛り上がり1時間くらいは 話しをしていたのではないだろうか。後半は半分くらいが下ネタだったが、 それもとても面白かった。植木屋さんのジェスチャーがまた笑えた。

 


24歳の服職人と40歳の植木屋さん


 ゆっくりと城を見学していると、時間はもう2時になっていた。

さすがに 腹が減ったので、ケバブでも食べようと街をうろうろする。

見つからずに 困っていると、親切なシリア人が「何を探しているんだい?」と声をかけてくれて、 ケバブというと道を丁寧に教えてくれた。50シリアリアルでようやくおいしいケバブ にありつく事が出来た。
 

 
ロバのおじさんもいた
 


 またスークを通り、ホテルに戻ってくる。スークの入り口が工事中で幅10センチ、 深さ25センチ程の溝が掘ってあったのだが、それを怖がったロバが主人の いう事を聞かずに絶対にそこを越えようとしなかったのが面白かった。数人がかりで ロバを後ろから押すのだが、ロバはしり込みしてなかなか前に進もうとしない。 結局彼は諦めて回り道することにしていた。ところが少し後にやってきた それより小さなロバが軽々とその溝を越えて行ってしまったので、なおさらおかしかった。 その溝の軒先で商売をしていたおじいちゃんも笑っていた。

 ホテルに戻り、今度はホテルのすぐ側にある博物館に行った。ここも入場料 300シリアリアル。泣く泣く払い中に入ったのだが、朝から興奮し過ぎていて、 エネルギーが急に切れてきたようだ。あまり集中して 見ることができなかった。ちょっともったいなかった。けれども言わせてもらえば それほど大した博物館でもなかった。

 あまりにも張切り過ぎたのだろう。ホテルに戻ってきた4時半過ぎから6時半 まで昼寝をする事にした。昼寝のわりにかなり深い眠りで、6時半に目が覚めると 疲れがすっかり取れていた。そこでまた全開で行動する。今日はオン・オフの激しい 一日だ。

 まず明日の行動計画を考える。当初ここのホテルの親父からナントカという 遺跡に行かないかと誘われていた。20ドルで送迎してくれるのだそうである。 ホテルに大きなポスターが貼ってあって、僕も興味をそそられていたので行ってみようかなあ という気になっていた。と同時にちょっと旅をスピードアップする必要もあるので 明日その遺跡とやらを見たあとその足で地中海沿岸のラタキアという街に 行く計画でいた。アレッポはとても気に入ったが、ここで沈没している場合ではない 。

 そこで旅行会社を巡るが、そのナントカという遺跡は実はラタキアのすぐ側に あるとのこと。そしてバス会社に行くとそのバスはなんと一日に一本午前7時の ものがあるだけだということがわかった。これでまた明日は早起きだ。

 また夜の街を巡る。昼間と変わらず活気のある街をのんびりと散策する。 離れがたい街だ。でもきっとそう思っているうちに離れるのがよいのだろう。