一日中黒海を右手に見ながらバスはのんびりと西を目指した。

イランや中央アジア のバスに比べてもトルコのバスはあまりスピードを出さない。道もイランほど整備されていなく、 とても意外に思った。けれどもバス自体はかなりのものだ。日本でも あまりお目にかかれないような、ハイデッカーの綺麗なバスばかりが走っている 。座席もふかふかだし、空調も完璧だ。 けれども何故か疲れる。贅沢な悩みだとは思うが、 海辺を走っているのにもかかわらず 窓が遮断されていて外の空気を感じる事ができないのを残念に思う。今外が 暑いのか寒いのか、風が強いのか、湿気が高いのか、さっぱりわからない。 もちろん空調が効いているのはずいぶんと助かるのだが、それでもこの薄い ガラス板一枚向こうの世界がまるっきり別の世界のように感じてしまう。まるで ブラウン管の向こうの世界のようだ。

 

バスの乗務員達もいままでに 比べてよそよそしい。今日のバスの乗務員は皆洗いたてのワイシャツに 会社のロゴ入りのネクタイをし、アイロンをかけたばかりのスラックスという制服 で決めていた。コーヒーやお菓子、それにジュースなどが時たま供される。それは とてもいいことだと思うのだが、今迄に比べるとどうも人間臭さが漂ってこない。 中央アジアで感じたような、バスの乗客、乗務員全員による一体感など、この国 では出てきようがない。

 

そんな無機質な旅を続けながら、バスは7時間半かけてようやくサムソンの 街に着いた。このバスはイスタンブールに行くバスで、だから僕はターミナル ではなくて、路上で降ろされる事になった。もちろん僕は地図すら持っていない。 だからそこで路頭に迷ってしまう。どうもそこは街の中心街のようにも見えない。 いままでならここで周りの人がいつも助けてくれたものだが、この国ではそれも あまり期待できない。しばらく通りでボーっとしていたら、ドルムシュという 乗合バスが目の前で停まった。だれか人を降ろすために停まったのだが、 行き先を見ると「メイダン」と書いてある。トルコ語でメイダンというのが どういう意味なのかはわからないが、そういえばトラブゾンでもメイダンというのは 街の中心を意味していた。だからと思い、僕は衝動的にそのドルムシュに乗る事にした。

 果たして僕の予想はあながち間違っていた訳でも無いらしく、ドルムシュは街の 中心街のような所に僕を連れていってくれた。サムソンという街の名は、三日前まで 全く知らなかった。「坊主くん」とトラブゾンを目指す時に乗ったバスがサムソン 行きで、その時に「坊主くん」が「深夜特急」の沢木耕太郎氏も同じようにトラブゾン に寄り、そこからサムソンに行ったという話を教えてもらった。それで なんとなく僕もサムソンに行こうと思った。

 街は、トラブゾンとは違って、海岸からほんの少し内陸部に入ったところに 開けている。そしてトラブゾンほど丘が海にせり出していないので、いったん街に 入るとここが海沿いの街である事を忘れてしまうような、そんなところだった。街の 中心には噴水や、馬の銅像のある公園があり、その周りに銀行やバス会社のオフィス、それにホテルやさまざまな商店が軒を連ねている。あちこちにトウモロコシのスタンド が出ており、観光用の馬車が公園の周りで待機していた。歩行者用の信号も整備され、 日本のように青になると音楽が鳴り始める。思っていたよりも大きな街だ。

 ここでいくつかのホテルを周り、最終的に気に入ったOtel Goldというところに 落ち着く事にした。街の中心にある小さなホテルで、まだ新しいホテルらしく、 部屋がとても綺麗だった。トイレ、シャワー、テレビ付きで、 窓からは街の中心のアーチ型をしたモスクが眺められる。 例によってロケット型の白いミナレットが天に向ってにょきにょきと二本伸びていた。 きっとまた今夜もあの歌のようなアジャーンで起こされるのかもしれない。

 ところで、この街はとても湿気が高かった。それはトラブゾン以上だ。だから 黙っていても汗が吹き出してくる。たまらなくなって涼むために夜の公園に 行ってみた。そしてそこには沢山の人が群れていた。イランのように公園の真ん中に 敷物を退いて、家族みんなでティータイムという感じではなかったが、若いカップルや 小さな子連れの家族たちが目立つ。小さな子供たちがブランコの取り合いをしていたり、 シーソーで遊んでいたり。のどかな光景だ。公園の遊機具は日本のどの公園 にもあるようなもので、そう言えばこんなタイプの公園を見るのもずいぶんと 久しぶりだなあと思った。