順調に行くはずだった。今日は穏やかに決めよう。そう心に誓ってバックパックを背負った。 国境を越える時にはなにかとトラブルが付き物だ。その時にこちらが我を忘れては 絶対にいけない。あくまでも平静を保って対処しなくては、上手くいくものもうまく いかなくなってしまう。 だからバスターミナルまでのタクシーの料金交渉でもあまり強気に出なかった。 バスターミナルに着いて、国境の町マクーに行くバスが午後1時まで無いと 知った時も、昨日使おうと思って使えなかったリアルがあるんだと自分に 言い聞かせ、相場よりちょっと高目のタクシーで 国境まで行くことにした。

 

国境の風景

 

こんな風景が出現する

 同乗した紳士が後ろで叫ぶように話し続けるので耳が痛かったのだが、文句も言わずに じっと耐えたし、国境の街までマクーから更に30キロほどあったのだが、 その分の追加料金をタクシーの運転手が請求してきた時も、笑って対応した。 (でも追加料金は払わなかった。)残りのリアルもトルコリラに両替を済ませて 国境のエリアに入り、丘の上の国境の建物までまたタクシーに乗る。

 イラン側の国境は見事なほどにスムーズだった。僕が日本人だということも あり、係員の案内で僕はたったの3分で国境を通過できた。 ここまでスムーズな国境は久しぶりだ。荷物を開ける必要も無かった。 ところが、問題はトルコ側の国境だった。ここの国境は珍しく一つの建物に二つの 入出国審査が同居しているというもので、緩衝地帯は存在しない。扉一つ開けると もうそこはトルコ。ところでトルコとイランの間の時差は1時間半 ある。僕がイランを通過したのがちょうど午後1時のことだから、トルコ側では 午前11時半ということになる。ところが、この時間で既に彼らは昼休みを 取っていたらしく、入国審査の窓口は閉まっており、そこにはもう数百人の 人達でごった返している。

 最初はまあそんなものだろうと思い、大人しく待っていた。トルコ側の国境には 大きな部屋が二つあって、僕はより出口に近い部屋に適当な場所を見つけて腰を 降ろす。1時間もそこで待っただろうか、ようやく窓口が開いたので列に着く事に した。混乱を避けるためだろう、イラン側に近い部屋に通じる扉は閉じられてしまっていた。先にトルコ側の部屋の人達の審査を済ませてしまうようだ。僕は先に トルコ側の部屋に入っていて良かった。とはいってもここだけでもゆうに200人以上はいる。そして列は遅々として進まない。

 問題は横入りだ。みんな平気で横入りをする。それであちこちで喧嘩が起きている。 たまに、女性同士の掴み合いの喧嘩まで起きていた。「おだやかに」と思っている 僕はそんな様を見てもジット耐えていた。それからもう一つ、ここの 入国審査は一人一人申請しなくても良いらしく、列の前の方の人にお金を払って パスポートを預けている人が何人もいた。そしてその人が10冊ほどのパスポートを 一気に窓口に出す。もちろんその分とても時間がかかる。そしてなによりも これだけ沢山の人達を処理するのに係員がたったの一人しかいないというのが 最大の理由だろう。彼がトイレに行けばそれでまた入国審査は中断されてしまう。

 さらに3時間ほどたっただろうか、僕は結局ほとんどの人に横入りされて、 気が付くとトルコ側の人達はあと30人程度を残すのみとなった。けれども あと10人ほどで僕の番だ。もう横入りする人もいないし、パスポートを預ける 人もいない。あと30分後にはきっと晴れてトルコ入国が叶うだろうと 思っていた。

 ところが、なんと信じられない事に、この時点で係員がイラン側の部屋から 通じる扉を開放したのだ。狭い部屋に閉じ込められてうっぷんが溜まっている 彼らに列をつくれといっても、それは無理な相談だ。怒涛のように流れ込んだ 群集は列など無視して、また横入り合戦が展開される。ここで僕は切れて しまった。いままでのいろいろな事も重なって、 横入りしようとしている人を指差して大声で罵声を浴びせる。 さらにそいつは他の人のパスポートを30冊くらい集めて一気に申請しようと しているからなおさらだ。一応列を作っているところには柵があるのだが、 そこを乗り越えて入ってこようとするのだ。

 ほとんど掴み合いの喧嘩になりそうになった。日本語をしゃべれるイラン人がいて 、彼が仲裁に入ってくれなかったらきっと大変なことになっていただろう。 それほど僕は我を忘れていた。そんな僕の抵抗もむなしく、横入りはどんどんと 繰り返される。僕ももう大人しく列についている場合ではない。しょうがなく 5人ほど抜かして窓口に行った。そうするとまた柵を越えてくる人が一人いる。 僕が彼にもまた罵声を浴びせると、サウジアラビアから来た彼は「僕には 病気の子供がいるんだ」などと言ってくる。僕にとってはそんなものは理由にならない と思うのだが、彼は一生懸命言い訳をして結局中に入ってしまった。

 窓口が開くと、いっせいにその窓口に向ってパスポートが突っ込まれる。係員は そこからいくつかのパスポートを拾い上げてまとめてコンピュータに入力し、 スタンプを押して、まとめて返却する。本当はやりたくなかったが、僕は パスポートにしているカバーをはずした。このカバーをつけていれば、菊の 紋章は隠れてしまうので、これがどこの国のパスポートであるかわからない。 けれどもこの状況であれば、絶対に日本のパスポートであることを主張したほうが 良いだろうと思った。ずるいがこの状況だ、仕方が無いだろう。

 思ったとおり、わずかな隙間を狙って突っ込んだパスポートを係員は真っ先に つかんでくれた。ようやく入国審査が終わった。4時間もかかってしまった。 この国境の状態でトルコに対する印象は最悪なところからスタートせざるをえなかった。 システムが整っていなさすぎる。横入りがたやすいという建物の構造もさる事ながら、 これだけの人数を処理するのに係員が一人しかいないというのはちょっとおかしい。 僕はトルコに歓迎されていない気がしてならなかった。

 スタンプを押されたからといって、すぐにこの建物の外に出られる訳でもない。 なにしろ出口には鍵がかかっているのだ。15分に一回ほど係員がやってきて 鍵を開け、パスポートのスタンプをチェックしてから外に出してくれる。 ドアが開いて、外の空気に触れた時は、やっと開放された気がした。 あの混沌とした世界からようやく脱出できたのだ。人々の汗臭さにまみれた あの暗い特徴の無い部屋は、まるで牢獄のようだった。

 


ついに抜けた国境


 国境から、最初の街、ドーバイジットまではさらにここから30キロほど先だった。 丘の麓からバスが出ているという国境の売店の人の話を頼りに、坂を下っていると、 ミニバスの運転手から声がかかる。2ドルで街まで連れていってくれるのだそうだ。 ちょっと高い気もしたが、ここはトルコだ。そんなものなのかもしれないと 思い、一刻も早くホテルに落ち着きたかった僕はそれに便乗する事にした。 イラン人の男性が一人いたので、それで安心した。

 バスはすぐに動き出す。右手にアララト山が見えた。頂上は雲に隠れて見えなかったが、 不意に現れたその山を見ていると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。ドーバイジット は小さな、小さな田舎だった。道が舗装すらされていない。まるでネパールの 街のような感じだ。イランよりトルコは都会だと思っていたので、意外だった。 さて、同乗のイラン人がホテルテヘランというところに行くと言うので僕も 付いて行く事にした。ところがミニバスを降りて料金を払おうとして一悶着ある。 運転手はリラでもドルでもどちらでも良いと言っていたので、僕は1ドル紙幣を 二枚彼に渡した。そうすると料金は3ドルだというのだ。もういいかげんにして欲しい。 これ以上トルコの第一印象を下げないで欲しい。しまいには彼は英語の「トゥー」 というのは3の意味だと思っていたなどと訳のわからない事を言い出す。僕が 相手にしないと解ると今度は荷物代だとも言ってくる。こちらは喧嘩するのも 馬鹿らしくなって、もう無視を決め込んだ。

 イラン人がこっそり僕にこう言った。「トルコ人というのはああいう奴等 が多いから気をつけるんだよ」と。トルコの旅はまた波乱含みになりそうだ。