朝から昨日訪れたカーペット屋に行ってみる。ナデルとタエルの 「日本留学兄弟」がいるところだ。昨日僕が13日の朝のバスで テヘランに帰ろうと思っているという話をすると、それなら是非とも今日の午前中 にチケットを押えておいた方が良いと言われていた。そして、手配を手伝って あげるから、午前10時過ぎにもう一度カーペット屋に来てみなさいと言ってくれて いた。だから彼らの助言に従って10時きっかりに彼らのカーペット屋を 訪れた。

 ナデルは今日は仕事でいない予定だったので、代りにタエルが手配を手伝ってくれる ことになっていた。けれども彼はまだ寝ていたようで、カーペット屋に行くと 彼らのお兄ちゃんが家に電話をして彼を呼んでくれた。その間、このお兄ちゃんと ロクに通じない言葉を駆使して会話する。とても優しい感じのするお兄ちゃんだった。 タエルがやって来たのはそれから30分ほどしてからだった。何でも昨日ワールド カップの3位決定戦を見るのにかなり夜更かししてしまい、それで 寝坊してしまったらしい。彼がやってくるのと同時に激しい雨が 降ってくる。ここはカスピ海沿岸の街なので、雨が他の地域よりも多いのだそうだ。

 お兄ちゃんが電話をしてチケットの有無を聞いてくれたのだが、既に明日の 便はすべて満席だと言われてしまった。イスラムの休日である金曜日から 今日の日曜日まで連休を取っている人が多く、月曜日にテヘランに戻る人が沢山 いて、それでどのバスも満席なのだという。明日はどうやらラシュトまで一度出て、 そこでバスを探すしか手はなさそうだ。ナデルは最悪バスが見つからなかった場合も、 乗合タクシーで25000リアルでテヘランまで行ける事を教えてくれた。これだと テヘランまで4時間で着いてしまうらしい(バスは6時間半かかる)。 それはそれで良いかもしれないと思った。

 午前中は雨が降っていた事もあり、ナデルとずっと話をしていた。イラン人 不法労働行為の実態が明らかになってなかなか面白かった。ナデルとタエルの 兄弟は基本的に埼玉県の飯能にずっと住んでいたという。途中ナデルは三重県、 タエルは岩手県で暮らした事もあるが、拠点は飯能だった。彼らの 職業はいわゆる土方。木造建築専門の建築会社で働いていた。大抵の イラン人は皆力仕事に従事しており、ビザが不要だった時期に日本にやってきて、 そのまま住み着いているのだという。「最近の日本は不景気でねえ。でもうちの会社は 結構仕事が一杯あったんだよ」彼はそう教えてくれた。

 もちろん大抵のイラン人はちゃっかり日本人のガールフレンドをこしらえている。 イランではご法度なビールを毎晩飲み、カラオケやクラブだって行く。イスラムの戒律も遠く日本までは 及ばないらしい。彼によると、実はイラン国内でだってアルコールは種類さえ選ばなければ 手に入るという。もちろんこれは違法行為であるので、おおっぴらには できないし、家で隠れて飲むくらいなのだが、ここカスピ海沿岸ではロシアが 近い事もあり、ウオッカが手に入るのと教えてくれた。「でも暑い時には ビールを飲みたいよねえ」と彼は苦笑いした。

 7年半とは他のイラン人に比べてもかなり長い滞在になるのだそうだ。大抵の イラン人は2年とか長くても4年くらいでイランに帰ってくると言う。 タエルは現在30歳。20代の大半を日本で過ごした計算になる。これからのことは まだ決まっていないと言っていたが、世の中のことをわかってきはじめる年頃の 大半を異国で過ごした彼は、これからいったいどうなるのだろう。彼自身も かなり不安そうだった。

 


マーケット


 午後3時過ぎにようやく雨が止み、いよいよカスピ海に出かけて行く事にした。 昨日行った港の中の公園ではなくて、防波堤の外まで行ってみる。やはり「海」と いうだけあって、水平線の彼方に船の頭が半分くらい見えるだけで、対岸なんて まるで見えない。良く考えれば日本海の半分ほどの大きさもある湖なのだから 当り前といえば当り前なのだが、そんな事にも感動してしまう。波が高く、 周りはほんのちょっとの砂浜の他はすべて岩山になっており、沢山のイラン人が そこに座って湖を眺めていた。

 僕はさっそく砂浜に降りていって、いよいよカスピ海を舐めることにする。 ほとんどこれが目的でここにやってきた。世界最大の湖だから淡水なのか、カスピ「海」というくらいなのだから海水なのか。 人に聞けば簡単に解る事なのだが、どうしても自分で確かめたかった。 旅なんてそんなもんだ。手をカスピ海に浸してみる。思ったよりも冷たくない。 むしろぬるいと言ったほうが良いかもしれない。その手をおもむろに 口にもって行く。そして、舌の先を手のひらにつけてみる。「ピリッ」と 来た、それから喉に「ツン」ときた。明らかに真水ではない。なにかが含まれている。 もう一度手のひらを舐めてみる。そして確信した。そうだったのか、 カスピ海はやっぱり「海」だったんだ。きっと太古の昔には黒海だとか 地中海あたりとつながっていて、何かの拍子にここだけすべて陸地に 囲まれてしまったに違いない。そう、つまり、カスピ海は「しょっぱかった」。


 僕は一人満足して、にんまりしながらカスピ海を眺めていた。はるばる何百キロも こんなくだらないことの為にやってきて、けれどもそれをきちんと確かめられたことに とても満足していた。世界最大の湖は塩水湖だった。色は黒に近い藍色をしていて、 水はとてもぬるかった。そして波は高い。それだけでいい。それだけで 目的は達成された。

 近くにいた家族と話をするようになった。9歳と12歳の少年とその両親、 それからその母親の両親の6人組だ。彼らはテヘランから来たのだそうだ。 写真を撮ったり、簡単な会話を交わしているうちに、メロンをご馳走になることに なった。 一切れ頂いて、二切れ目を頂く時にこの9歳の少年を通して手渡しで受け取った のだが、彼が持ったところが悪く、メロンはその8割り程の部分が 折れて岩の下に落ちてちまった。別にそれはそれで良いのだが、うれしかったのは この9歳の少年が即座に取った行動だ。彼はすぐにまだ自分が食べていないメロンを 僕に渡そうとした。一瞬の躊躇もなく、むしろそれが当然のように瞬間的 な判断でそうした。もちろん僕はそれを辞退して、2割りほど残った部分を 頂いたのだが、そんな少年の行動からこの家の躾の良さを垣間見る事が出来た。

 

 

 
家族全員集合

近くにいた別のイラン人


 その後ものんびりと公園を歩く。途中で遊覧船の親父に声をかけられ、15分ほど カスピ海クルージングとしゃれ込んだ。港の更に奥に行くと、水郷地帯が広がっていて、 水上スキーを楽しんでいる人までいる。なんだか雰囲気はインドのバックウォーター トリップだ。

 その後一度カーペット屋に戻り、今度は仕事を終えて帰ってきたナデルと話をした。そこにはイランのレスリングの結構な有名人がいて、彼のお陰で 無いはずのバスチケットが手に入る事になった。明日11時発のバス。 イランはコネというのがとても大事らしく、このようにバスチケットも コネのある人の為に数席残しておくのだそうだ。一般の人にこのコネチケットを 売る時には通常の価格よりも高く売るのが常だという。そういえば、 テヘランで在った「ルームメイト」もそんな事を言っていた。ぎりぎりに バスターミナルに行くと、最初は切符は無いといわれ、その後本当は8000リアル 程度のチケットのはずが15000リアルなら売ると言う。しぶっていると 10000リアルで良いと言う事になったのだが、結局買わないと告げると、 他のイラン人がそのチケットを10000で買っていたのだそうだ。 僕の場合はこのレスリングチャンピオンのコネのお陰で購入できたのだ そうで、余分なお金は払わなくていいからね、と定価で販売してくれた。

 そのあとナデルとレスリングチャンピオンと飯を食いに行く。またイランの 意外な側面を教えてもらった。それは売春婦だ。イランはそっちの方も かなり厳しい戒律があると聞いていたので、売春婦なんて絶対に存在しないだろうと思っていた。けれども居るのだそうだ。外国人には絶対に見分けは つかないだろうが、地元の人には解るのとのこと。そして、なんと僕らが 入ったレストランの斜め後方に座っていた女の子二人組みがまさにそうだったと レストランを出てから教えてくれた。まさかそれは嘘だろうと思っていたら、 ナデルとレスリングチャンピオンはいつのまにか彼女たちと話をつけた らしく、僕をほっぽり出して、彼女たちと夜の街に消えて行ってしまった。 いやはや、なんとも意外である。料金は若い美人で100,000リアルほど、そして 今日の女の子はそうでもないのでだいたい30,000~40,000リアルだと言う事だ。 つまり高くて20ドルほど、安ければ6ドルほどという計算になる。また 一つ勉強になった。

 


「ナデル」と「レスリングチャンピオン」


 ほっぽり出された僕は、仕方ないのでまた夜の公園でも散歩する。 公園では焼きトウモロコシが売られていたので、買おうと思いお兄ちゃんに声をかけた。けれどももう売り切れてしまったとのこと。実は昨日も買おう として売り切れで買えなかったので、とてもがっかりした。仕方ないので その辺をうろつくことにする。公園では結構小さな子供も働いている。 他の子供たちが家族に囲まれて遊びまわっているのに、大きなお盆にさくらんぼを カップに入れたものを沢山並べて、それを持って歩きまわっている少年もいる。そんなさくらんぼ売りの少年となぜか話をするようになった。 僕にさくらんぼを買ってくれとしつこく迫ってくる。実は僕は昼間に別の さくらんぼ売りの少年から2カップも買い、それを全部平らげているので、 あまりさくらんぼに興味が無く、だからその少年の申し出を断っていた。
 


さくらんぼ売り


 けれども会話を交わしているうちに、なんだか買わないといけないような 雰囲気になってきた。歩いているとちょうど別の焼きトウモロコシ屋さんが いて、まだ売り切れていなかったので、それを買うついでに、彼からさくらんぼも買わせてもらった。彼はとても喜んでいた。ところで、トウモロコシは この上なく固く、ちょっと食べられたものじゃなかった。さくらんぼが ちょうど良い口直しになった。

 さらに公園の奥地に行くと、サッカーゲームの台があった。そこにはさっきのさくらんぼ売りの少年もいたので、彼と一勝負することにする。棒を回転 させて、その棒に付いている人形を駆使してボールを蹴り、相手のゴールに 入れるというゲームだが、これがなかなか難しい。少年は慣れている らしく、あっという間に彼に5つゴールを決められてしまい、僕は完敗だった。 彼は僕に向けてにんまりと笑ったあと、すぐに仕事に戻っていった。

 もう一度カーペット屋に顔を出して、別れの挨拶をし、それからホテルに 戻ってきた。アンザリはとても良い街だった。