朝から乗り換えを駆使して、バスで1時間ほどかけてシリア大使館に向かう。 テヘランは東京並みの大都会で、今僕が泊っているホテルから、大使館まで かなりの距離がある。バスは一回100リアル。乗り継いだので200リアルだった。 途中で、また面白い発見をした。 バスは前と後ろに乗降口があるのだが、男性は必ず前、女性は必ず後ろの乗降口を 利用している。これもイスラムの戒律なのだろうか。けれども長距離バスに おいてはこのルールは適用されていない。女性のドライバーもチラホラ見る事ができる。 女性の社会進出がある程度進んでいる一方で、こんなルールも厳格に適用されている。 不思議な国だ。

 ところで、シリア大使館で早速問題が発生した。事前に仕入れた情報ではビザは 即日発効だということだったので、僕は今日中にビザを受け取って、明日の朝には 昔「世界の半分」と言われたほどに繁栄を謳歌したイスファハンに行こうとはりきって いた。ところが、実際にビザを申請してみると、ビザは翌日の午後でなくては 発行できないのだという。更に明日日曜日はこの国の祝日に当るそうで、 だからビザをもらえるのは明後日の午後になってしまうのだそうだ。 お金を大目に払っても良いから今日中に発行できないか と食い下がったのだが、どうにもならないとのこと。困って、ビザオフィスの前で 思案していると、向こうから「はったり君」がやってくるのが見えた。彼もシリア ビザを申請しようとしていたのだが、日本大使館に行ってみたけれど今日は閉まっていて サポートレターを取れなかったのだそうだ。けれども一応何とかならないかと思って ここにやってきたのだそうである。けれどもやっぱりなんともならなかったようで、 二人で首をうな垂れて、今後どうしようか考えた。  

 僕には心残りがあった。それはカスピ海だ。世界最大の湖カスピ海である。 ゴルガーンに居た時に、カスピ海のすぐ側に居たのにもかかわらず、ビザを申請 するためにとまっすぐにテヘランに入ってしまった。その時はこの国の休日は 他の国と同じ土曜と日曜だと思っていたのだ。結果的にイスラム教のこの国では 金曜日が休日で、さらに今週は日曜日が祝日で、だからここで足止めを食らうことに なってしまった。この後南下して、そこから西をめざしトルコに入ろうと 思っている僕としては、このままでは世界最大の湖を見逃してしまうことになる。 是非ともカスピ海を舐めて、それが淡水湖なのか塩水湖なのかこの舌で 確かめたいと思っていたのに、これはとても残念だ。

 と、その時妙案が浮かんだ。今からカスピ海に行って、月曜日の朝一番にここに 戻ってくれば良いではないか。実は「はったり君」がこの後ラシュトというところに 行こうとしており、そこはカスピ海のすぐ側の街で、さらにここからだいたい6時間程 の距離だと教えてくれていた。6時間なら今から行っても充分明るいうちに到着 できる距離である。僕が、「これからラシュトに行きます!」と意気込んでいると、 「はったり君」も「それじゃあ僕もここでシリアビザを取るのを諦めて、 一緒にラシュトに行こうかなあ」と言い出した。僕らはまた1時間かけてホテルに 戻り、それぞれ身支度を整えてから再集合することにした。

 けれども、結局「はったり君」は同行しなかった。やっぱりここでシリアビザを 取るために火曜日まで滞在する事にしたのだそうだ。ただ、バスターミナルに バスの情報を仕入れる必要があるので、僕と一緒にバスターミナルまで行くという。 バスで行ってもよかったのだが、時間が押していることもあって、タクシーで バスターミナルに向かった。ここに到着した時は東バスターミナルに着いたのだが 、今度は西バスターミナルだった。名前の通り街の西外れにあり、結構な距離だった。

 バスは1時発のものがあり、10分ほど待つだけですぐに出発した。座席が 一列に3つしかない、とても快適なバスだった。これで6500リアル、1ドル 強なのだから本当にその安さに驚いてしまう。バスはすぐに片側3車線の快適な 高速道路を飛ばしはじめた。巨大なテヘランの街を通り過ぎると、いくつかの 郊外の街が窓の後ろに飛ぶように流れて行く。そんな快適な高速道路を100 キロ強進むと、今度は山岳地帯になった。ここのパノラマも絶景だ。カスピ海 に注ぎ込んでいるであろう藍色の川が眼下に勢い良く流れている。ダムも出現した。 山は茶色の乾いた山だったが、その形が雄雄しく、ゴルガーンから抜けてきた時とは また違った表情を見せてくれた。  

 7時過ぎにラシュトの街に到着した。バスはどうやらラシュトより先に行くようで 降りる人はほんの数人しかいないらしい。仲良くなっていたバスの乗客に 「実は「アンザリ」という所まで行きたいのだけど、ここで乗り換えかい?」  と聞いてみると、このバスに乗っていればアンザリまで行くのだそうだ。 「はったり君」によると、ラシュトはその地域の中心都市でかなり大きな街 なのだが、その街自体はカスピ海には面していないらしい。カスピ海に 面しているのはその先のアンザリだと教えてもらっていた。確かにテヘランで仕入れた イラン地図によると、ラシュトはほんの少しだがカスピ海から内陸部に入っている。 だから僕はさらに1時間弱そのままバスに揺られてアンザリに直行した。特に 超過料金は取られなかった。

 アンザリで降りたのは僕の他に10代後半のイラン人一人だけだった。彼に お願いしてホテルを紹介してもらう。彼の手引きで街の中心っぽい広場に面した小奇麗な ホテルに30000リアルで落ち着く事になった。カスピ海沿岸の街らしく 魚定食を平らげて、早速カスピ海へと出かけて行く。既に日が暮れていたのだが、 居ても立ってもいられなくなって、とにかく出かけていった。商店街を 抜けるとすぐに公園になっていて、その先に黒い港が見えた。岸壁はコンクリートで 固められ、大きな船が対岸に停泊している。湖という感じが全くしない。 公園には沢山の人が溢れていて、外国人である僕はかなり目立ってしまい、沢山 の人から声をかけられた。早速カスピ海の味を試してもよかったのだが、水が黒く、 いったいどれほど汚れているのかわからなかったので、それは明日にとって おくことにした。ただ、港特有の潮の香りは漂ってはこなかった。

 商店街をぶらついていると大きなカーペット屋が目に付いた。とても綺麗なカーペット が沢山陳列してある。窓の外からそれをボーっと眺めていると、中から店主が 出てきて「日本人ですか?僕の弟は日本語を話せます」と英語で言って僕を中に招く。 果たして中に座っていた30前後の男は本当に日本語がペラペラだった。3週間前に日本から帰ってきたのだそうだ。日本には7年もいたという。つまり不法就労。出国時に問題無かったのかと聞くと、「悪い事さえしなければ大丈夫なんだよ」 と教えてくれた。後から彼のお兄さんもやってきて、彼も同じように日本で働いて いたので、日本語の会話で盛り上がる事ができた。

 不思議な一日だった。

 


カーペット屋