圧巻の山脈越えだった。景色もさる事ながら、またまたイランを見直さなくては ならないと思った。それはトンネルだ。今迄旅をしてきた国では鉄道であれば トンネルがあったが、道路にそんな贅沢なものはほとんど存在しなかった。 山脈を越えるにしても、えっちらおっちらつづら折りの道を這い上がり、そして またのろのろと下ってくるのが常であった。その度に、山脈を越えるというのは ずいぶんと大変なことなのだなあと実感していた。日本ではトンネルでかなり 近道をしているので、峠越えの大変さは、他の国の比では無い。
 


山越えの風景。女性が二人黄昏ている

途中の休憩所のカラフルな果物屋


 

 

 

ところが、イランの峠にはトンネルが盛大に出現する。3000メートル級の 峠を越えているはずなのに、それを全く感じさせない素晴らしい峠だった。もちろん 絶景だ。切り立った崖の底に藍色の川が流れていたり、「イランのフジヤマだよ」と 隣の乗客が教えてくれた、標高5601メートルのダマーヴォンド山がすぐそこに 見えたり、眼下遥か下方に緑豊かな集落が見えたりと、5分毎に景色が変化する。 ゴルガーンから首都テヘランまでの7時間半の旅はあっという間だった。
 


峠の景色と少年

ここでも記念撮影
 


 

 7時半過ぎに出発したバスは、3時過ぎには山脈の坂道を下って首都テヘランに 入った。湿気のきつい暑い街だった。首都らしく車の量が今迄の比ではなく、 同時に空気が汚染されていた。排ガスの匂いで頭が痛くなる。こんな経験は 久しぶりだ。

 つかみ所の無いほど大きな街に入った時にはいつも戸惑う。インドのデリーや カルカッタに入った時のように、安宿エリアの名前を事前に把握している時は 良いのだが、そうでない時はいったいどこに行けば良いのかわからなくなってしまうのだ。 別にどこに泊っても良いのだが、今僕は猛烈に他のバックパッカーに会いたい。 2ヶ月もそんな旅の話を気さくにできる「同胞」に会っていない。 そして、きっとこの首都であればそれが叶うだろうと思っているので、是非とも バックパッカーの溜まり場的宿に宿泊したい。そうは思うが、それがいったい どこにあるのかさっぱりわからないので、途方に暮れてしまう。

 


大都会テヘラン

思っていたよりもずっと近代的な都会だった


 日本大使館だなと思った。実はこれほど急いで首都に入ったのには訳がある。 この後トルコを経てシリアに入ろうと思っているが、そのシリアビザを取るには テヘランが良いと言う情報を仕入れていた。そして今日は木曜日。土日は大使館が 休みのはずだから、今日中にテヘランに入って金曜日中にビザを取得してしまう 必要があったのだ。更にこのシリアビザを取得するには日本大使館のサポートレターが 必要だという。どっちにしても日本大使館に行かなくてはならないのだから、 それなら今日これから大使館に行って、それでいろいろとその他の情報も 仕入れてしまおうと思った。そこで、タクシーを拾って、バスターミナルから 大使館に直行する。親切なイラン人が僕がタクシーを拾うのを手伝ってくれた。 イランは良い国だ。

 大使館まではかなりの道のりだった。テヘランというのは本当に大都会のようだ。 そして、この都会はとても綺麗だ。排ガス臭さは残るが、インドの都会のような 埃っぽさがあまり感じられない。近代的なビルが並ぶ大都市だ。運転手は いろいろな人に聞きながら、ようやく僕を大使館に送り届けてくれた。時間は 4時12分過ぎのことだった。大使館は普通のビルのようなところで、あまり 大使館臭さを醸し出していない。国旗も出ていなかった。入り口の横に掲示板 の様なものがあり、それを読んでちょっとがっくりくる。なんと大使館の 業務時間は午後4時までと書いてあるではないか。12分遅かったわけだ。

 駄目でもともとと思い、とりあえず呼び鈴を押してみた。そうするととても 親切な係員の方が、「もう業務時間が終わっているので、中には入れてさしあげられ ないけれども、質問があればお答えしますのでどうぞ」と言ってくれた。 そして最初にシリアビザの件を切り出すと、「あら、あら、それじゃあサポート レターが必要なんですね。ちょっと待ってください。今中に入っていただけるように しますから。というのは大使館はこれから3日間お休みになってしまうんで、 それじゃああなたも困るでしょうから、今発行して差し上げますよ」と言ってくれるではないか。 中に入ると、すぐにパスポートを渡し、5分ほどでサポートレターを 発給してくれた。僕がちょっとレバノンにも行こうと思っている というと、そのサポートレターも発行してくれ、さらに両大使館の所在地を 記した地図もくれた。こんなに親切な日本大使館は初めてだ。

 さらに、大使館には珍しい事に、「情報ノート」と言うのが置いて在って、 現地駐在員や旅行者などでこの大使館を訪れた人がみな何かコメントを残している。 待っている5分程の間にさっと目を通すと、「カザール・シーホテル」というのが 多くのバックパッカーが泊る宿であるということが解った。そこでサポート レターをいただいた後にその「カザール・シーホテル」がどこにあるのかを 聞くと、これも親切に住所を紙に書いてくれ、さらにタクシーで行く場合は 相場は5000リアルだろうけど、日本人だとわかるとたいてい7000リアルくらい とられるということまで教えてくれた。

 その他に最近日本人が巻き込まれた犯罪の手口をいくつか紹介してくれ、こう いうケースに遭遇したら十分に気を付けてくださいという情報を教えてくれた上、 僕が日本食レストランはあるかと聞くと、そこの住所や電話番号まで紙に 書いて渡してくれた。業務時間が終わっているのにここまで親切にいろいろと 対応してくれ、感動的に親切な大使館だった。

 それだけでは終わらなかった。僕がお礼を言ってその場を立ち去ると、イラン人 の係員が一人一緒に付いて来てくれ、タクシーを拾って「カザール・シーホテル」の 行き方を運転手に指示してくれた上、料金の交渉まで済ませていてくれる。おかげで 僕は何の問題も無く、バックパッカーの溜まり場、「カザール・シーホテル」に 辿り着く事が出来た。

 ところで、「カザール・シー」はバックパッカーの溜まり場でもなんでも無かった。 どちらかというと、パキスタン人の溜まり場と行った方が良い。一泊、ツインの部屋で 15000リアルでトイレ・シャワー共同と施設の割りに値段が高い。しかもシャワーは 冷たい水しかでないのだそうだ。そのうえフロントでは満室だと言われてしまった。 僕が、それじゃあこの近くの宿を紹介してくださいと言いかけたところ、「そういえば 一人だけ日本人がいるから、彼に聞いて部屋をシェアしてみてはどうか」と 提案してくれた。その日本人とやらはちょうど中庭のような場所で洗濯をしている ところで、彼に聞いてみると快く承諾してくれる。そうなると宿代も一人7500リアル ということになり、それなら合点の行く設備だ。それに、久々に日本人バックパッカー に会えた事だし、そう考えると、悪くないだろう。

 久々の「ルームメイト」は、4ヶ月前に日本を出てきてインド、ネパール、 パキスタンと駆け抜けてイランに入ったのだそうだ。大学を一年休学して 来たのだという。久々に旅の話で盛り上がる事が出来た。それになによりも 日本語で心置きなく話す事が出来るのは、とてもうれしい。

 このホテルのシャワーはとてつもなく冷たいという話を聞いて、近くにある ハマムと呼ばれる公衆浴場に出かけて行く事にした。どんなものだろうと 思い楽しみにして行ったのだが、単なるシャワー室だった。面白かったのは 、イラン人というのは人前で裸になることはないらしく、大きな布を腰に巻いて、 それで脱衣場からシャワー室の小さなボックスまで行き、そこで布を入り口の ドアのところに掛けておくのだ。この大きな布は脱衣場にたくさん掛かっていて、 誰でも使う事ができる。あるいは、パンツを穿いたままでシャワーを浴びている 人もいる。文化や生活習慣の違いというのは、とても面白い。

 それから、日本食を食べに行った。大使館員に紹介されたセリナというところ。ホテルからとても遠くて参った上、海外によくある日本食レストランとは 180度違う雰囲気だったのでびっくりした。それは地元の超高級レスラン という感じで、客も日本人は全くおらず、金持ちイラン人かヨーロッパ人くらい しか見なかった。内部は寿司カウンターと鉄板焼きコーナー、それに座敷席に分れていて、 僕は座敷席に行った。メニューも日本語版は置いておらず、英語と ペルシャ語しかない。従業員も英語はしゃべれるが日本語はだめだった。 つまり、日本人を対象にしたレストランという訳ではなさそうなのだ。

 TERIYAKI・BEEFコースをとると、最初に浅い皿に盛られたトマトベースの スープからスタートしてしまう。その次におしんことご飯、それから 盛大に盛られた照焼きステーキと野菜炒め、それに更にご飯が来た。僕は その他にここの名物である「キャビア寿司」と味噌汁を頼んだ。 キャビア寿司は確かにおいしいのだが、どちらかというと小粒のキャビアで さらに量もほんのちょっとなので物足りなかった。が、何しろ料金が 5ドル強なので、文句は言えない。ちなみにこれら全部あわせて13ドル強だった。 雰囲気や出てきたものの量、質を考えるととても安いと言って良いと思う。

 日本食も食べて、日本人バックパッカーにも会えて、日本大使館員の親切にも触れて 、なんだかとても良い一日だった。