長かった。とにかくとても長かった。今迄通過した国境の中で、間違いなく 一番時間のかかった国境だった。何しろ国境を通過するのに7時間半もかかった のだから。だからといって、特に問題があった訳でも、国境の係員に意地悪をされた わけでも、賄賂を請求された訳でもない。僕は全く問題無かった。長い行列に 待たされたり、待っている人が山のようにいるのに突然係員が御昼休みをとったりと それなりのことはあったが、僕個人の手続きにおいてはとてもスムーズに物事が運んだ。 問題はバスだった。僕が今日乗ったアシカバード発マシュハド行きの路線バスは、 トルクメニスタンの商人バスだったのだ。 

 朝5時45分に目を覚まし、急いでパッキングをして6時半前にはもうバスターミナル に着いていた。バスは7時発のはずだから、ちょうど良い時間だろう。バスターミナル には既に沢山の人がいる。皆とても大きな荷物を抱えている。明らかに商売人達だ。 国境があるとそこにビジネスが成立する。物の流れが生まれる。商人たちが またここでも活動している。

 バスは7時を過ぎてもやってこなかった。まあそのうち来るだろうと思い、 バックパックに寄りかかって座ってのんびりとバスを待った。そのころから、 近くに座っていた少年とのアイコンタクトがはじまった。僕が笑いかけると 彼も屈託の無い笑いを返してくれる。坊主頭の、目のくりくりした少年だ。 そのうち彼らの集団と話を始めるようになった。どうやらその集団の 内、その少年と少年の父親の二人だけがバスに乗ってマシュハドに行くようだ。 彼もとてつもなく大きな鞄を二つも抱えている。とても一人では持てる大きさ ではない。中にはいったい何が入っているのだろう。

 少年の名前はアルスラン。10歳になるのだそうだ。トルクメニスタン人である。 普段は父親だけがマシュハドとの往復をしているのだが、今回は夏休み中ということ もあってお父さんに付いていくのだと教えてくれた。このお父さんからはとても 重要な情報を仕入れた。それは両替レートである。彼によると銀行で取り替えると 1ドル3800リアルだそうだが、闇で取り替えるとだいたい5500リアルなのだ そうだ。イランもやっぱり闇両替の世界のようである。

 


アルスラン


 バスは7時40分過ぎに到着して、8時過ぎにようやく出発した。 アルスランが僕の為の席を取っておいてくれて、だから僕は彼の隣に腰をおろした。 バスは満員で、僕以外は全員トルクメニスタン人の商人だった。イラン人は 全く見当たらなかった。30分程走ると山にぶつかる。この山が国境だ。 山の入り口で早速検問があった。警官が乗り込んできて一人一人のパスポートを 入念にチェックする。僕のパスポートが彼にとっては見慣れない「菊の紋章」の パスポートだったので、おやっという顔をして、より入念にチェックを受けた。 けれどもトルクメニスタンのビザもイランのビザも両方ともきちんと揃えてある 僕は問題無くこのチェックをクリアできた。  

 この検問を越えて、さらに20キロ程山道を走ると、ついに国境だ。トルクメニスタン 側の出国手続きである。荷物を全部持って、国境の小屋のような建物の前で列を作って 待つ。一人ずつしか建物の中に入れないので、炎天下で待たされる事になる。身軽な 僕は(普段は一番大荷物なのだが、今日は一番身軽だった)わりと前の方に並んだので、 すぐに建物の中に入る事ができた。最初は税関である。 係員は僕が日本人だというだけで大いに歓迎してくれた。そして荷物を開けさせられは したが、すんなりとOKが出て、次に出国審査にむかう。

 ここで始めてイラン人に会った。彼はトルクメニスタンからイランに帰るところ なのだそうだ。彼の審査には時間がかかっている。そして、何か問題があるらしく、 係員にここで待っていなさいと列の外側に連れて行かれた。彼に話を聞くと、 どうやらビザが切れたのは昨日で、つまり一日不法滞在したことになり、それで もめているのだそうだ。彼は僕に10ドルの両替を持ち掛けてきた。賄賂に使うのだろう。 彼に会った時にも彼にレートを確かめておいたのだが、彼は1ドル5000リアルだという。 今朝聞いたレートよりも500リアル低い。そこで5500ならば両替に 応じても良いと僕が言うと、あっさり交渉は成立した。 けれども、残念ながら、彼の賄賂作戦は失敗に終わったようだった。

 僕の番がやってきたのだが、パスポートを渡したのに、何故か順番を 飛ばされる。どうしたのかなあと思って、何か問題でもあるのかと係員に 聞くと、ちょっと待ってろという。2人ほど順番を飛ばされて、ようやく 僕の分を処理してくれたのだが、その時に飛ばされた理由がわかった。 ようは面倒なのだ。トルクメニスタン人の二人は10秒でスタンプを押して もらっていたのに対して、僕の分は2分くらいかかった。ローマ字表記に 慣れていないため、名前や出生地が読めないのである。 結果的に全く問題無くスタンプを押してもらった。これで晴れて出国終了だ。 ここまでだいたい1時間弱の行程だった。

 他の乗客はまだまだ並んでいたので、相当時間がかかるだろうなあと 思い、のんびりとバスに座って待つ。そのうちアルスラン達も戻ってきた。 彼らもなんの問題もなかったようだ。さらに1時間ほどすると 乗客の大半が戻ってきて、さあそろそろ出発だろうという雰囲気になった。 けれどもバスはその後2時間も出発できなかった。一人、捕まってしまったのだ。 それも一番大事な人が捕まってしまった。運転手だ。僕が国境の小屋に入った 時に運転手が別室に呼ばれて係員に何か尋問の様な事をされているのをちらっと 見ていた。いったい何が問題だったのかわからないが、結局彼はなにか小さな 紙切れを持って、苦笑いしながら戻ってきた。全員が揃ってから2時間後のことだった。 トルクメニスタン側の国境で結局4時間停車していたことになる。

 5分ほど緩衝地帯を抜けると、今度はイランの入国審査である。ホメイニ師と 現在の大統領の写真が僕らを迎えてくれる。さて、入国審査はすんなり行くだろう と思っていたが、これもそうは行かなかった。まず、建物に入って行くと、窓口 には誰も人がいなかった。結局10分ほどそこで待たされる。ようやく係員が 戻ってきたと思ったら3人ほど処理しただけで、今度は昼休みをとってしまった。 まるっきり共産国のノリだ。利用者のことを全く考えていない。こんな現実を 目の当たりにすると、なんだかイランという国に対する印象が、悪くなってしまう。

 しょうがないのでその辺でぼうっとしていると、そこは税関審査の場所だった ようで、てきぱきとした男が一人椅子に座って通過する人達の荷物をさっと見て 紙に金額を書きパスポートを預かっていた。どうやら関税を払わないと 通れないようだ。彼らは「これは個人で使うもの」などと言い訳をしていたが、 袋の中身は膨大な布で、どう見ても個人で使うもののようには見えない。この 金額を銀行で払わないと、どうしても通してもらえないらしい。昼休み前に 運良くパスポート審査を通過した3人の税関の処理が終わると、彼は僕に 話し掛けてきた。どう考えても僕はこの集団の中で浮いている。

 「中国人かい、韓国人かい」いままでそうだったように、ここでもまず そう言われた。「日本人だよ」というと意外そうな顔をして、「そうかい、 そうかい。パスポート審査はもう終わったかい?」と聞いてくる。「それが どうやら昼休みらしくて、開いていないんだ」と僕が言うと彼は「全く しょうがないなあ」と言って、「もう少ししたら開くと思うから待っていて くれるかい。ほらあそこに空いている席があるからどうぞ座って待っててよ」 と言ってくれる。とても感じの良い人だ。商人のトルクメニスタン人にとっては 悪魔のような存在なのだろうが、少なくとも僕にとっては、イランの印象を 逆転させるに足る存在だった。

 15分ほど待ってようやく開いたパスポート審査に並ぶ。また僕の分だけ 時間がかかる。といっても他の人が10秒くらいなのに、僕だけ1分かかる という程度のものだ。他の人の分は、パスポートにスタンプを押して、ハイおしまい なのだが、僕の分だけは入国カードに記入する必要があるらしく、係員が 僕の代りに全部記入してくれた。アラブ文字だったのでなんだかよくわからなかったが、 無事入国出来たのだから文句は無い。入国スタンプの数字もアラビアの数字で 見慣れないものだから、日付も何がなんだかわからなかった。僕らが普通使って いる数字というのは世界共通だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。 少なくともイランでは数字はアラビアの数字だった。紛らわしいのだが、 普段使っている数字はアラビア数字と言うくらいだから、このあたりから やってきた物のはずなのだが、何故かこの辺の数字というのはそのアラビア数字とは 異なる。これは真剣に勉強せねばならないと思った。

 次の難関は税関審査だ。そこを通ろうとしている人のほぼ100パーセントの 人が、関税を要求されていたので、僕もちょっとドキドキする。特に僕は コンピュータやデジタルカメラなどの高額グッズを持っているので、ちょっと心配だった。 さっきの感じの良い男は、僕の小さなバックに入っているコンピュータに目を付けた。 そして別の係員を呼んで、その係員に促されて別室に通されてしまう。これは ややこしいことになるかなあと構えたのだが、何のことはない。パスポートの イランビザのページに「こいつはコンピュータを持って入国した。製品番号は XXXX番だ」ということをペルシャ語で書かれておしまいだった。つまり イラン国内で販売するなということだ。それを終えて、また税関の男の所に戻り、 今度は大きなバックのチェックがあるのだろうと思ったが、彼は僕に握手を 求めてきて、「ようこそイランへ。どうぞ我々の国を楽しんでいってください」と 言って僕を通してくれた。拍子抜けした。

 結局僕はバスの中で一番最初に国境を通過した人になってしまい、それから 更に2時間以上も他の人達を待たねばならなかった。今度は運転手はわりと 早めに戻ってきていた。商人たちは戻ってくるなり、「私は50ドルとられたわ」 「私なんて100ドルよ」と関税の報告会をしていた。関税とは結構高いものなのだなあ と思った。ちなみに、商人達は女性が圧倒的に多い。

 ここに到着してから3時間半後、ようやくバスは動き出した。全部で7時間の 国境である。やれやれだ。

 イランに入ると道は糸のように細くなった。このか細い道が二つの国を結んでいるのだと 思うと、まだまだこの二国のつながりがそれ程緊密ではないのだと思い知らされる。 だからこそこのような商人たちの存在意義があるとも言えるのだろう。 バスは相変わらずの山道をのんびりと進んだ。思い出したようにポツポツと 村が出現する。廃虚か遺跡じゃないかと思うような、土で出来た茶色の集落に 人が生活していた。それを見てちょっと驚いた。ロバに乗ってのんびりと移動している人もいる。 いったいイランとはどういう国なのだろうか。

 途中のクーチャンに着くまでそんな景色が続いた。クーチャンの街で軽い休憩を とる。僕はのんきに食事などをしていたのだが、大抵の人がどこかの商店に 一目散に駆けて行ってなにやら話し込んでいる。何をしているんだろうと 思い、ちょっとのぞいてみると、彼女たちはもうはや商売をしていた。持ってきた 布をその店で売ろうとしているのだ。商人というものは逞しい。

 さて、クーチャンを過ぎると、あたりの景色は一変した。そして、いままでに ない快適な片側二車線の高速道路を疾走しはじめる。100キロくらいは軽く 出ていただろう。それでもそんなスピードを感じさせない。アスファルトも鏡 のように滑らかで、揺れもほとんど無い。地図を開いてみた。そして納得がいった。 アジアン・ハイウエーだ。僕はまたアジアの幹線道路に戻ってきたのだ。

 アジアン・ハイウエーを疾走して、マシュハドの街には9時過ぎに到着した。 バスターミナルに到着したのに誰一人として降りようとしない。アルスランの お父さんに話を聞くと、この商人バスはご丁寧にもこの商人たちの定宿の すぐそばまで連れていってくれるのだそうである。一泊1ドル程度だというので 、僕もそこまで連れていってもらう事にした。バスはまた暗闇の街を 駆け抜けて、大きなロータリーで停車した。ここで運転手に別れを告げる。 その後僕は訳のわからないまま、ライトバンの後ろに乗せられ、風の心地良い、 都会の夜を駆け抜けた。また思わぬ展開になった。そんな展開が とても楽しい。風に吹かれながら僕は思わず声を出して笑ってしまった。とても 笑いたい気分だったのだ。