暴力的と言って良い程の熱風だった。ドライヤーの風のようだ。けれども不思議と 汗は出ない。それぐらい乾燥している。砂漠気候というのはこういうものなのだろう。そんな 街の中を今日も歩き続けた。何度もホテルに帰ってきて避難しなくてはならなかったが、 それでも可能な限り外に出るようにした。この国には3日しか滞在しないことに なる。この3日で出来るだけこの国を感じようとすると、ホテルでのんびりしている 時間など無かった。

 午前中、しばらく街をふらついたあと、 バスターミナルに行った。歩いて行こうと思ったのだが、そもそもバスターミナルが どこにあるかわからず、キヨスクで買った地図も全く使い物にならず、だから 適当に車に向って手をあげた。今迄の経験からだいたい1ドルも出せばお釣が来るだろう ということはわかっている。案の定3000マナートで行って くれることになった。バスターミナルまでは車で5分程の距離だ。この暑さ の中歩いて行くにはちょっと無謀だった。運転手は陽気な男で、僕が明日イラン に行くというと、「イランは涼しいから安心しなさい」と教えてくれた。彼の 言っている事が本当であることを切に願う。

 まるで空港の管制塔のような建物の横に小さなバスターミナルがあった。これが 首都のバスターミナルかと思うほど小さな閑散としたバスターミナルだ。綺麗な 建物の中には英語の表記も在って、インフォメーションと書いてあるボックスに 行って情報を仕入れた。それによると、ここからイランに行くにはマシュハドという ところに行くバスが午前7時に出ているということ、そして料金は12ドルだという ことを教えてもらった。切符を売っているところも丁寧に教えてくれて、僕は 早速イラン行きのバスのチケットを手に入れた。意外に簡単だったので、ちょっと 拍子抜けした。これでまた明日は早起きだ。そしてついに中央アジアを抜けることに なる。

 中央アジアというところは、日本に居る時にはほとんど情報も無く、旅するのが とても大変な所だという印象があった。特にビザが問題だった。けれども実際には それほど大変な思いをせずに快適に過ごす事が出来た。ビザについては インビテーションさえ手に入れてしまえば、それほど大変ではなかった。 これならば、ネパールで取ったインドビザの方がよっぽど面倒だ。警察の質が 悪く、賄賂を要求してくる場合が多いということだったが、賄賂も一度も 払わずに済んだ。確かに、カザフでは警察に400ドルも盗まれる(未遂)という 事件があったことはあったが、これは賄賂とはまた別の物だ。まあ、警察の質が 悪いというのは本当だったが。

 ホテルや移動に関しても、いままで旅をした他の国と大差無かった。他にあまり 旅行者がいなくて時には寂しい思いもしたけれど、その分地元の人達から 暖かいもてなしを受け、沢山の交流を持つ事が出来た。もちろん 旧ソ連独特の官僚的なシステムに憤慨した事もあったが、それもある意味において 「経験」だ。一度は来るのをあきらめかけた中央アジアだったが、(ビザが取れない と思い込んでいた)頑張って挑戦してみて本当に良かった。ビザ取得の 情報を寄せてくださった、このホームページの読者の方にはとても感謝している。

 さて、明日のバスの切符も購入したし、今度はどこに行こうかと思案する。 バザールにでも行こうかなあと思い、バスターミナルの横のタクシースタンド の方へと歩きながら、ふと右を見ると、なんとでかい飛行機が停まっているのが 目に入った。ここは空港だったのだ。良く見ると沢山の飛行機が停まっている。 来る時になんだかこの建物は空港の管制塔のようだなあと思っていたが、本当に 空港だった。あまりにも街中にあり、またあたりの雰囲気がとてものどかで どうも空港とはかけ離れていたので、とても驚いた。どうみてもあたりは 一日に数本、鈍行が停車するローカル線の駅前広場という感じなのに。

 タクシーの運転手にバザールに行きたいと行ったのだが、バザールは沢山ある らしく、「どこのバザールだい」ときいてきたので、「何でもいいから大きいの」 と言ったのだが、それは通じず、しょうがないので一度ホテルに戻ってきた。 そして、ちょうどお昼時だったこともあり、昨日の夜一人でビールを飲みに行った、 公園の中にあるオープンカフェに出かけていく。ここのウエイトレス達は、 みんなモデルみたい。ロシア系の人達で、ロシア系の女性というのは 皆若い時には飛び切りの美人だと思う。アルマティでもそう感じたが、 この街の女性たちも、アルマティに負けず劣らず美人ぞろいだ。  

 


アシュカバード市内


 ところで、中央アジアの首都というのはどこも同じなのだが、ロシア系住民というのが とても多い。アシカバードも例外ではなく、この街に入った とたんに沢山のロシア系住民が目に付いた。現在ロシア系住民はトルクメニスタン の全人口の約10%を占めている。この国の人口は400万人だから、ロシア系住民が 40万人いるという計算になる。一方首都アシカバードの人口は約40万人。ロシア系住民は首都に偏って住んでいるようなので、 だからこのアシカバードの住民の半分以上はロシア系 住民と言って良いかもしれない。確かに僕の見た感じ2人に1人以上の割合で ロシア系住民を目にする。

 街の造りも旧ソ連の街並みそのものだ。特徴が無いとこの街並みを非難する人も 多いが、街全体の造りとしては僕はある程度評価してよいのではないかと 思うようになった。なによりもとてもゆったりとしていて、緑が多い。 あちこちに公園があり、道路も広く計画的に配置してあるので、交通渋滞が ほとんど無い。歩くと、一つのところから他の所に行くのにかなり距離が あるという難点はあるが、街の中心が街の中心と感じられないほど生活が すぐ側にあるというのはとても良いことだと思う。

 昨晩満席だったオープンカフェはけれども今日のお昼はガラガラだった。 最初は僕しか客がおらず、僕が出るまでにもう一組やってきただけだった。 理由はすぐにわかった。暑い。町中がオーブンの中のような状態なので、 皆オープンカフェなどには来ず、冷房の効いた室内のカフェに行くのだろう。 出てきたピザはまずまずだったが、その前にのぼせ上がりそうになってしまった。

 空腹を満たし、今度は近くの高級ホテル、グランド・トルクメニスタンホテルに 行って、インターネットの情報を仕入に行った。なにしろ明日からイランだ。 きっとインターネットなんて普及していないだろう。確かイランは厳格なイスラム 教国家なので、ポルノなどが垂れ流しになるインターネットに対する規制が かなり強いはずだ。だから出来れば今日中にいままでの分を送っておきたい。 そう思い、ホテルのフロントできいてみたら、残念ながらホテルにはその 施設は無いが、目の前にあるBICTという通信会社に行けば何とかなるかもしれない というので、そこを訪ねてみる。

 すると、今日は日曜日なので本社の方が開いておらず、今日送るのは無理だが、 明日であれば出来るという。僕が明日の朝旅立たなくてはならない事を伝えると、 僕がファイルをあずけることが出来れば、彼らの方で指定したアドレスにメール を送ってくれるという事だったので、早速それをお願いした。写真も一緒に 送ると20ドル近くしたので、テキストだけ送る事にした。これだと4ドルほどだった。

 また、グランド・トルクメニスタンホテルに戻り、今度はこの辺の観光名所を 教えてもらう。僕はこのホテルに泊まっている訳でもないのに、フロントの 人はとても親切に対応してくれた。僕が今泊まっているホテルのフロントは ロシア語しか解さず、だから情報を仕入れる事ができないのだ。こういう時は 五つ星ホテルに来るに限る。近くにカーペット博物館や、歴史博物館が あるという情報を仕入れて、そこに向う事にした。但しホテルの人は今日は 日曜日なので開いているかどうかは定かではないと言っていた。

 そして、果たして彼らの言ったとおり、両方とも今日は休館日だった。更に 昨日ミネラルウォーターを買ったショッピングセンターに行ったらここも 日曜日の為閉まっていた。今迄の国だったら、両方とも日曜日こそ稼ぎ時と ばかりにオープンしていたものだが、この国では事情が違うらしい。確かに 町全体もとても閑散としている。特にカーペット博物館はホテルの人に 写真を見せてもらっており、とても楽しみにしていただけに残念だった。 是非ともトルクメニスタンで一番大きいというカーペットを実際に見てみたかった。

 しょうがないのでまたあたりをぶらついたり、ホテルに戻ってきて避難したり を繰り返しているうちに夕暮れ時になった。といっても時刻にして8時半である。 このころになってようやく街が動き出したようだ。公園では子供たちがサッカー に興じていたり、小さな子供を散歩させるカップルがたくさんいた。確かに ようやく熱風が温風くらいになっており、ひと心地つけるのだろう。

 先ほどE-mailの件をお願いしたBICTのオフィスのあたりをうろついていると 、とても流暢に英語を話す係員に呼び止められて、中に入ってコーヒーを ご馳走になった。昼間とは違う係員である。彼と話ていて、いくつかの疑問が 解決された。まず第一に大統領の写真について。僕はこの大統領が果たして本当に 民衆に支持されて、だからまるでチベットのダライ・ラマのごとくどこに行っても 写真が飾られているのか、それともどちらかというと上からの押し付けによる ものなのかを知りたかった。彼は明答を避けたが、どちらかというと後者の 要素が強いようだ。そのほかにもトルコとの関係が強いことなど、僕の持っていた いくつかの仮説が、地元の人によって証明されたのは良かった。

 このほかにも彼と話ていて、この国の難しさも感じ取る事が出来た。 彼はロシア系住民だ。そしてトルクメニスタン語は全く解さない。彼と話を していて、彼はトルクメニスタン民族というのは全く別の人種だと 捉えている事が、会話の端々から受け取る事が出来た。そして彼はどちらかと いうと否定的なニュアンスで彼らを捉えている。同時に、ロシアに対しても 否定的だ 。そして彼が憧れているのはアメリカ。

 中央アジアでは旧ソ連的体制の産物であるロシア系住民と、現地先住民との 確執というのがどうしても残っているようである。各国は教育や言語について 、脱ロシア化を計ろうとしているが、同時に経済面でまだまだロシアに依存 しなくてはいけない面もあり、完全な脱ロシアを達成できない。実際に今でも 中央アジア各国の大統領は定期的にモスクワに出かけ、エリツィン大統領との 会合を設けている。一方、今日出会った 青年によれば、中央アジア在住のロシア系住民というのは、ロシア本国に 帰還することをのを歓迎されない雰囲気にあり、たぶんこの地からロシア系 住民がいなくなることはないだろう。そして彼らはその地に同化すること について、あまり心地よく思っていない。

 独立後まだ7年。中央アジアはまだ過渡期にある。独立国になったこと でやらなくてはならない変革が多すぎて、内包しているさまざまな問題に 蓋をしている。変化のスピードが早すぎて、人々もまだ何がなんだかわかって いないのが実状だろう。この変化が一段落した時が一番恐い。たった2ヶ月 弱この地を旅しただけで、偉そうなことは言えないが、逆にたった2ヶ月 旅をしただけで感じる事が出来るほど根深くシリアスな問題だけに、この問題が 今後重大なものに発展しないことを切に願って止まない。