国境通過というある意味一種の儀式を終えると、世界は一変する。それは簡単な 国境であろうと、難しい国境であろうと同じ事だ。程度の差こそあれ、かならず 世界は変るのだ。ウズベキスタンからこの国に入ってからも 少なからずそんな変化を感じ取る事ができた。

 まず、旅行者が一番に感じ取れる変化というのは、多分通貨だろう。 もちろん、ウズベキスタもトルクメニスタンも別々の通貨を採用している。 ウズベキスタンはソムだったのに対してこの国ではマナートだ。1ドル5300マナート と、通貨単位がとても大きいところから、この国がかつてとてつもないインフレに 悩まされたことがうかがわせられる。

 それから、僕が次に感じた変化は人々の装束だ。女性はたいてい橙色に黒が混じった とても大きなスカーフをしている。あまりにも大きくてたいてい腰のあたりまで スカーフを垂らしている。そして、大きな花柄の入ったネグリジェのような ワンピースか、胸元に金の模様があしらわれている、赤や緑、それに紫色をした 単色のワンピースを着ている。腰のところを縛る訳でもないので、寸胴に見える。 きっとこれは体の線を見せないための、イスラム的なこだわりなのだろう。

 男性の装束は、ウズベキスタンとそれ程大差無く、西洋化されていたが、 老人はまだかたくなに伝統的な衣装を着ていた。特筆すべき点は、帽子だ。 黒い毛皮で出来た大きな帽子をかぶっている。ちょうど、イギリスの衛兵が かぶっている背の高い帽子を途中でちょん切ったような、そんな形の帽子だ。 この暑い中、毛皮の帽子なんてと思うが、きっとこれも長年つちかってきいた 生活の知恵なのだろう。そういえば、ヒバの博物館で見た昔の人の写真では 人々は皆この帽子をかぶっていた。この帽子は、トルクメニスタンだけの特徴では 無く、ただ、今でもその風習が残っているのがトルクメニスタンだということだ。

 人々の外国人に対する対応も変わった。ウズベキスタンでは皆積極的に 僕に声をかけてきて、時には英語の練習台にされていたものだが、この国では、 僕に興味を持っているのはわかるのだが、恥ずかしいのかなかなか声をかけてこようと しないのだ。観光客の多いウズベキスタンに比べて、この国にはそれほど 外国人が来ないので、外国人慣れしていないというのが案外大きな要因なのかも しれない。

 それからコカ・コーラだ。実はこのコーラというのを注意深く観察していると 意外と面白い。カザフスタンでは缶コーラが中心だった。そして、それらの コーラはノボシビルスクから来たものだった。ノボシビルスクとは、ロシアの ほぼ中央、シベリア地方にある大きな街だ。ところが、キルギス、ウズベクと コーラは250mlの瓶が中心になった。さらに1.5Lのペットボトルも広範に流通していて、 これらはどちらもウズベキスタンの首都、タシケントから来たものだった。 そして、トルクメニスタンに入った途端、またコーラは缶中心になった。 タシケント産のペットボトルも存在はするが、瓶は姿を消してしまった。 そしてこのコーラはイスタンブールから来たものだ。 つまりトルコである。

 トルクメニスタンというのは、トルコ民族の国という意味になるのだそうだ。 だからかどうかは知らないが、コーラ一つとってもトルコの影響を感じさせられる。( この文脈には関係無いが、コーラやファンタ(オレンジ)に比べてスプライトはちょっと高級品で 値段も高く設定されていると言うのも面白かった)コーラ 以外にも、Made in Trukeyの製品を沢山街で見掛けた。 トルコ産の怪しげな飲料が沢山登場しはじめたし、今日久々に手に入れた ガス抜きのミネラルウォータは、トルコとトルクメニスタンのジョイントベンチャー のものだった。(他の中央アジア諸国ではガス抜きの水が手に入らなかった。) それに、テレビをひねれば、トルコからのテレビ番組が盛大に流れている。 隣国、イランとの鉄道が開通したこともあり、イランとの結びつきが強いのかと思っていたが、 まだ二日しか滞在していないが僕はこの国で、よりトルコの匂いを強く感じる。

 そのトルコの匂いを感じるのと同時に、ロシアの匂いが薄くなってきている。 これは既にウズベキスタンでも感じた事なのだが、カザフやキルギスでは、カザフ人同志、 キルギス人同志でも皆ロシア語を使って会話していたのに対し、ウズベクの西部では みなウズベク語を使って日常会話をこなしていた。ウルゲンチなどでは、郵便局 の係員すらロシア語を解さなかった。トルクメニスタン然りである。だいたい皆 トルクメニスタン語で話をしている。カザフやキルギスの人にとって、母国語が ロシア語、第一外国語が自国語という状況だったのに対し、こちらの人にとっては 明らかに母国語は自国語、第一外国語がロシア語という感じだ。ウルゲンチやブハラ、 それにマリではロシア人をほとんど見かけなかった。きっと、ソ連時代もロシアの 支配はこのあたりの最深部までは及ばなかったのだろう。

 これらいくつかの小さな変化の他に、この国に入って嫌でも感じる大きな特徴という のがある。それは大統領だ。僕はこういうのはあまり個人的に好きではないのだが、 大統領を神格化しようという魂胆が見え見えなのだ。まず、お札。 たいていどこの国のお札も歴史上の英雄だとか、文化的に功績のあった人 だとかを採用している。そして、それは各通貨によって別々の人である。ところが この国の通貨、マナートにはなんと現大統領の顔が印刷されている。 それも、50、100、500、1000、5000、10000と6種類あるお札の全部が全部に この大統領の顔が印刷されている。

 それから街のいたるところにこの大統領の巨大な写真が飾られている。いろいろな ポーズでだいたい国旗と一緒に微笑んでいる。絵ではなく写真。中国には 毛沢東の像があったし、ロシアにはレーニンの像があった(現在はどうか知らない)が、 それは既に過去の人であったし、像というのは写真ほどにリアリティーが無い。 けれども写真というのは、しかも現大統領の写真とはなんだか生生しい。 ここまで街に現大統領の写真が溢れている国というのを僕はしらない。ひょっとしたら これから行くイランもホメイニ師で溢れているのかもしれないし、あるいは 行く予定は無いがイラクだってフセイン大統領で溢れているのかもしれない。 けれどもいままでそういう経験が無かった僕にとってはそれはとても奇異に映る。 日本のように顔写真が沢山入っている広告が溢れている訳でもないこの国では、 大統領の写真が嫌でも目に飛び込んでくる。僕が今泊っているホテルの入り口 にも、縦5メートル、横3メートル程の彼の写真がでかでかと飾ってある。そして 僕はあまりこういうのを好きにはなれない。

 


街のいたるところにこんな肖像画


 トルクメニスタンのいうのは、比較的早くから政情が安定した国の一つ。 そして、旧ソ連では崩壊後一番最初に経済をプラス成長させた国でもある。確かに、 資源大国でもあり、それに政治の安定が重なれば、経済の回復はたやすかったのだろう。 けれども、その政治の安定というのがこの大統領個人崇拝、神格化主義から来たので あれば、とても危険だ。一つにはこの大統領が暴走した場合にとても危険である。 それからこの大統領が失脚したり、あるいは亡くなった場合もとても危険だ。 旧ユーゴスラビアで何が起きたのかを考えると、背筋がぞっとする。といっても 旧ユーゴスラビアと違ってここは少数のロシア系住民が居住するほかは特に多民族 国家でもないのだが、くれぐれも、この神格化が間違った方向に進まないでくれることを 祈る。  

 ところで、今日僕は首都アシカバードにやってきた。バスでマリから6時間の 行程だった。この国にはバスにも外国人料金というのがあるのだそうで、 (カザフをのぞいてホテルにはまだ外国人料金が存在するが、バスはどこでも平等だった)現地人が15000マナート (約3ドル)なのに対して、僕は8ドルとられた。といっても距離を考えると 8ドルでも安いと思うのであまり文句も言えなかった。途中は相変わらずの砂漠や 平原ばかりがつづいていて、3時間ほどでようやく山にぶつかった。 山にぶつかると今度は山に平行して西にむかう。そして、その山の向こうはイラン。

 アシカバードでは、ブハラで会ったアシカバード在住のアメリカ人に推薦されていた、 ダイハンというホテルに直行した。バスの運転手にダイハンに行こうと思っている というと、途中で降ろしてくれた。街の中心にあるそのホテルは34ドル(これも 外国人料金)と、僕にとってはちょっと高かったが、ここでは時間も無い事だし、 ホテル探しに時間を取られるのが惜しくて泊る事に決めた。部屋はなかなか綺麗で 広く、冷蔵庫も電話もテレビもエアコンも付いていた。けれどもバスタブはあるのだが、お湯は出なかった。 フロントに文句を言うと、「ここは安宿だからしょうがないのよ」という答えが 帰ってきた。確かにこのエリアの他のホテルは軒並み100ドル以上の値を付けて いた。