結果的には大変上出来な一日であった。予定通りトルクメニスタンのマリまで やってくる事ができたし、気に入ったホテルにも簡単に落ち着く事が出来た。 気にしていた入国料50ドルなんてとられなかったし、なによりも6回も交通機関を 乗り継いだのにも関わらず、待ち時間がほとんどなかったなんて、快挙だ。

 けれどもやっぱり面倒だった。そもそも6回も交通機関を乗り継がなくていけない なんていうのは、結構大変だ。それに、ウズベクとトルクメンの国境は他の中央アジア 諸国の国境に比べると、かなり厳しかったし、また暇な国境なものだから、 念入りにいろいろと調べられてしまい、それも面倒だった。

 朝、8時前にホテルを出発する。昨日集めた情報を元にアラートを目指すことにする。 早速タクシーを捕まえて「コルホーズ・バザールに行ってくれ、アラートに行くんだ」 と伝えた。僕の心の中では200ソムが大体の相場だなと思い、値段を聞くと、向こうも 200だという。異存はないのですぐに僕は車中の人となった。

 彼は、僕をアラート行きのバスのすぐ側に横付けしてくれ、まず第一回目の 乗り換え。バスといっても満員になると出発する三菱の12人乗りのバンだ。 僕が乗るとバスはすぐに出発した。緑の畑の中を疾走する。隣に座ったおじいちゃんが いろいろと僕に話し掛けてくる。綿花畑を指差して、あれから服を作るんだよと 教えてくれたり、何かと指をさしては「あれは日本にあるかい?」ときいてくる。 たいがいはある物ばかりだったので正直に「ある」と答えていたのだが、 ロバはそういえばいないなあと思い「無い」と言うと、「そうかい、そうかい」と ようやく満足そうにうなずいた。

 1時間もしないうちにバスはカラコルという街に到着し、僕はそこで降ろされて しまった。乗る時にアラートということを確認して乗ったのにおかしいなあと 思っていると、運転手が近くに停まっている小型バンを指差して、あれに乗り換えだよ と教えてくれた。カラコルまでは100ソムだった。そしてここからアラートまでは 40ソムなのだそうだ。両方あわせても1ドルいかない料金だ。小型バンは僕と 同じように乗り換え組みの客を乗せると、さっさと出発した。2回目の乗り換えである。

 アラートまではたったの10キロ程の距離で、だからあっという間に到着した。 アラートは思ったよりもとても小さな街で、バスが停車したところには、人も 車もそんなにいない。困ってバスの運転手に質問しようとすると、ちょうどやってきた 乗用車の男が、「トルクメニスタンかい?乗せていってあげるよ」と申し出てくれた。 料金は1000ソムだそうだ。これは昨日聞いた相場の低い方に合致する。 それくらいなら出してもしょうがないなあと思っていたので、彼の申し出に うなずいた。

 と、その時、そう言えば今僕はウズベクソムをそんなに沢山持っていなかったことを 思い出した。あわてて100ソム札を数えてみる。やっぱり足りない。7枚しかないのだ。 僕が彼の目の前でお金を数えて、困っていると、彼は笑顔で、じゃあそれだけでいいよ、 と言ってくれた。案外700ソムでも彼にとっては良い商売なのかもしれない。

 アラートから更に15キロほど先の何も無い平原に突如として国境のビルが出現する。 まさにこれは普通の国境だ。ウズベク、キルギス、カザフの3ヶ国の国境のように 国境らしき建物があるにはあるが、ほとんど素通りという国境とは訳が違いそうだ。 それに、この国境の交通量は極端に少なくとても閑散としている。トルクメニスタン と他の中央アジア諸国というのはつながりが薄いようだ。  

 だから、僕はここで結構厳しい検査を受けなくてはならなかった。税関の申告用紙に 持ち出すドルの金額などを正確に記入させられる。ところが、ここに入る時に はパスポートコントロールが存在しなかったものだから、入国時の税関申告書 を持っておらず、それで少しもめてしまった。本当はカザフに入る時の税関申告書 を持っていたのだが、実はその時に、持ち込むドルの量を過小申告してしまっており、 だからその税関申告書は隠しておいた。カザフに入る時には、ドルの量を 大目に書いたつもりでいたのだが、その後確認するともっと一杯持っていたのだ。

 けれどもしばらく粘ると、まあしょうがないなあと言う事になり、その場は開放された。 その後出国審査があり、パスポートに出国のスタンプを押される。これで晴れて 開放されるかと思ったら、カスタムの男がまたやってきて今度は僕のバックをチェックする という。鞄を開けさせられたのはこの旅はじまって以来だが、特にやましいものは 無いので、素直に従った。バックを開けると昨晩洗おうと思っていて挫折してしまった パンツと靴下が出てきてしまって、ちょっと気まずかった。

 一通りチェックがすんだあと、今度は「おまえはカメラを持っているか」と聞かれる。 こういうところでは撮影に対して敏感なので、それで聞かれたのかなあと思い、 けれども正直に「持っているよ」と答えると、「じゃあ是非ともそのカメラで 俺を撮ってくれ」と言われた。国境は本来撮影禁止のはずなのに、彼の リクエストで僕はシャッターを切った。当然彼は強引に彼のアドレスを書いてよこし、 日本に帰ったらここに写真を送ってくれと言って僕を送り出してくれた。

 


国境の陽気な係員達


 ウズベクの国境を出て500メートル程行くとトルクメニスタンの国境だった。 タクシーの兄ちゃんはここまで付き合ってくれる。つまり30分以上かかった 国境の審査の間中僕に付きそって、いろいろと教えてくれたのだ。とても親切な 兄ちゃんだった。

 トルクメニスタンの国境もかなり厳しかった。同じようにパスポートにスタンプを 押され、税関でいろいろと申告させられる。厳しそうなので、カメラやコンピュータ についてもきちんと申告しておいた。その後また鞄を開けさせられてチェックを うける。暇な国境というのはこれだから始末が悪い。

 このころから一人の男が僕にまとわり付いて来た。彼は最初タクシードライバー だと名乗って、僕をここから先にあるチョリジョウ という街まで送っていってくれると言うのだ。彼にチョリジョウまでの距離を 聞くと60キロほどあるのだそうだ。なんだか胡散臭そうだったので、国境の 建物の中で、チョリジョウまでの大体の相場を聞いておいた。そうするとタクシーしか 選択肢は無く、大体10ドルだという。

 その情報を元に国境の建物を越え、タクシーがタムロしている場所まで行くと、 また例の男がまとわり付いて来て、いよいよ料金交渉ということになった。彼は15ドル だといって譲らない。その合間に両替えも持ち掛けてきた。1ドル5000マナート なのだそうだ。ここでこの男の正体がだいたい解った。というのは現在 1ドルは銀行レートで5300マナート。闇ではそれにもう少し色がついた レートだということは昨日会ったアシカバード在住のアメリカ人から聞いて知っている。 彼は情報の無い旅行者から金をふんだくる、国境を食い物に生きている男なのだ。

 さらに彼はタクシードライバーでもなんでもなかった。単なる斡旋男なのだ。 結局僕が10ドルから譲らないと解ると、わかった10ドルでいいと言っておきながら、 タクシードライバーと話をして、やっぱり20ドルだと言い出す始末。結局面倒 なので彼を介さず自分で交渉して、60000マナートで行ってくれることになった タクシーに決めた。この斡旋男は、タクシーの男に60000マナートを先に払って、 僕から12ドルを取ろうとしたのだが(つまりしつこく5000で計算している、僕が 5300だろうと突っ込むと、それはバザールレートだとうろたえた)、僕がタクシードライバーに あとからお金を両替えしてマナートで支払うということで話を付けた。 僕から儲けをとれなかた彼は、今度はこのタクシードライバーからコミッションを 請求していた。やれやれ、という感じだ。

 タクシードライバーはなかなか良いおっちゃんで、最初に鉄道駅に連れていってくれて、そこで 両替えを済ませた。レートは5350だった。そのあと30分程でチョリジョウのバスターミナル に到着する。チョリジョウまでは20キロほどの距離だった。途中川に浮島をつなげた ような危ない橋を渡ったが、通行料は1000マナートだった。(ただしウズベキスタン からやってきた車一台に付き 50ドルだか60ドルだかという情報はどうやら本当のようだ)

 チョリジョウのバスターミナルで本日5回目の乗り換え。ここで初めて待ち時間が あった。バスターミナルと言ってもバスは一台も停まっていない。少々不安になったが 僕がマリに行きたいというとその辺にいた男達が 10分待てという。その間に目の前では中国で見たのと同じようなイカサマ賭事師が 商売していた。また例によってサクラの男達が熱くなっている。もちろん僕は何度も 誘われたがその度に首を振っていた。

 バスが一台やった来たので、あのバスはマリに行くのかと聞くと、それまで 親切にいろいろ教えてくれていた男が、違うあれはバイラム・アリ行きだと 言う。そしてマリに行くならあと10分待てという。その間も盛大に賭事が繰り広げ られていて、この男も僕のことを執拗に誘ったのだが、一度失敗して懲りている 僕は最後まで首を降り続けた。そしてやがてその賭事が終わると、いつのまにか その男もどこかに消えてしまっていた。危ない、危ない。やっぱりあいつもグル だったのだ。

 そして、その男が消えたあとで、隣に座っていた老人がぼそっと、バイラム・アリ っていうのはマリから25キロしか離れていない街なんだよ。と教えてくれた。 つまりそのバスに乗ってとりあえずバイラム・アリまで行き、そこでバスを乗り換えれば 良い話ではないか。僕はあわててそろそろ出発体制に入っていたバスに飛び乗った。 あの男は単に僕を引き止めておきたかっただけのようだ。危なかった。

 バスは3時間半ほど炎天下の砂漠を走り続けた。ここもやっぱり砂漠なのだ。 特に変わった景色は見られない。ブハラからウルゲンチへと向う時に通った砂漠と 基本的に同じ世界が繰り広げられている。太陽の光もやっぱり容赦無かった。 これは国境を越えたからといって変るものでもないようだ。

 バスは5時前にバイラム・アリに付き、目の前に止まっていたマリ行きのローカル バスにのると、バスはすぐに出発した。これは本当にローカルバスという感じで、 結構込んでいたので僕は座る事ができなかった。

 バスは駅前のバスターミナルに付き、すぐ側にある宿にチェックインした。 なんだかんだ言って、やっぱり疲れた一日だった。