夕べも大変暑かった。またドアを全開にして寝たのだが、やっぱり駄目だ。 4時過ぎに観念して、布団をテラスに持っていてそこで眠った。部屋は暑いが 外は結構気温が下がっていて、さらに風がちょうど良く吹いていたのでようやく 安眠できた。最初からこうすれば良かった。
今日は街でガイドを雇う事にした。昨日フランス人の2人組と話をしていて、 彼女たちが街でガイドを雇った話をしているのを聞いて、僕も今日はガイドを 雇って見ようと思った。やはりガイドがあるのと無いのでは理解の幅が違う。 彼女たちに言われたとおり、カリヤ・ミナレットのとなりにある民族楽器美術館 のおばちゃんに聞いてみると、しばらくしてガイドを連れてきてくれた。 内城のツアーで2時間半ほどかかり10ドルだという。これはフランス人の 彼女らの話とも合致していたので文句はない。早速お願いする事にした。
最初は僕のお気に入りのカリヤ・ミナレットの説明だった。予想通りここは途中で 工事が中断されてしまったミナレットなのだという。完成すれば120メートルの 高さになる予定だったのだが、当時の王の死去によって26メートルの時点で 中断されてしまった。どうして中断されたのかを聞くと、ミナレットには最初のブロックを 設置した人の名前が付く事になっており、後の王様たちは前王の名前が付くこの ミナレットにわざわざ労力を裂くことを嫌ったのだそうだ。
ヒバはテーマパークのようだった |
カリヤ・ミナレットがひときわ目立つ |
その後、王が住んでいたといわれるアルクに行った。昨日行った王の居城は 東門のすぐ側だったのだが、こちらは西門のすぐそばだ。時代によって住んでいた 場所が違うのだろう。中にはやっぱりハーレムがあった。それからそこには造幣所 もあったのだそうで、一時はシルクのお金も作られていたらしい。彼によると、 シルクのお金は、唯一ヒバにのみ存在していたのだそうだ。それから装飾に使われている タイルが、下の部分は新しいのだと教えてくれた。確かに色がくすんでいる。 古いものの塗装技術は現在でも解明されておらず、だから新しいものはすぐに 色がおちてしまうのだそうだ。それから古いものには良く見ると一枚一枚に 数字が記入されている。こういうことはガイドに教えてもらわないと絶対に 理解できないことだ。
謁見の間には昔は黄金の椅子があったのだそうだが、ロシアが侵攻してきた 時に奪われてしまい、現在ではクレムリンにある美術館に保管されているのだという。 独立した今、彼らはその返還を要求しているのだが、いまだ実現していないという。そのほかにも「ロシア侵入時に云々」という説明がとても多かったので、 彼に「あなたはロシアを好きですか?」という意地悪な質問をしてみた。彼は しばらく沈黙してしまう。それが答えだ。「すいません、これはしてはいけない 質問でしたね」僕はそういってその場を取り繕った。が、しばらくして彼はこう言う。 「でもね、ソビエト時代にはここには年間ロシア人観光客が100万人、外国人 観光客が4万人も訪れていたんだよ。でも今の現状は見ての通りさ。だから そういう意味では...」
確かにそうだ。ここにはあまりにも観光客が少なすぎる。年間104万人ということは 単純計算で1日3000人程が訪れていた計算になる。ところが昨日、今日とこの街を 周っていて、どう見ても観光客は30人くらいしかいない。ガイドである彼に してみれば、それでは商売あがったりなのだろう。
アルクの前には死刑執行を行ったという広場があった。ここではロシアに併合される 直前まで公開処刑が行われていたのだそうだ。親の言いなりにならず他の男に 恋をした娘とその相手の男が見せしめのために殺されたりと、なかなかえぐい。 昔の商店にはドアも無く、もちろん鍵も無かったのだという。そして盗人は 両手首を切られたのだそうだ。まさに、目には目を、歯には歯を。
その後も他の美術館や、偉い人の墓などを丁寧に解説しながら回ってくれた。 昨日見そびれていた沢山のところに案内してくれた。たとえ一度見たところで あっても、解説があるので新たな発見があって面白い。たとえば昨日行った 王のハーレムの左手にあった4つの大きな部屋は、正妻(イスラム教では 4人の妻を持つ事を認めている)の部屋で、その他の部屋は 後宮の女性たち。そしてこちらの部屋は太陽の光の関係で劣悪な環境にわざと 置き、彼女たちの回転(病気になって家に帰る女性が多く、代りの女性が 補充される)を早める事によって、女性達の若さを保っていたという ことを教えてもらった。
メドレセには社会見学の子供たちが |
最後に市場を見学してツアーはおしまいになった。なかなか為になる、面白い ツアーだった。
ホテルに帰ると僕は一人になっていた。みんなもう出ていってしまったのだ。 さて、僕はどうしようかと部屋で考える。トルクメニスタンに入らなくてはいけないのは 7月3日だ。あと4日ある。トルクメニスタンに行くには一度ブハラに戻らなくては ならず、またブハラには見残したいくつかのものがあるので、是非とも2泊したい。 そうするとあと2泊とこかでする必要があるわけだ。つまり明後日のバスでブハラ に入ればよい。
とすると、今からどこか他の街に行くというのはちょっと無謀だと思う。このまま ヒバに居ようか。ただし、そうするとホテルが問題だ。この暑くて高いホテルには もう居たくない。もう一軒昔のメドレセ(イスラム神学校)を改造したホテルが ここにはあることはあるのだが、部屋は暗く、最近ちょっと疲れ気味なので そこにはあまり泊りたくない。
そう考え、ここから20キロほど先のウルゲンチに行くことにした。2時過ぎに ホテルを引き払い、トロリーバスにチンタラ揺られてウルゲンチに入る。実は 最近旅に疲労しており、それがなかなか回復しない。暑さや蚊のせいもあるのだが、 精神的に疲れがピークに達している。こんな時にはそれなりの質の高いホテルに 泊まり、のんびりと過ごす必要があるのだ。経験上それが必要なのがわかっている。 そして昨日日本人観光客に会った時に彼らがウルゲンチのホテル・ホレズムという ところに泊っているのだという情報を仕入れておいた。だから早速そこに 向った。
料金を聞くと50ドルだという。やはり高い。そして部屋を見せてもらうと、 バスタブやエアコンも付いていて、それなりに綺麗なのだが、どうも50ドルというのは 高過ぎる気がする。正直に、値段と質が合っていないと言うと、フロントの人は ツインの部屋を一人で使うと43ドルだけどと教えてくれ、部屋をチェックすると、 値段が安くなる上、部屋の質が格段に向上したので、こちらに泊る事にした。部屋は シングルの部屋の2倍以上はあり、ベッドの他に応接セットまで置いてある。テレビ が無いのがたまにきずだが、そもそもテレビなんてあんまり見ないから問題無い。 この部屋であれば日本人団体客も何とか納得するだろうというレベルの部屋だった。
今日明日はこのホテルでのんびりと過ごし、旅の疲れをすっかり落とそうと思う。