7時過ぎに街に出た。これくらい朝早いとさすがに過ごしやすい。それでも 暑いには変りないのだが、少なくとも炎天下ではない。とは言っても既に容赦無く 太陽の熱波は僕に突き刺さる。このあたりの夏というのは、手加減というものを 知らない。

 さっそくオールドタウンに入り、また迷路のような道を歩いた。既に生活は 始まっている。子供たちはもう元気にそこらを駆け回っており、大人たちは たった今バザールで仕入れたばかりのパンを大事そうに抱えて家路を急いでいる。 また、沢山の挨拶をしながらも、僕は昨日訪れたのと別のバザールを目指した。 旧市街の外れにあるバザールで、こちらのほうが規模が大きい。だから、今日こそは 蚊取り線香を買う事が出来るに違いない。なにしろ、昨日もまた蚊との闘いに 明け暮れた一日だったのだから。

 つまり、昨日購入した胡散くさい「超音波蚊撃退機」はやっぱり胡散臭かった。 蚊を「撃退」するのではなくて、逆に蚊を「寄せ集める」機械じゃないかと 真剣に思ったほど、昨日の僕の部屋は蚊で溢れていた。眠る前に「蚊が2匹いるから とりあえずこいつらをやっつけてしまおう」と思い、苦労して奴等を叩き潰したの だが、僕の考えというのはとんでもなく甘かったということがすぐに分かった。 途端に別の2匹が出現して、それも撃退したのだが、その後ひっきりなしに2匹ずつ蚊が現れるのだ。 結局全部で30匹以上はやっつけたんじゃないだろうか。気がつくと既に深夜2時を 過ぎている。そろそろ僕も疲れてきて、眠りに就いたのだが、蚊の攻撃は 勢いを止めることをしらず、結局昨夜も10個所以上を刺されてしまった。 もちろんロクに睡眠もとっていない。

 だから是が非でも蚊取り線香なのだ。まだ朝早いというのに早速バテてしまい、 途中一度「コーラ休憩」をはさみ、その後道に迷ってしまったのだが、8時半すぎに にはようやくバザールに着くことが出来た。そしていくつもの店を駆け回り 「蚊取り線香は無いかね」と聞いてまわるのだが、みんな見事に首を振る。 更に一度「コーラ休憩」を挟んで粘ったのだが、結局どこにも蚊取り線香は 置いてなかった。いったい地元の人はどうやって蚊に対処しているのだろう。 いままで訪れたすべての国で簡単に見つかった「蚊撃退グッズ」を 探すのにこうも苦労するとは思わなかった。

 「蚊取り線香探し」に必死であまり周りを見る余裕はなかったが、ここのバザールは 確かに昨日行った街中のバザールに比べても規模が大きい。香辛料のコーナーが あったり、雑貨のコーナーが入場料3ソムとられるというところが今までにない 特徴だった。ところで、この3ソムを払って入るエリアの外にも同じような雑貨屋が 並んでいたのだが、このエリアの中と外の違いというのは一体どういうこと なのだろうか、最後まで理解しかねた。

 さて蚊取り線香探しに疲れてしまい、僕はすでに歩いてホテルに帰る気力が 無くなっていた。なにしろホテルまでここから歩いて1時間の行程である。10時を 周ると、あたりは既にすっかり炎天下で、まだ体調に不安がある僕としては あまりリスクを取りたくなかった。だからタクシーを捕まえて、100ソムで ホテルまで連れていってもらった。昨日あまり寝ていない事もあって、ホテルに 帰ってくるなり僕はもう一寝入りを決め込んだ。

 3時。行動再開である。今度はまたしつこく昨日訪れたマーケットに行った。 といっても蚊取り線香を買うためではない。 もう市場で蚊取り線香を買うのは無理だという事がわかった。でもこの使えない 「超音波蚊撃退機」を何とかしたかったのだ。もうパッケージも開けてしまい、さらに 一回使ったものなので返品が効くかどうかはわからなかったが、950ソムも出して (といっても6ドルくらい)全く役に立たないとは、納得が行かない。 その旨をジェスチャーを交えて店の親父に話したのだが、彼はもう一度開けてしまって いるし、機械自体は動作する(電源を入れると赤いランプが付く)ので 返品はできないと言い張った。  

 交渉はとても穏やかに進む。お互い笑顔で、でも結構シビアな話しを交わし合った。 おっちゃんはこうも言った。「それにこれは日本製だよ」が、しかしそれは明らかに 日本製ではない。それにたとえそれが日本製だとしても、全く役に立たないので あれば話にならない。結局僕の方からした「950で買ったけど、800でいいから 返してよ」という申し出に、親父がしぶしぶ乗る形で交渉が決着した。そして 握手して別れた。

 


チャル・ミナル


 その後、明日のウルゲンチ行きの情報を収集しにバスターミナルまで出かけていった。 来る時に7番のバスで来たので、7番に乗るとバスターミナルに行くに違いないと 思い、20分ほど待ってやってきた7番のバスに意気揚々と乗り込む。確かに 7番のバスでバスターミナルに行き着く事は出来たのだが、途中でずいぶんと 遠回りをしたために、バスターミナルまで1時間以上もかかってしまった。 バスターミナルに着くなりまた「コーラ休憩」だ。店によってはコーラがあまり 冷えていないので、いつも実際にチェックして買わなくては行けない。そこら中に コーラスタンドがある時は良いのだが、いつもそういう訳ではなく、たまには 温いコーラで我慢しなくてはいけないことが多々あった。バスターミナルの コーラも「はずれ」であった。

 ところで、今迄は特に時間を調べなくても、次の街に行くバスが盛大にあったので 良かったのだが、どうやらここからウルゲンチに行くバスの場合はそう簡単には いかないようなのである。昨日、チャイハナに行った時にエイカーに会ったのだが、 彼がそう教えてくれた。1日に一本しかないそうで、ロンリープラネットによると 2時30分発なのだそうだ。僕は基本的にはガイドブックの情報を鵜呑みはしない。 特にこのように変化の激しいエリアではなおさらだ。 だからこうしてチェックに来たのだが、今回はロンプラの情報は そう間違っている訳でもなく、バスの時間は2時40分だということが分かった。 ついでにここからトルクメニスタンのアシュカバードに行くバスの情報も 探ったのだが、残念ながらここからの直通バスは無いようだ。

 そうこうしているうちに、もう5時を回っている。急いで今度は旧ブハラ汗の 居城だったというアルクに行こうと思った。実は今朝バザールに行く途中で 最初の「コーラ休憩」を取った場所がこのアルクの目の前で、是非とも中に 入ってみたいと思っていた。その時は蚊取り線香の優先順位がとても高かったので、 通り過ぎたが、午後にはかならず訪れてみようと心に決めていた。そこで また市内バスを待つ。昨日ブハラ市内地図というのを買っていて、それには バスの路線図も乗っていたので、さっそく活用しようと思ったのだ。地図によると 12番のバスがここからアルクまで行くはずだ。そう思って待っていたのだが、 待てども、待てどもバスは来ない。おかしいなあと思いはじめたころ、 隣に座っていた青年に「どこに行くんだい?」と聞かれた。そこで「アルクだよ」と 元気よく答えると、「バスはそこにはいかないよ」という答え。結局また タクシーのお世話になった。

 しかし、残念ながらアルクは もう閉まっていた。確かにもう6時だ。中は美術館になっているのだそうだが、それは4時半で終了 するのだそうである。しょうがないので、昨日も訪れているリャビ・ハウズという 池の前にあるチャイ・ハナに行く事にした。ここにはいくつかのチャイ・ハナが あるのだが、その中でも一番西よりにあるチャイハナの連中と僕はとても仲良く なっていたので、またそこに行くことにした。

 


チャイハナ

迷路のような街


 この前には17メートルほどの大きな木があって、そのてっぺんにはコウノトリ の巣がある。池は少年たちの恰好の遊び場になっているのだが、彼らがこの木を 見逃すはずが無く、この木は池への恰好の飛び込み台となっていた。二股に別れた 木の一方の先が10メートルほどの高さになっていて、大抵の少年たちはこの10 メートルの所から勢い良く池の中に飛び込んでいた。昨日僕がその様子に充分驚いていると、 20歳になるというシャシャリック(羊の串焼き)焼きの男が、「俺なんか あの頂上から飛び降りられるぜ」などといい、僕が唖然としている中、さっさと 木に登り、17メートルの頂上から叫びながら勢い良く川に飛び込んで見せてくれた。
 


コウノトリの巣の上から

ジャンプ!
 


 

帰ってきました

 

その後もここの連中とは他愛の無い事で盛り上がっていて、とても親しみが持てる ところだ。だから今日もここにやってきた。また池では盛大に飛び込みが行われている。 あたりはまだとても暑い。1時間に一度程の周期で訪れる池の噴水がつかの間の 冷気を誘ってくれるが、それ以外は相変わらず炎天下だった。

 結局3時間近くボーっと池を眺めていただろうか。軽い夕食を取って、 その場を後にする。そして、今度は高級ホテルの一つであるブハラホテルへと行ってみた。 というのは、ウルゲンチ行きのバスが2時40分発ということは到着は深夜になって しまうだろう。それはちょっと避けたい。そう思い、虫の良い話だが、もし仮に ウルゲンチにむかう日本の団体客がいたとしたら、バスに便乗させてもらえない かと思い、ホテルを訪ねてみたのだ。日本の団体客ならこのレベルのホテルに泊まって いるだろう。

 そう思いフロントに「明日ウルゲンチに行く日本の団体客は泊まっていませんか」と きいてみると、それだけで僕が何をしたいのかを察した彼女はすぐにいろいろと調べてくれた。 が、残念ながら日本の団体はいるが彼らはサマルカンドにむかうという。諦めて 出て行こうとすると、彼女は「ちょっと待ってて。今、新ブハラホテルの方にもきいてみるから」 とわざわざ電話してくれた。そして一組ウルゲンチ行きのツアーがある事を 教えてくれる。まだ向こうのOKが出た訳でもないのに、彼女は「よかったわね」など といい、新ホテルの方のフロントの係員の名前を教えてくれた。

 新の方に行くと、係員はすぐに添乗員の名前を教えてくれて、今夕食を とっているところだから、そこに行って交渉してみるといいと食堂までの道のりを 教えてくれた。あまりにもここまでスムーズにすすんだものだからちょっと驚いて しまう。案外こういう申し出をする人は結構多いのだろうか。

 ところが、話をした女性添乗員にはあっという間に断られてしまった。 最初はお金云々と言ったので、「もちろんお金は払うつもりである」と言う事を いうと今度は「なにか在った時の責任がとれない云々」と言ってきた。何を いっても結局だめなようだったのでおとなしく引きさがった。対応が思いのほか 冷たかったのが残念だったが、まあこちらとしても虫の良すぎるお願いで、 あまり期待していなかったこともあり(といってもホテルの人のリアクションに より、ちょっと期待が高まっていた)、「ああやっぱり」という以上の感想 を持たなかった。

 けれども何気なく事の顛末をホテルのフロントに話した時の、彼の対応が 面白かった。彼はまさか僕が断られると思っていなかったらしく、「いったい どうしてだ」と他人事にも関わらず僕のために憤慨してくれたのだ。そして最後に いった言葉が良かった。「日本人っていうのはなんて融通が利かないんだ。」 そう、それは僕がいつも中央アジアの旧ソ連的システムに直面した 時に吐き捨てていた言葉である。